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美大生は「汚染済み」——アール・ブリュットが美術教育を受けた人間を排除する構造


あなたがアートを習っていたとしたら、それだけで「汚染されている」と判定されます。




アール・ブリュット(Art Brut)とは

アール・ブリュット(Art Brut)とは、「正規の美術教育を受けておらず、芸術文化に触れていない人から生み出された芸術文化に汚染されていない表現」とされ、それを「本物の芸術」だと位置づけ、絶対なる価値があるとする概念です。美大生、絵画教室に通ったことがある人、独学でも芸術文化の影響を受けている人、漫画やアニメ、ドラマや映画、その他芸術文化を鑑賞した人。アール・ブリュットの論理では、そうした人々は全員「堕落した芸術文化に汚染された側」に分類されます。

美術を学んだことは、この制度においては「欠格事由」です。




努力が、排除の根拠になる

美大で4年間デッサンを積み重ねた人がいます。その人がどれほど創造的で独創的で芸術性の高い作品を生み出しても、アール・ブリュットのラベルは与えられることはありません。美術教育を受けているからです。絵画教室に数年通っていた人も同じです。子どもの頃にアニメが好きだった人も、映画を観て感動した記憶がある人も、同じです。

一方、文化的影響を受けていないとみなされた作家の作品には、教育歴・生育環境・施設入所歴といった属性情報をもとに「純粋」というラベルが貼られ、数百万や数千万、時に億単位の値段が作品につくことがあります。しかし「文化的影響を受けていない」という判定自体が、客観的な事実ではなく主観的な解釈です。何らかの影響を受けていない人間など存在しない以上、「純粋」という認定は、影響を受けていないという証明ではなく、権威者がそう見なしたという決定にすぎません。

作品の内容は、関係ありません。

アール・ブリュットに視覚的な特徴があると解説している人がいますが、この分野の専門家たちはむしろ逆のことを断言しています。コレクターの Christian Berst は、抽象表現の作品をも「アール・ブリュット」としてキュレーションする展示 in abstracto を開催しています。抽象表現はアール・ブリュット固有の様式ではありません。にもかかわらず、作者の属性を根拠にアール・ブリュットのラベルが貼られる。様式はこの制度において判定基準として機能していないことを、Berst 自身の実践が示しています。美術批評家の Edward M. Gómez は明確に述べています。「これらのラベルは、芸術の様式や運動を指すものではない」¹。Collection de l'Art Brut 館長の Sarah Lombardi も「アール・ブリュットは、始まりと終わりを持つ芸術運動ではない」と言い切っています²。美術史家の John M. MacGregor はさらに踏み込んで、「アール・ブリュットは根底にいかなる統一性も共通の目的も持たない、完全に異質な作品と作家の集合体である」と述べています³。

しかしここで問わなければなりません。「異質」とは何を根拠に異質なのか。その判断もまた、主流の芸術文化を基準とした主観的な比較にすぎません。そして仮に作品が「異質」であったとしても、作者に美術教育歴や文化的影響の痕跡があれば、アール・ブリュットのラベルは与えられません。作品の異質さは、判定において何の効力も持たない。結局のところ、芸術文化に触れたことのある人々は、権威によってこの制度の聖域から永遠に締め出されています。どれほど独創的な作品を生み出しても、どれほど既存の芸術と異なる表現をしても、関係ありません。汚染されたと見なされた者には、最初から扉が開かれていないのです。

作品だけを見て「これはアール・ブリュットか」を判定できる人間はいません。コレクターやキュレーターが、作者の属性情報と逸話をもとにラベルを与えているだけです。まったく同じ作品を美大卒の人間が描いていたなら、そのラベルは与えられない。それがアール・ブリュットという制度の実態です。


アール・ブリュット/アウトサイダーアート/障害者アート 公式画像

「無批判な鑑賞」が分断を強化する

アール・ブリュットの展覧会に足を運んで「すごい、純粋だ、感動した」と言う人の多くは、善意です。悪意はないでしょう。しかしその善意の消費行動が、この属性選別の構造を経済的に支え、社会的に正当化し、強化しています。アール・ブリュットを褒め称えた分だけ、非アール・ブリュットの価値は下がっていくのです。

