「東名高速道路飲酒運転事故遺族」取材レポート【後編】
元運転手の身内からの電話
2004年2月10日、井上さんの携帯電話に見覚えのない番号からの着信が鳴りました。
出てみると、「井上さんですか?私は東京に住む〇〇と申す者です。実は、昨日加害者の元トラック運転手が出所しました。今、その奥さんと共に我が家におります。これから井上さんのお宅に3人で伺ってもよろしいでしょうか?」と、谷脇の親戚と名乗る人物からの突然の出所報告と面会の申し出でした。
井上さんご夫妻は、心臓が止まりそうなほどの驚きを覚えたそうです。
そして、心の準備はできていなかったものの、会うチャンスを逃してしまってはならないと思い、会う決心をしたそうです。
公判以来、3年1カ月ぶりに再会した加害者は、久しぶりにもかかわらず、法廷で見かけたときと変わった様子はなかったとのことでした。
服役中は、規則正しい生活をし、アルコールも断っていたのですから、外で生活するよりもよっぽど健康的な生活をしていた訳です。そんな健康そうな姿が、かえって憎らしく思えたのではないでしょうか。
井上さんご夫妻が、悲しみに暮れながらも怪我の治療や裁判等に奮闘する中、谷脇はどのような気持ちで服役生活を送ってきたのでしょう。
郁美さんは、谷脇が拘置所にいる段階(2000年4月、事故から4カ月後)に、奏ちゃん・周ちゃんの写真を入れたアルバムを送ったそうですが、当人の手には渡っていませんでした。
つまり、谷脇は被害者の顔も分からぬまま刑に服していたのです。
法廷の場においても、谷脇が謝罪や反省を述べたときに視線を送っていたのは、裁判官の方だったそうです。
この様子を聞いても、被害者への謝罪というよりは、被告人を裁く国家に対して「法律を破らない」と誓約しているだけに思えて、被害者遺族である井上さんたちに向けては、何ら具体的な償いや約束を交わす場面はなかったそうです。傍聴席に置かれた小さな遺影すらも見ることはなかったのですから、償いの対象はどこの誰に向けてだったのでしょうか。
また、そのような中で迎えた服役生活で、何を思ったことでしょう。
自分の犯した過ちを悔やんだのか、法や秩序を破ったことによって罪の意識に駆られたか、顔も分からぬ被害者への謝罪の気持ちだったのか・・・。
ここでも、被害者や被害者遺族の心情が置いてきぼりになってしまっているのです。
被害者や被害者遺族にとっては、加害者に実刑が下り、刑に服すだけではなく、過ちを認め、本当に心の底から謝罪の気持ちを持ってくれることを望むはずです。
そのためにも、遺影を見てもらうことや直接謝罪をする機会を設けることが必要だと思います。そのことがあって、初めて加害者が被害者に対して償うスタートラインに立つことできるのではないでしょうか。
被害者遺族の気持ちは、当事者でなければ理解できないでしょうし、他者が安易にコメントすることでもないとは思っています。非当事者は、想像することしかできず、共感することまでは困難です。
それでも、当事者の視点に立ってみなくては、見えてこないものもあるので、不完全でも当事者性をもつことは大切なことかと思います。
また、加害者側の考えや心情について考察してみるのも、再発防止のためには不可欠なことでしょう。
仮に、自分自身が、このような事故を起こしてしまったら、何を思い、どのように生きていくでしょうか?
