360度の地平線について。
この文章は世界の街を切り取った旅エッセイです。
題して「見知らぬ異国で、ひとりごつ」
モンゴルのツーリストゲルに泊まった夜、わたしは初めて「360度」という言葉の意味を理解した気がした。算数の授業で習った円周角、幾何学、そういう無機質な概念ではなく、もっと物理的な、体感としての360度。
立っている場所を中心に、どちらを向いても地平線がある。
東を向いても、西を向いても、南を向いても、北を向いても、空と大地が交わる線が、ずっと遠くに引かれている。その線は完璧に水平で、まるで定規で引いたみたいだ。でも、もちろん誰も引いていない。ただそこにある。
夕方、太陽がその地平線に向かって降りていく。オレンジ色の光が草原全体を染めていく。影が長く伸びる。ゲルの影も、わたしの影も、馬の影も、みんな同じ方向に伸びている。太陽が沈む瞬間、空の色が刻一刻と変わっていく。オレンジから、ピンクへ、そして紫へ。
その様子を見ていて、ああ、これが「地平線に沈む」ということなのか、と思った。東京では、太陽は建物の向こうに消える。山に行けば、太陽は山の向こうに消える。でも、ここでは太陽は地平線に吸い込まれていく。それはとても静かな出来事だ。
ゲルに戻ると、電気がついた。
これは意外だった。草原のど真ん中なのに、電気がある。スイッチを押すと、ちゃんと照明が点く。シャワーも出る。お湯も出る。草原とシャワー、という組み合わせに、頭が少し混乱した。正直に言えば、とてもありがたかった。
夕食後、外に出てみる。空を見上げると、星があった。いや、「あった」という表現は正しくない。星「しかなかった」と言うべきか。
とにかく、星が多すぎて、どこが星座なのか分からなくない。天の川も見える。それは教科書で見た白黒の写真とは違って、少し青白く光っていて、まるで空に道が描かれているようだ。
寝転がってみた。草の匂いがした。少し湿っていて、ひんやりしている。空を見上げたまま、しばらくじっとしていると、星が動いているのが分かった。いや、正確には地球が回っているのだけれど、そんなことはどうでもよい。
わたしはそこに30分、いや、もしかしたら1時間くらい寝転がっていたかもしれない。時間の感覚がなくなった。寒くなってきて、そろそろ戻ろうと思ってゲルに入った。
ゲルの中は暖かかった。電気がついていて、ベッドがあって、毛布があった。草原のど真ん中なのに、である。この矛盾に、わたしは少し笑ってしまった。でも、悪くない。むしろ、ちょうどいい。
翌朝、目が覚めて外に出ると、また地平線がある。昨日と同じ地平線。でも、光の角度が違うせいか、昨日とは少し違って見えた。朝の地平線は、夕方の地平線よりも、少しだけ鋭い感じがした。
朝食をとりながら、ふと気づく。
360度の地平線とは、つまり——どこにも隠れ場のない世界だ。
遮るものも、逃げこむ影もない。
あるのは、自分と、空と、大地だけ。
その無防備さは、少しだけ心をざわつかせる。
けれど、同時に、何かをそっと手放せるような気にもさせる。
ここでは恐れと解放が、同じ場所で、同じ風の中に共存している。
そしてわたしは、そのどちらにも、ゆっくりと身を委ねていくのだった。
―ああ、またひとつ、見知らぬ異国で、ひとりごつ。
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