大野一雄、ギリヤーク尼ヶ崎、そしてネテロ
大野一雄とギリヤーク尼ヶ崎は雰囲気が似ている。
どちらもご高齢だ。大野一雄は103歳まで生きて、ギリヤーク尼ヶ崎さんは御年94歳、どちらも顔を白塗りにしている。モダンダンス、大道芸、そして、暗黒舞踏。
そして、どちらも北海道函館市出身。
どちらもが肉体を使用した芸術だが、それぞれが、詩人とも言える生き方をしている。
詩人、何をもって詩人なのか、まぁ、それは、たくさんの方、多くの方、皆々様方の思想や考え方があるわけなので、私の考え方などその一つでしかない。何を持って詩人なのか、それはまた書こうと思う。なにせ、私は、嘘詩人をたくさん見てきたのだから。今だって、嘘詩人はすぐにわかる。
然し、大野一雄、ギリヤーク尼ヶ崎、彼らは、詩人の心にも響くようだ。
大野一雄はモダンダンサーとして活躍して、土方巽と組んで様々な活動
(土方巽に対して松山俊太郎は心酔していたけれど、あいつは騙されている、土方巽こそ俗の最たるもの、と暗黒プロデューサーに指摘されていた)をして、そうして70代に入って、『ラ・アルヘンティーナ頌』という作品で、海外でもウルトラにブレイクした。

70代で新しい鉱脈が掘り出される、無論、それまでの蓄積が花開くわけだが、いや、花開いていたものが気づかれるわけだが、そんなこと、あるのだろうか。いや、稀にしかないだろう。
表現において、なにか、若いほどいい、という考え方があって、それは正しいと思うし、若さは最大の武器であり、感性は限りなく日々枯渇していく露であるのだから、花は若い頃にこそ美しく咲く、咲くのだが、然し、こう、ネテロ、じゃないけれども、継続、そして執念、これが、不可思議なことに、ラフレシアの如く奇怪な花を咲かすこともあるのである。
(どうでもいいが、若い頃の大野一雄は、それはもう色気たっぷりであり、全然キャラクターが異なるので、検索してちょ)。
つまりは経験であり、つまりは年の功であり、つまりは蓄積であり、つまりは信仰である。信仰は、幼い頃に完成を迎えて、そうしてだんだんと疑念が湧き、それが1周回ってもう一度信じる、それは聖なるものへと転換する。それは時間がかかればかかるほど、強固になるものであって、大抵は、その自分のスタイルが完成する前に、名誉、金、異性、それらの我執、自尊心、欲望に飲み込まれて、諦めていく。
だからといって、年老いてそれらの煩悩が無くなることはないけれども、然し、けれども、清濁を併せ持った鈍色の玉が、気づくとこう、輝いていたりするのである。
そして、大野一雄にせよ、ギリヤーク尼ヶ崎にせよ、どちらも、肉親への思いを作品に昇華していることを忘れてはいけない。
大野一雄の『私のお母さん』、ギリヤーク尼ヶ崎の『念仏じょんがら』。
結句、芸術とは自叙伝であり、そこに登場するのは、肉親であり、大切な家族であり、時に恩人友人であって、そういった、自分を形作るものを持って芸術を形作ることが、芸術家の役目ではないのか。
それが、評価、金銭、称賛、そういったもの、移ろいゆく陽炎のような、そういうものに囚われてしまう、まぁ、それが普通であり、例えば、note、なら、スキ、とかあるわけだが、まぁ、そういうもの、に、囚われる、そういうことから解き放たれるために、自分の表現を磨いていくことこそ必要だ。スキは、好きではない。好きは、特別な感情だ。好き、は、めったに手に入れられるものではない。特に、芸術においては。
然し、まぁ、生活もあるわけで、こう、自分のしたいことだけして生活をする、糊口を凌ぐ、っていうのは中々難しい。妥協、してしまう。美味しいものも食べたいし、暖かい場所で寝たいし、きれいなお洋服だって着たい。健康で文化的な最低限度の生活を送りたいわけだ。
芸術にだけ没頭する、それはやはり難しいことではある。あるのだが、然し、まぁ、流されずに、甘い水に惑わされずに自分の表現を磨くことは、日々の生活や仕事を続けていく中でも可能なことであるし、成果というものは逃げないのだ。無論、実を結ぶかどうかは誰にでも定かではないが。然し、誰もが功を焦ってしまう。
車谷長吉は、著書、『癲狂院日乗』において、若い頃、そう、彼は、芥川賞候補だったし、将来を嘱望されていた作家だったけれども、称賛を浴びることはなかなか遠く、直木賞を獲って、ようやくバブルが来たのだが(そしてバブルというものは常に弾ける)、売れない頃に、「お先にどうぞ」というマインドを教えられて、それで随分楽になったそうだ。
お先にどうぞ、と、いうのは、精神衛生上、いいのかもしれない。まぁ、それもまた、いずれは称賛を、と、いう、少しばかり、まだ我執が残っているが、然し、何れにせよ、お先にどうぞ、という心意気で、自分の芸術を磨くこと、そうすれば、気がつけば花が咲いている、そういうものである。
そういえば、ギリヤーク尼ヶ崎さんは、『豚鶏心中』に出ているのだという。まじか、どこに出ていたんだ……。
何もかもご破算にして。そこから立ち昇るものがあなたのものだ。
