「告白。」──発信者から降りる選択
ぶち壊されました。
今にも崩れそうだったジェンガの要の1ピースが抜かれてしまった。そんな気持ちです。
妻が「この本面白かったよ」とお勧めしてくれた1冊によって、僕が必死に守ろうとしていた幻想が崩されたのです。
その本は、
中前結花さんの「好きよ、トウモロコシ」
エッセイを読んで、ここまで感動したのは初めてです。
そもそも打ち明けますと、noteにエッセイ書いてるくせに、今までろくにエッセイというものを読んでこなかったのが本当のところです。
コレだ!というのに出逢えなかったのもあります。
けど、中前さんのエッセイは僕にとって衝撃そのものでした。
生意気にも、「こんな素敵なエッセイが書けたらいいなぁ」と思ってしまったのです。
等身大でいられるってしあわせだなと感じました。
* * *
さらに追い討ちをかけるように、
心を動かした出来事がnoteクリエイターフェスです。
▼主催者Maicoさんのレポ
僕はサポーターとして遠くから応援したに過ぎませんが、フェスに参加した方々の記事を拝見して感銘を受けました。
▼「べき」「ねばならない」の話は共感の嵐
▼スペシャルゲスト末吉さんの言葉にいつも救われる
* * *
このnoteの始まりはエッセイでした。
それは、発信の土台づくりをするための自分探しのようなもの。
テーマはわからないけど、
「発信をライフワークにしたい。」
その想いだけで走り続けてきました。
続けているうちに、
「本音で生きたい人を応援する」を
主要なテーマにするようになりました。
けど、どこか──
小さなちいさな違和感が居座っているのです。
本当に、心の底から本音で生きたい人を応援したいと思っているのか?
その救いたい人をいつもうまくイメージできないのです。
発信者であろうとすればするほど、心が離れてゆく。そんな感じ。
本音は、別に救いたい人なんて居ないかもしれません。
結局のところ、皆んな好き勝手生きてるし、困っている人は困るべくして困っているのだから。
誰かを導くとか、救うとか、
僕の中では正直おこがましいのです。
そんな大役、こなせません。
僕はどこまでも僕でいたいのです。きっと。
無理な背伸びせずに等身大であり続けたい。
誤解しないでほしいのですが、
夢や希望を諦めるのとは違います。
発信をライフワークにしたい想いは変わらずあります。
お金に困らない生活をしたいとも思います。
そんなありのままの姿で、言葉を綴りたいと思いました。
無理なパッケージングはせずに、等身大で心地よく居られる発信スタイルを作っていきたいな。
今日から少しずつ、ブラウニーnoteは形を変えてゆくと思います。
ブラウニーという名も捨てるかもしれません。
どこまでも本音なのは変わらずに、ただあるがままに。
揺れている僕ですが、これからもよろしくお願いします。
ブラウニー
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