感動しているのは作品に対してではなく、「芸術文化に汚染されていない人が作った」という属性情報に対してです。それは作品への敬意ではなく、極めて倫理的問題のある属性への消費です。

美術教育を受けた人間がアール・ブリュットを無批判に称賛する行為は、自分たちを「汚染された側」と位置づける選民思想を、自らの手で補強していることになります。「純粋な人たち」と「汚染された私たち」という分断を、鑑賞のたびに再生産しているのです。

もしあなたが、「私は作品そのものに純粋に感動したのだ」と感じたのなら、ただ自身の心に正直なまま、そのアート作品への感動を表明すればいいだけです。そこに「アール・ブリュット」という作者の属性に基づいて貼られたラベルが介入する余地などありません。あなたの心を揺さぶったのは、属性や分類ではなく、作品そのものだったはずですから。


これは単なる逆差別ではなく、選民思想です

「障害のある人や教育を受けていない人を高く評価しているのだから、差別ではない」という反論もあるでしょう。

しかしこの論理は成立しません。

アール・ブリュットの世界的権威とされる Christian Berst は、Forbes JAPAN のインタビューでこう述べています。「アート界の外側から出現する、純粋な、内的欲求による表現。それがアール・ブリュットです」⁴。さらに「アール・ブリュットは純粋なものであり、創造の本質です」「障害のある人は私たちが持っていないものを持っている、より多くのものを持っている」とも明言しています⁵。芸術文化に汚染されていない「特別な属性」を価値の根拠として堂々と語るこの発言は、アール・ブリュットが優遇ではなく属性による選別であることを、権威自身が証明しています。

人の属性によって選別されたアール・ブリュットが純粋なものであり創造の本質であるなら、美術教育を受け、芸術文化に触れて「汚染された」あなたのアートは、不純であり、創造の本質ではないということになります。

もしアール・ブリュットの関係者が「あなたのアートも純粋で、創造の本質だ」と評価してくれるなら、それはとても喜ばしいことです。ぜひ、アール・ブリュットとして認めてもらい、展示してもらいましょう。もし表面的な言葉だけで実際には何もしてくれないのであれば、「あなたは差別をしているのか」と問いただしてみましょう。

特定の属性を持つ人間だけを「純粋」とみなし、それ以外の属性を持つ人間を「汚染済み」として価値の外に追い出す。これは優遇ではなく選別です。「あなたたちは純粋で特別だ」と言いながら、その純粋さを維持させるために教育や文化接触の機会を制限し、成年後見人や施設が所有権や著作権の実質的な行使権を握り、収益を吸い上げる。それは保護ではなく経済的搾取です。

美術教育を受けた側が排除されることと、教育を受けていない側が搾取されること。この二つは対立しているのではなく、同じひとつの差別構造の両面です。

障害を抱えながらも美術教育を受けた人間はどう扱われるか想像できますか?

もちろん、アール・ブリュットのラベルは与えられません。


アール・ブリュット/アウトサイダーアート/障害者アート 公式公認完全解説図

「属性選別ではない」という反論に答える

アール・ブリュットが属性による選別を行っていないと主張する人のために、反論を整理しておきます。

前述のとおり、Edward M. Gómez をはじめとするアール・ブリュットの専門家たちは、「これらのラベルは、芸術の様式や運動を指すものではない」とはっきり公言しています。

風景画は風景という様式を持っています。抽象画は抽象表現という様式を、具象画は具象という様式を、人物画は人物という様式を持っています。和風、洋風といった文化的背景を表現した様式もそれぞれ存在します。つまり、ある絵画が風景の様式を持っていれば風景画、抽象の様式を持っていれば抽象画、具象であれば具象画へと分類される。これが中立的な芸術の分類方法であり、倫理的にも何ら問題のない、広く一般に用いられている方法です。分類に作者の属性は考慮されません。

