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日本人とは何か(前編)──太陽を求めて東へ歩いた人々の末裔

「日の本」という祈り

「日本」とは何か。 この国名の原義は、「日の本(ひのもと)」──つまり、太陽の昇る場所、という意味である。

七世紀末から八世紀初頭にかけて、それまで「倭(わ)」と呼ばれていたこの島国は、対外的に自らを「日本」と名乗るようになった。中国大陸から見て東の果て、太陽が生まれる方角にある国。それが「日本」だった。

しかし私は、この国名にはもっと古い、もっと根源的な意味が込められていると感じている。

なぜなら、この列島にたどり着いた最初の人々こそが、文字通り「太陽の昇る方角」を求めて歩き続けた人々だったからだ。「日本」という言葉は、国家が誕生するはるか以前から、この土地に向かって歩いた古代人たちの信仰と祈りそのものだったのではないか。

数万年前の「東への旅」

現在の遺伝人類学が明らかにしつつある人類移動の歴史は、壮大なものである。

数万年前、アフリカを出た人類の一団がアジアに到達した。彼らは「Y染色体ハプログループD」と呼ばれる、父から息子へと受け継がれる古い遺伝子マーカーを持っていた。この系統は、東アジアにおける最古層のひとつと考えられている。

彼らはかつて、アジアの広い範囲に暮らしていたと推測される。ところがその後、内陸部で農耕を始めた別の集団(ハプログループO)が人口を増やし、四方へと膨張していく。古いDの人々は、この新しい波に押され、混じり合い、大陸のほとんどの地域から姿を消してしまった。

しかし、残った場所がある。 チベット高原。ヒマラヤの壁に守られた天空の大地。 インド洋のアンダマン諸島。絶海の孤島。 そして──日本列島。海に隔てられた東の果ての島々である。

ここで、慎重に付け加えておかねばならないことがある。 日本人・チベット人・アンダマン諸島の人々が、いずれもハプログループDを高頻度で保持しているのは事実だ。しかしこの三者は、決して近しい親戚ではない。

日本のD1a2a、チベットのD1a1、アンダマンのD1a2bは、分岐してから実に五万三千年以上を経ている。これは、東ユーラシアの集団と西ユーラシアの集団が枝分かれした年数よりも長い。

つまり彼らは、兄弟ではなく、気の遠くなるほど昔に別れた「遠縁」なのである。同じ古い枝から生まれ、それぞれ別の袋小路にたどり着き、そこで生き延びた。

さらに特筆すべきは、日本列島のD1a2aは、この列島に到達したのち、三万七千年から三万八千年ほど前に「この土地で生まれた系統」だと考えられていることだ。大陸から完成形で運ばれてきたのではない。歩いてきた人々が、ここ日本で新しい枝になったのだ。

彼らは「追いやられた」のだろうか。 それとも、自ら東へ東へと歩いたのだろうか。

おそらく、その両方だったのだろう。背後から押し寄せる新しい集団の圧力に押されながら、同時に、毎朝東の空から昇ってくる太陽に導かれるようにして、彼らは歩き続けた。

そしてある日、目の前に広大な海が現れ、その向こうに緑の島々が見えた。そこが、彼らの旅の終着点だった。 太陽が海から昇る場所──「日の本」である。

海が守った「行き止まり」

日本列島という「行き止まり」は、到着した人々に二つの贈り物を与えた。

一つは、古い系統の保存である。 海という天然の障壁が、大陸で起きた大規模な集団の交替から島の人々を守った。もちろん弥生時代以降、大陸から新しい渡来人が流入することになる。しかし列島の先住者──縄文人──の血は完全に置き換えられることなく、現代の日本人のなかに確かに受け継がれている。アイヌの人々に至っては、この系統が八割以上という高頻度で見られる。

そしてもう一つの贈り物が、言語の独自性である。

日本語には、親戚がいない。 英語にドイツ語という兄弟がいるように、スペイン語にフランス語という姉妹がいるように、日本語にも家族があるはずだ──近代の学者たちはそう考え、必死に探し求めた。

しかし、その探求は、やがて思いもよらぬ場所へ行き着くことになる。 学問が、侵略の道具に変わっていくのである。

(後編へつづく)
#日本人論 #遺伝人類学 #縄文 #ハプログループ #日本語

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