キスがうまいだけの男。〜門出〜
史上もっともダサい逮捕劇により、宇宙ロマンス詐欺の疑いで逮捕された僕だったが、
やはり今回も取り調べの結果、僕はキスがうまいだけで何もできない男だと判明して釈放された。
しかし、全世界が見守る中での逮捕だったためネガティブなイメージが世間についてしまい、今度こそ、働き口が無くなってしまった……。
あれから元カノにもメールしてみたが、やはり正社員にもなれない僕のことは相手にはしてくれない。
これまでキスがうまいだけでなんとか乗り越えてきた運もついに尽きたか……。
この僕もキスを置く時が来たみたいだ。
ところが、そんなふうに途方に暮れていた僕に声をかけてくれた企業さんが現れたのだ。しかもそれなりに大きな企業。
── 捨てる神あれば拾う神あり。ですな。
しかも正社員待遇とのこと。
たいして内容も聞かずに一も二もなく飛びついた。
福利厚生という言葉は僕には無縁だと思ってたけどいざ自分に使われてみるといい言葉だ。
すぐに面接をしたいとのこと。
こちらは調整するスケジュールもないので、トントン拍子に日取りは決まった。
でも、まさかこの採用面接が終わりの始まりのような何かになろうとはその時点では夢にも思わなかったのだが……
*
「えー、それでは履歴書の方から拝見させていただいてよろしいですかね」
「あー、はい」
僕は鞄から履歴書を出してテーブルの上に置いた。
応接室。
向かい側には、銀髪眩しいバリっとしたスーツ姿の初老の人事総務課長さんが座っている。
「ウン、ウン、なるほど」と課長さんは履歴書を指でなぞりながら確認している。
部屋の壁にはこの会社の社訓が貼られているが、字が達筆すぎてまったく読めない。
今日は採用面接。
全企業から総スカンを食らったなか、この会社だけが唯一、僕に興味を持ってくれて、登録していた就職サイトを通して連絡をくれた。
その際に、面接当日はスーツで行った方がいいかを尋ねたら、『キスがうまいような格好』でいいと言っていただけたので、そのようにした。
確認を終えた課長が顔を上げる。
「ウン、ウン、ちょっとお聞きしますが、前のバイトをお辞めになってから現在まで少しブランクがあるみたいですが」
「あー、そうなんですよねー……」
「その間は、キスがうまいだけだった、という認識でいさせていただいて大丈夫ですか?」
「まー、そうですねー……」
僕はちょっと手に汗をかいてきた。
課長さんはまた書類に目を落としてからすぐ顔を上げた。
「ウン、ウン、では前のバイトをお辞めになった理由とかお聞かせいただけますか」
「えーと、ですねー……」
「ウン、ウン、あれかな、あのー、キスがうまくて、それでうまくいかなくなってきて、みたいな感じかな?」
「まー、そうですねー……」
「ウン、ウン、あとここに書かれてるキス関連のとは別に何か資格とかスキルとかお持ちですか?」
「んー、まー、ないですねー、すいません……」
「いえいえ、大丈夫ですよ。ではですね、キスがうまいということを証明できるものって今日なにかお持ちですか?」
課長さんはちょっと大袈裟に座り直しながらそう言った。
僕は目が大きくなってしまった。
「えーっ、そういったものはちょっとないですけど……。それにスキルって言いましても、最初に元カノにそう言われて、それからあちこちで言われるようになったというだけのことで、そんなに自分では認識してないと言いますか……」
「ウン、ウン、本当のスキルってそういうものですよ。何気なくできちゃったりしますから」
「……」
「じゃあ、ですねー、ここにお相手がいると仮定してですね、少しやって見せていただけますか?」
「キスをですか??」
「ええ」
「あんまりそういうのはやったことがないので、本来のキスが出せるかわからないのですけども……」
「ほんと、さわりだけでいいんで」
── 実演中…
しばらくして、課長さんが少し腰を浮かして手を叩いた。
「はい、はい、わかりました。ありがとうございました。もうけっこうですよ」
僕は表情を戻す。すごく変な汗が出ている。
「至らないキスになってしまって申し訳ないです」
「いやー、いいキスでしたよー。いいキス持ってますねー。今ね私、評価チェックシートつけながらなんですけども、はみ出してますもん、ほら」
見せてもらう。たしかにはみ出している。評価が。
んー、匠の技だねー、と言いながら残りを記入する課長さん。
そして「ウン、即戦力でいけそうだな」と膝を叩いた。
「……」
「それではですね、ちょっと早い話になってしまうんですが、明日から正社員として働いてもらうことは可能ですかね?」
── こんなに手応えなかったのに、あっさり僕は採用された。
そういえば最後までなんの会社なのか聞かなかった。
なんか聞かせてもらえない凄みみたいなものが課長さんにはあって、それで言い出せなかった。
まあ、明日出社すればわかるだろう。
それにこんなクズofクズな僕のことを高く評価してくれる会社なんて他にはないわけだし。
面接を終えた帰り道、久しぶりにいい気分になって、行きつけの“キスがうまくても入れる居酒屋”に寄って、お祝いに軽く一杯やった。
── 翌日。
緊張しながらも、昨日教わった、本社とは別の住所の場所に行くと、そこは中規模の工場だった。
門のところには『〇〇製菓』とある。
なーんだ、お菓子をつくる会社だったのかー、と、ひとりで頷きながら敷地内に入った。
建物の中は意外にも研究所のような雰囲気だ。お菓子をつくる以上の能力のありそうな機械がたくさんあるように思えた。
朝礼時、課長さんが僕をみんなに紹介してくれた。
「彼はキスがうまいから、すぐにみんなと打ち解けるとは思いますが……」と添えて。
僕はみんなの前で挨拶。
「あー、どうもー。至らないところもあるかとは思いますが、頑張りますのでよろしくお願いします」
それに対して、白衣を着たみんなは無表情のまま歓迎の拍手をくれた。お菓子を作る雰囲気はまったく感じない。
研究対象を見るような視線を感じるのが少し気になったけど、それ以外はあまり気にならなかった。
本当にキスがうまいだけでここでやっていけるだろうか……。
僕はそのことがとても心配になった。
(最終回の1話前の回へ)つづく