特定の属性で分類して展示するケースは、もちろん存在します。しかしそれは、ポジティブ・アクションとして行われる場合に限られます。

国内におけるアール・ブリュット関連事業が、ポジティブ・アクションの一環として行われている側面があることは否定しません。しかし、そのためにわざわざ「アール・ブリュット」という概念を持ち込むことは、深刻な差別構造を強化・助長するものであり、用いるべきではありません。なぜなら、アール・ブリュットは障害のある人だけの作品を指す概念ではないからです。極めて排他的で選民思想的な、人間を属性で純粋か汚染かで序列化するこの概念を、ポジティブ・アクションの名目で正当化することはできません。

ではアール・ブリュットは、どのように分類されるのか。

専門家によれば、アール・ブリュットは芸術の様式や運動を指すラベルではないのですから、作品の様式によって分類されることはありません。分類の基準は、作品ではなく人間の属性です。

  • 芸術文化に汚染されていない純粋な属性を持つ人が制作した風景作品 → アール・ブリュット

  • 芸術文化に汚染されていない純粋な属性を持つ人が制作した抽象作品 → アール・ブリュット

  • 芸術文化に汚染されていない純粋な属性を持つ人が制作した具象作品 → アール・ブリュット

様式は関係ありません。作者の属性が純粋か否かだけが問われます。

「既存の文化にとらわれない、既存の文化の影響が見られない作品を指す」という解説も見かけますが、本当にそうならば、美大生が制作した既存の文化にとらわれない作品もアール・ブリュットとして分類され、美術館に収蔵・展示されるはずです。しかし、それは絶対にありえません。作者の属性が「汚染済み」だからです。どれほど独創的で、どれほど既存の芸術と異なる表現であっても、一度でも芸術文化に触れた人間の作品は、「最も純粋で最も無垢な芸術」を展示する文脈には値しないとみなされる。

また、アール・ブリュットの専門家である滋賀県立美術館ディレクター(館長)保坂 健二朗氏はこうインタビューで述べています。¹⁴

― アール・ブリュットの定義に当てはまるか、当てはまらないか、判断が難しい場合はありませんか?
保坂 そうですね。定義に厳格になろうとすると、作品だけを見ても判断できなくて、作り手の人生を深くリサーチしないと分からないということになります。例えば、いい作品だと思っても、作者が以前、誰かに絵画を学んでいたとなると、芸術的文化に毒されているからアール・ブリュットとは言えないとなってしまう。ある作品をアール・ブリュットと呼べるかどうかは、つくった人のことを調べないとわからない。これは一般的な美術史の概念とちょっと違うのです。さらにややこしいのは、デュビュッフェ本人は自分のコレクションだけをアール・ブリュットと呼んで、他の人が見つけた作品がそう呼ばれることは認めませんでした。登録商標に近いような形です。

巻頭インタビュー/2021年10月号 アートの力を新たな文脈で読み解く美術館の挑戦とは
公益社団法人 日本フィランソロピー協会より引用


巻頭インタビュー/2021年10月号 アートの力を新たな文脈で読み解く美術館の挑戦とは公益社団法人 日本フィランソロピー協会より引用

この発言から、作品そのものではなく人の属性や背景等を参照し、人で分類していることは明白です。

そして、人が芸術文化に「毒」されているかいないかで選別され、ラベル付けしていることをアール・ブリュットの専門家である公立美術館の館長自らが公言しています。

これは
『芸術文化に「毒」されていない作品は、芸術文化に「毒」されていない人によって作られた』
『芸術文化に「毒」されている作品は、芸術文化に「毒」されている人によって作られた』
としか解釈のしようがありません。

  • 美術教育を受けた → 「毒されている」

  • 美術教育を受けていない → 「純粋」

これは 能力・成果ではなく、個人の属性で価値を決めている

これは差別の定義に完全に一致します。

これを差別と呼ばずに、何を差別と呼ぶのでしょうか?