もしも、私が誰かの生命を奪うようなことがあったとしたら、「自分の生命と引き換えに、被害者を生き返らせてほしい」と願うものの、そんなことが叶うはずないと思い直し、死んでしまいたいとさえ思う気がします。しかし、自分が死んだところで償いになどならず、ただ現実逃避をしているだけであることに気付くでしょう。
そして、何とか御遺族の辛さや悲しみを理解しようと努めながら、被害者への償いの日々を過ごすのではないかと思います。
元運転手との対面
谷脇は、出所した翌日に、井上さん宅を訪れました。そして、奏ちゃん・周ちゃんの遺影に向かうと、黙って俯いたまま長い時間対面していたそうです。
服役してきたにもかかわらず、このとき初めて2人の顔をはっきり見ることになったそうですが、写真の中の可愛らしい笑顔を見て、何を思ったでしょう。
この事故は、「監獄法」が全面改正される2005年より前に発生しました。
現行法律の元であれば、受刑者に矯正教育が義務付けられ、その一環として被害者のことについて考える機会も与えられますが、当時加害者が収容されていた刑務所では、加害者と被害者が手紙でやり取りをするなんてことは、ありえなかったそうです。
また、2023年12月1日より、「心情等伝達制度」が施行されました。こちらは、法務省の制度により、加害者の反省を促し、遺族の思いを伝えるための手段です。
この制度の施行により、刑事裁判後も刑務所の受刑者(加害者)へ、被害者遺族の心境や質問を文書で伝え、返答を受け取れるようになりました。
加害者の収容されていた時期の刑務所では、指示された刑務作業をこなし、判決で下った年月を無為に過ごしたようです。
そして、刑を服し終えたら社会に復帰していく過程の中には、被害者や遺族の情報及び心情などは、まったく組み込まれていなかったのでした。
真の意味で、加害者の更生を図るのであれば、そこに被害者へ及ぼした被害の実態と被害者及び被害者遺族の心情が伝わらなくては、まったく意味を成さない収容生活になるのは目に見えています。
ただ刑期を満了すれば良いと捉えられかねない服役生活の中で、元運転手は何をどう反省したというのでしょう?
大切な娘さんたちの生命を奪われたご遺族の心情を想像するのも辛いものですが、加害者側の気持ちを考えるのも複雑かつ困難なことです。
後悔・自責・懺悔・・・ さまざまな思いや感情が混合するものでしょうか。
遺影に向き合ったままの谷脇は、中々振り向こうとしなかったそうです。
しばらくして振り返ると、「大変申し訳ないことをいたしました。自分は子どもが好きなほうなのに、まさかその自分が子どもの命を奪うことになるとは。本当に申し訳ないことをしました。高知に帰る前に井上さんのお宅にお詫びに行かなければと思いました。」という謝罪の言葉を口にしたそうです。
また、そのとき、「酒は断ちます。ハンドルも握りません。」という決意を表明したそうです。
現実的に考えて、高知の山奥の集落出身である人が、車をもたずに生活することなど可能なのか・・・また、酒に溺れた末に人の生命を奪ったような人物の言葉など信じられるはずもありません。
「一般的には、刑期を終えて世間に戻ると、3日で謝罪の気持ちを忘れてしまう」とも言われている中で、出所後はどのような生活を送ったのでしょう。

「償い」とは 谷脇が、いくら被害者遺族との約束を交わしたといえども、時の流れや心の弱さによって、再び酒を飲むのでないかと疑ってしまいます。
それに、服役生活を終えれば、罪を償ったと考える人も多くいることでしょう。刑期さえ満了すれば、もう受刑者ではなくなりますから、何かをしなくてはならないという法的義務からは外れます。
それでも、償いというものは、それで終わるほどのものではないはずです。被害者や被害者遺族の悲しみは一生涯続くからです。
よって、刑務所を出所してからこそ、本当の意味での償いの始まりではないでしょうか。
義務だから謝罪をし、刑を受けるだけでなく、その義務である刑期を終えてからが加害者の姿勢を問われるかと思います。
しかし、刑期満了後、被害者や被害者遺族と会わなくてはいけないという法律や制度がある訳ではないので、出所後の在り方については、当人の判断に託されます。
本件では、加害者である谷脇が、井上さんご夫妻に直接会って謝罪をするという決断をしましたが、その行動をとるか否かは当人の意思次第だったのです。
では、義務や強制でもない中で、謝罪に訪れた加害者の行いを、どのように捉えるべきでしょうか。
実際に、井上さんは、知人から「井上さんのところの加害者って、飲酒運転をしたことはひどかったけど、意外とまともだったんだね。」と言われたそうです。
「まとも?」何も褒めるべきことではなく、当然のことをしただけなのに、悪事を行った者が当たり前のことをするだけで善行をしたように捉えられるのは不思議なものです。
