美輪明宏 『Bon Voyage』を聴き比べて
私は、美輪明宏様の『Bon Voyage』をよく聴き込んでいるのだが、この曲は何とも素晴らしいものだ。
『Bon Voyage』はYouTubeでも視聴できるが、約10分にも及ぶ長大な曲で、演劇と楽曲が一体になった作品だ。語りから始まり、曲へと移行する、然し、ミュージカルではない。
『Bon Voyage』は、18歳の令嬢が、悪い友達に連れられて港へ行く、そこで、様々な人々、様々な世界があることを知り、一気に世界が開け、そこで出会った素晴らしく美しい青年に心を奪われてしまう、然し、けれども、友人は、「気を付けて。あの男、多分女で飯を食ってると思う。あんた、着いてっちゃだめよ」、と忠告する、の、だが、恋は盲目、一人で会いに行き、男と仲良くなり、遂にはプロポーズされる、の、だが、親には反対され、家に閉じ込められてしまうが、恋する乙女は強く、そこから脱出、男の元へと向かい、彼に優しく抱かれる、の、だが、結婚しても財産が手に入らないことを識ると、男は一点して冷たくなり、いつしかドメスティック・バイオレンスが始まり、更には女衒的に、少女を港町に立たせて客を取らせる、立派なヒモになる。
語りの中で、少女は、「お決まり通り、転落の詩集を綴って」、と言うが、まさに、王道、ザッツ王道の転落劇、後半は、時が経ち、中年になった女の人生の悲喜こもごもが語られるのだが、前半の未通娘と荒地の魔女的な荒んだ演技、この落差、この表現力、素晴らしい、という他にはない。
この曲は、様々なCDに収録されているが、それぞれ収録環境などが異なり、聴き比べるのがこの上なく楽しい。1981年9月(46歳)の銀巴里での音源『喝采』、1994年(59歳)の渋谷ジァン・ジァンでの音源『 ジァン・ジァンライブ'94』、2013年(78歳)の『BRAVA DIVA MIWA』での音源、それからYouTubeでの音源、などなど、これらを聴き比べると、その時代、年齢、それら全てが一つの楽曲の中、演目の中で反響し合い紡がれている。
一つの曲、というのものが、本来は、一つだって完成されているものがないことを、この語り、という部分が大分を構成する『Bon Voyage』においては、如実に示されている。
楽曲は、歌い手により異なり、その歌い手の中においても、年齢や円熟度合い、若さ、心理状況、様々で異なり、どこで上手くピースがハマるのか、それはわからない。
『喝采』版の『Bon Voyage』は、まずは場所が狭いことも関係しているかと思うが、語りは静かで、そして、この物語を語る一人の港に立つ女、彼女のあどけなさと若々しさが表現されている。
『喝采』版は、先述した通り、美輪様もお若い頃だからか、どこか悪戯っ子めいた印象を受ける。
『両親には内緒で会いに参りましたの』と、いう、セリフ、この台詞におキャンな性質が出ており、他と印象が異なるのだ。他のバージョンでは、もう少し淑やかさがあって、より処女のイメージが出ている。
それから両親の、『そんなお前、そんな男と結婚したらうちの財産はお前には一文もいきませんよ』と、いう台詞、これも、表現が大きく異なり、『喝采』版では驚きと怒りがダイレクトに出ているのだが、『ジァンジァン』版では、冷徹な母親感が出ていて、これもまるで違う。これ以降は、こちら側にシフトしていく。感情表現の扱い方が、他の舞台作品の影響などもあって、変遷していく感じがある。
語り、が入ることにより、それぞれのキャラクターの演じ方の異なりで、演劇的に作品の印象まで変わって聞こえる。
若い頃のバージョンでは、ヒモに騙された女性の悲劇性が全面に出るが、年齢を重ねていくうちに、悲劇よりも悲喜劇的に、滑稽さを笑うかのように、然し、それでも、その奥の純粋さや老いてなおの恋心が仄見えるかのように、より複雑性を増して、作品が磨き上げられていく。
同じものを、同じ作品を、一人の演者、更には、古典であるのならば、大勢の演者、世界中の演者たちが演じるわけだが、これこそが、作品の豊かさと玉を磨くこと、天上への架け橋に他ならない。
これと同様に、『老女優は去り行く』という、この作品も中途に語りがあるのだが、これは傑作、語り部分はわずか5分ほどだが、一人の女優が全盛期からの転落、地を這うようにして再びスポットライトを浴びるまでの演技をものの見事に演じている。喜怒哀楽全て詰まっていて、表現力が海のようである。
で、やはり、『もののけ姫』、こちらに美輪明宏をキャスティングするその慧眼、やはり、美輪様が一人いるだけで、最早、作品の格が一気に上る。
このレベルは、最早、マーロン・ブランドくらいしかいないのである……。