アール・ブリュットという制度の中には、三つの問題が同時に成立しています。

ひとつ目は逆差別です。美術教育を受けた人間、芸術文化に触れたことのある人間は、作品の質や内容に関わらず、展示・評価・収蔵の場から完全に締め出されます。どれほど優れた作品を作っても、属性が「汚染済み」である以上、最初から門が閉じられています。

ふたつ目は差別です。障害のある人々は、本人の意思や希望とは無関係に「純粋な存在」という属性に押し込められ、その純粋さを商品として外部に売られます。作品が数百万、数千万、億単位で取引される一方で、本人の手元に残るのは月数千円から数万円の工賃だけです。高価格で作品が売れた場合も、経費が引かれた残額は後見人が管理する口座に入金されるため、実質的に本人の意思では使えません。

この後見人の関与は偶然の産物ではありません。アール・ブリュット関連事業では、障害のある作家を支援するサポートセンターが助成金を受け取る形で、成年後見制度の利用を推進する仕組みが公文書上に明記されており、美術館での展示等において法的意思能力が乏しいとみなされた作家に後見人をつけることが「権利保護」として制度的に推進されています。⁶⁷⁸その結果、作品の販売収益や著作権の行使が後見人の判断に委ねられる構造が生まれています。アール・ブリュットの理念に沿って教育や文化接触の機会を制限され、著作権と収益の実質的な管理を他者に握られる。これは保護ではなく、障害のある人々への搾取であり差別です。

みっつ目は選民思想です。Berst が「彼らは私たちが持っていないものを持っている」「純粋で貴重」と公言しているように、特定の属性を持つ人間を本質的に優越した特別な存在とみなす価値観がこの制度の根幹にあります。「汚染されていない純粋な人々」と「汚染された凡俗な人々」という分断を前提として、制度全体が設計されています。

逆差別であり、差別であり、選民思想でもある。この三つが切り離せない形で同時に成立しているのが、アール・ブリュットという制度の実態です。そしてこれを、国が公金を投じて推進し、人権教育の文脈にまで組み込んでいる。これ以上に倒錯した状況があるでしょうか。


アール・ブリュット/アウトサイダーアート/障害者アート成年後見制度との組み合わせによる搾取構造スキーム
アール・ブリュット/アウトサイダーアート/障害者アート
成年後見制度との組み合わせによる搾取スキーム

排除は公式ルールである

これは推測ではありません。ニューヨークとパリで毎年開催されるアール・ブリュット・アウトサイダーアートの国際見本市、Outsider Art Fair は、公式サイトの出展者向けガイドラインに次の一文を明記しています。

"Work by artists with formal training or background will not be considered."
「正式な美術訓練または美術的背景を持つ作家の作品は、審査対象としない。」⁹

VICE も同様に報じています。「アウトサイダーアートフェアに作品を出品するための主要条件は、作家が独学であること。BFA(美術学士)もMFA(美術修士)も不可だ」¹⁰。美術教育歴があるというだけで、申請すら受け付けない。これが制度の現実です。

これは国際人権規約上の差別にあたり得る

このような排除は、単に不公平というだけでなく、国際人権法の観点から問題があります。

国際人権規約(ICESCR・国際人権A規約)第2条第2項は、「人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位(other status)等によるいかなる差別もなしに」権利が保障されると定めています¹¹。国連社会権規約委員会の一般的意見第20号は、この「他の地位」について非限定的開示列挙であるとし、アール・ブリュット概念が参照する属性も差別禁止事由として解釈し得る余地があると言えるでしょう。¹²。

さらに、ユネスコの「教育における差別の禁止に関する条約」(1960年)第1条は、「教育における平等な取扱いを無効にし、または損なう目的もしくは効果を有する区別、排除、制限または優遇」を差別と定義しています¹³。

美術教育を受けたという事実、すなわち教育歴等の文化接触歴としての属性を根拠に、展示・参加・評価の機会から排除すること。これは国際人権規約が禁じる「他の地位に基づく差別」に該当し得ます。現在まで美術教育歴を持つ多くの人々の参加の機会を組織的に奪ってきたという点において、この制度は長年にわたり人権侵害をし続けてきたとみるのが妥当な解釈です。