「危険運転致死傷罪」の新設 2001年12月、「危険運転致死傷罪」が刑法に新設されました。
この法律制定には、井上さんご家族が巻き込まれた事故が大きなきっかけとなっています。
アルコールや薬物などの影響によって、正常な判断が困難な状態で運転をした結果、人を死傷させてしまった場合には、「過失犯」ではなく、「傷害罪に準ずる故意犯」として処罰可能となったのです。
事故が起きた1999年時点では、「業務上過失致死傷罪」が適用され、法定刑の最高が5年でした。
しかし、この軽すぎる刑に、批判が集まったことに加え、井上さんご夫妻が尽力したことにより法改正へと舵が切られました。
法改正後の最高刑は、「人を死亡させた場合:懲役20年」にまで厳罰化されたのです。
本来であれば、各々が飲酒運転などせずに安全運転を心掛けるべきであり、法に裁かれるような事態などないほうが良いに決まっています。
それでも、これだけ悲惨な事故が起きているにもかかわらず、悪質な運転による事故は絶えません。
法律が甘かったから、そうした事態が起きているとは言い切れませんが、法律にはそれなりの抑止力が備わっているべきです。
そして、そのような厳罰化された法律が制定する背景には、悲しい事故やそれによって奪われた尊い生命があることを忘れてはいけません。
しかし、厳罰化が進んだことにより、その罰を恐れて、飲酒運転による事故を起こした際の「ひき逃げ」が急増しています。
法律を改正しても、次から次へと新たな問題が発生してしまうのです。 結局は、法の下で罰せられることや刑に服すことでは、人の心までは変えられないのかもしれません。
加害者は、事故当時(1999年)55歳で、現在(2026年)82歳を迎えています。
高齢となった今、自身の人生を振り返ってみて、何を思うでしょうか?飲酒運転さえしなければ、穏やかな余生を過ごせていたはずです。
奥さんと3人のお子さんがいるそうですが、家族の人生までも変えてしまったことを、いくら悔やんでも悔やみきれないでしょう。
そして、何よりも、奏ちゃん・周ちゃんに対して、どんな言葉をかけるでしょうか。「飲酒したら、運転しない」たったそれだけのことを守るだけだったのです。
私たちもハンドルを握るときやお酒を飲むときには、自分の判断や行いが、他の人にも影響を及ぼし、生命にもかかわるということを忘れてはいけません。
「安全」は、私たち一人ひとりで築き上げていくしかないのです。
保孝さんの想い
どれだけの月日が流れても、娘たち2人のことを忘れるなんてありません。毎日毎日思い出します。
事故直後、私が、大火傷をして麻酔にかかって眠っていたとき、夢の中に娘たちが現れてくれました。
それは、みんなで階段を昇っている夢でした。
奏子が、アンパンマンのボールを抱えながら階段を駆け上がると、こちらを振り返り、笑顔で「パパ、ガンバッテルジャン!!」と言って励ましてくれました。
周子は、慎重に昇りながら、「パパ、ダイジョウブ?」と心配してくれました。
本当に会いに来てくれたんだと思います。
もし、2人に会えたら、「過ごした時間は短かったけど、一緒にいてくれてありがとう。」と伝えたいです。
郁美さんの想い
楽しい時間を過ごしていても、ふと「2人がいないんだな・・・」と思い、胸が苦しくなることがあります。
何をしているときでも、ホンの少しの隙間から寂しさが入り込んできて、心の底から笑えないのです。
楽しい一時や笑うときだってありますが、心にはずっと2人のいない寂しさを抱えたままなのです。
あの事故さえなかったら・・・2人がいたら・・・という気持ちを抱えたまま過ごすのは、一生変わらないでしょう。
現在も、私たちは、被害者遺族としての活動をしております。講演を聴いてくださった方々が、涙を流したり、気の毒に思ってくださることは多いです。
しかし、共感しようと努めたり、励ましてくださるのは大変ありがたいのですが、具体的な行動もとってほしいです。
飲酒運転をしないことは言うまでもありませんが、他の人たちにも伝えてほしいのです。
「飲酒したら運転をしない!!」という強い意思を1人ひとりがもつことが大切だからです。
もし、奏ちゃんと周ちゃんが生きていたら、29歳と28歳になります。どんな子に育っていたでしょう。
私は、おばあちゃんになりそびれちゃいましたが、2人に会えたときに、「パパ・ママ、がんばったじゃん。おりこうさんだったね。」って言ってもらえるように生きていきたいです。
参考文献:
①井上郁美、2000年「永遠のメモリー、天国のかなちゃんちかちゃん今日も大きな声で唄っていますか、河出書房新社②井上郁美、2009年、「東名事故から十年目の訴え~飲酒運転撲滅のために~」、河出書房新社
