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へびのような文字と、てのひらの会話。

この文章は世界の街を切り取った旅エッセイです。
題して「見知らぬ異国で、ひとりごつ」


イランの長距離バスは快適だった。
これまでの旅で乗った、家畜や大量の荷物で足の踏み場もないようなボロボロのバスとは違う。エアコンが効き、シートも深くリクライニングする。だが、わたしは心のどこかで、あのボロボロのバスに乗っていた時こそ、一番旅をしていると感じていた。

バスは、テヘランへ向かって、静かにスーッと滑るように走っていく。車窓の外は、真っ暗な闇。
わたしは、車内の微かな光の中で、ガイドブックを広げた。そこには、ヘビがのたくるような文字が並んでいる。ペルシア語。
大学生の頃、友人に「意味のある授業は言語だけ」と言われ、ラテン語、インドネシア語、韓国語をかじったことを思い出した。あの頃から、この旅は運命づけられていたのかもしれない。

当時はスマホで翻訳アプリなど考えられもしなかった。ので旅先で簡単な挨拶と数字は現地の言葉を覚えるようにしていた。

ガイドブックを読み進めると、このヘビのような文字は、実は表音文字なのだと知った。例えば、マ行は卵型の〇にLを付け足すと「マ」と読める。それは、ハングルの□にトで「マ」と同じ仕組みだ。ルールさえ分かれば、読むことはできる。ただ、問題は読めたとしても、それが何を意味するのか、全く分からないことだ。さらに、ペルシア語は右から左に読んで書くという、一般的な言語とは逆。

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この文字の難しさに、わたしは思わずため息をついた。
そのとき、隣に座っていたおじさんが、わたしが持っているガイドブックを指さして、にこやかに話しかけてきた。言葉は全く分からない。だが、おじさんは、わたしの持っているペンを指さし、自分の手のひらに、何かをクルクルと描いてくれた。わたしは、そのジェスチャーを真似てみる。お互いに意味は分からなくても、身振り手振りで、何度も何度もやりとりを繰り返した。そのひとときは、非常に心地よく、温もりに満ちていた。

言葉は、人と人を繋ぐためのツールだが、言葉がなくても、繋がることはできる。
この旅が、わたしに教えてくれたこと。それは、言語の壁を越えた、もっと深いところで、人と人が繋がっているということだった。おじさんの手のひらに描かれた、あの意味のない線が、なぜか蛇がとぐろを巻くように、心の奥深くに居座り続けた。

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―ああ、またひとつ、見知らぬ異国で、ひとりごつ。


左ペルシア語と右ハングル語のまみむめも


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