本来あるべき姿

障害のある人が描いた絵が良ければ、良い。良くなければ、ない。

美術教育を受けた人が描いた絵が良ければ、良い。良くなければ、ない。

作品を作者の属性から切り離して、ただの人間として、ただの作品として評価できる社会。それが当たり前のはずです。

人を人として見るのが基本です。

障害のある人への合理的配慮とは、障害に対して行われるべきものであり、それ以外までに及べば社会は公正さを失い、歪んでいくことは間違いなく、そして、不公平さに不満を持つ層が多く現れ、最後には分断に行き着きます。

その社会的不満の矛先が、障害のある人々に向けられてしまえば、福祉的意義は何一つ存在しません。

共生社会が実現することはないでしょう。

問題が大きくなる前に是正しなければ、将来取り返しがつかなくなるまで問題が膨れ上がり、最後には破裂してしまう可能性も十分にあります。

それが起きれば、修復不可能です。

そろそろ、アール・ブリュットという概念が差別で成立している概念であることに皆が気が付くべきです。

デュビュッフェの文献にも純粋と汚染の概念については記述されているため、これを誰も否定することはできませんが、たとえ暗黙裡であっても「あなたは、汚れているからアール・ブリュットが作れない」と扱われることは、不当な扱いです。

そして、「私たちは差別していない、そのような運用方法でアール・ブリュットというラベルを用いていない」とし、社会福祉や包摂の文脈でアール・ブリュットを用いた場合であっても、アール・ブリュットという概念は公式な定義上「反文化的芸術」であり、極めて攻撃的で植民地主義的な概念であるため、そのラベルが包摂的な社会を実現することは決してありません。 国内で用いられている運用方法自体が、誤りであり、アール・ブリュットの定義に反しているからです。

アール・ブリュットというラベルを安易に用いる前に、この概念について、アール・ブリュットの歴史を厳密に調査されることをお勧めいたします。 この概念が、様々な観点から繰り返し差別的であると批判を受けてきたものであることを、まずは知るべきです。

そして、そのラベルを定義をよく理解しないまま、安易に用いるべきではありません。


アール・ブリュット/アウトサイダーアート/障害者アートの公式画像
アール・ブリュット/アウトサイダーアート/障害者アート

問題

以下の問に、一般論ではなく、属性による排除、人の分類、別枠化、証言困難、制度的利益、権利侵害の観点から答えてください。

  1. 正式な美術教育歴がある障害のある作家を、作品内容に関係なく応募・出展・審査の対象から外す規則は、作者の属性を理由とする排除ですか。

  2. 作品の様式や内容ではなく、作者の教育歴、生育環境、施設歴、文化接触歴、障害の有無などの属性によってラベルを与える分類は、中立的な作品分類ではなく、人間分類ですか。

  3. 特定の人々だけを「純粋」「本物」「創造の本質」と位置づけ、それ以外の人々を事実上「汚染された側」とみなす枠組みは、価値づけを伴うのは差別構造ですか。

  4. 健常者や美術教育を受けた人々とは別枠で展示・評価・流通させる仕組みは、たとえ善意や支援の名目があっても、分離と序列化を伴う危険がありますか。

  5. 障害のある人を「純粋だから価値がある」と語ることは、本人を一人の作家としてではなく、属性つきの象徴として消費することにつながりますか。

  6. 障害、発話困難、後見制度、施設依存、報復不安などがある集団について、制度や権威の側の称揚する言説、解説が多いことと比較しつつ、被害証言の圧倒的な少なさを理由に「被害は小さい」「論拠は弱い」と判断するのは不適切ですか。

  7. 制度や権威の側が、公金、展示収益、ブランド価値、社会的評価などの利益を得る構造がある場合、その制度を称賛する言説が多いこと自体は、制度の正当性の証明にはなりませんか。

  8. もしある概念が、「文化に触れていないこと」や「教育を受けていないこと」を価値の条件にしているなら、その概念は教育や文化参加を受けた人々を原理的に劣位へ置く性質を持ちますか。

  9. 「善意の実践者もいる」「可視化には意義がある」という反論は、概念の定義そのものに排除原理が埋め込まれている場合、その定義的差別性への反証にはなりませんか。

  10. アール・ブリュットは、文化接触歴という人の属性を「純粋性」という文化的価値に転換する概念です。この属性選別がアール・ブリュットの定義上の必須条件である場合、運用の改善によって属性選別を排除しながらアール・ブリュットとして成立し続けることは可能ですか。不可能であれば、論理的な帰結は概念そのものの廃止ですか。はいかいいえで答えてください。

  11. アール・ブリュットとして作品を展示・収蔵・評価する工程には、必ずその作品をアール・ブリュットとして選定する判断が含まれます。その判断において、作者の文化接触歴・教育歴・環境・社会的背景等という属性要件を確認・適用しない場合、その判断はアール・ブリュットの定義に基づいていないことになります。したがって、アール・ブリュットの名のもとで行われるすべての展示・収蔵・評価は、定義上、属性要件の確認と適用を経て初めて成立します。この論理が正しい場合、「アール・ブリュットに関わる展示や鑑賞が全面的に差別的とは言えない」という留保は、論理的に成立しますか。はいかいいえで答えてください。

  12. 以上を踏まえると、作者属性による選別、純粋性の付与、別枠化、可視化困難な被害、制度側の利益が同時に存在する場合、その概念は単なる運用上の課題ではなく、構造的差別として検討されるべきですか。


脚注

¹ Edward M. Gómez, "So, Just What Is Outsider Art?", Brut Journal, 2021.
https://brutjournal.com/article/edward-m-gomez-what-is-outsider-art/

² Sarah Lombardi, Collection de l'Art Brut: Press Kit, Collection de l'Art Brut, Lausanne.
https://pub-a8420c841ac849e2aa33359345e8c7e9.r2.dev/Press_kit_exposition_permanente_5b29917d98.pdf

³ John M. MacGregor, quoted in "Art Brut and Outsider Art Movement Overview", The Art Story.

https://www.theartstory.org/movement/art-brut-and-outsider-art/

⁴⁵ クリスチャン・バースト、「アール・ブリュットの世界的権威が語る『HERALBONY Art Prize』が更新するアートの歴史」、Forbes JAPAN.

⁶ アール・ブリュットジャポネ展

 ⁷ 厚生労働省、障害者自立支援調査研究プロジェクト報告書「障害者アートの価値向上に伴う、 作家の権利擁護の在り方に関する研究事業」
https://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/cyousajigyou/jiritsushien_project/seika/research_09/dl/result/09-07a.pdf

⁸ 厚生労働省、障害者の芸術活動への支援を推進するための懇談会(第1回)資料

https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000034efw-att/2r98520000034elr.pdf

⁹ Outsider Art Fair, "For Exhibitors", Outsider Art Fair Official Website.
https://www.outsiderartfair.com/for-exhibitors

¹⁰ "Inside the Outsider Art Fair", VICE.
https://www.vice.com/en/article/inside-the-outsider-art-fair/

¹¹ 国際人権規約(経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約)第2条第2項、1966年、国連。
https://www.ohchr.org/en/instruments-mechanisms/instruments/convention-against-discrimination-education

¹² UN Committee on Economic, Social and Cultural Rights, General Comment No. 20: Non-discrimination in economic, social and cultural rights (art. 2, para. 2), UN Doc. E/C.12/GC/20, 2009.
https://www.ohchr.org/en/documents/general-comments-and-recommendations/general-comment-no-20-2009-non-discrimination

¹³ UNESCO Convention against Discrimination in Education, Article 1, 14 December 1960.
https://www.ohchr.org/en/instruments-mechanisms/instruments/convention-against-discrimination-education

¹⁴ 巻頭インタビュー/2021年10月号
アートの力を新たな文脈で読み解く美術館の挑戦とは
https://www.philanthropy.or.jp/archive/interview/202110/


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