夏野菜のパスタと、二丁目の梅酒ソーダ
今から10年前。社会人5年目を迎えた夏、会社に行くのをやめて無職になった。
何もかもが自業自得なのだが、その頃の私は、次から次へと押し寄せる仕事量に追われ、何を誰のために作っているのかもわからなくなりながら、チームの先輩や同僚が一人、また一人といなくなるオフィスで、山になったデザイン画やサンプルに生き埋めになる日々を送っていた。
ある朝、血便が出たので不謹慎だが小さくガッツポーズをし、そのまま一日休み、次の日も、その次の日も起き上がることはできず、私はそのまま会社を辞めることにした。
数日間、マンションの自室にこもり、カーテンを閉め切って廃人のように過ごした。たまにスーパーへ買い出しに行き、冷凍食品の棚のガラスに映るボロ雑巾のような自分に「うっ」となりながら、そそくさと部屋へリターン。同じDVDを繰り返し再生し、時間感覚も失ってしまうと、どうせ居ないのと同じなのだからこのまま消えてしまいたいと思い始めていた。
有給を消化しつつ転職活動も始めてみたが、沼に飛来し今にも沈んでしまいそうなビニール袋にでもなった心地がした。私もビニールと同様に身軽であるはずなのに、結局は泥に足を取られてどこにも行けないのではないかと、ただただ惨めだった。
そんな私のところへ、高校からの友達であるS君が現れた。彼は一度大学を卒業したあと、浪人の末に医大に通っていた。
「無職になったから、平日でもあそべるね」
と、ふらりと実家から届いたばかりのトマトやきゅうりを抱えてやってきた彼は、何も聞かず、台所に立ってトマトとベーコンのパスタとサラダを作ってくれた。数日ぶりに口にするカラフルなお料理のおかげで、少しずつ視界に色がつき始めた。
食後、家の近くにできたばかりのブルーボトルコーヒーへ行った。無職の分際で、一杯600円以上するアイスカフェラテを片手に、夏の夕方の湿った空気の中、近くの公園のブランコをベンチ代わりに色々な話をした。
彼と話していたら、価値がない自分自身のことも、再び立ち上がるためのハードルが途方もなく高いことも、カップの水滴が公園の地面をポタポタと濡らして汚していくのと同じく、抗えない摂理として受け止めるしかないような気がしてきた。
それと同時に、ブランコでふわっと体が宙に浮くのを感じて、「よし、どこかへ行かなきゃ」という気持ちになった。今がどんなにクソみたいな状態であっても、いつか「どうにかなった日」を私は彼に見せなきゃいけない気がしたからだ。
夕暮れに消えていく彼の背中を眺めながら、彼が着ていた黒猫のTシャツを「かわいい」と伝えるのを忘れてしまったことに気がつき、次に会うときはもう少しシャキッとしなければと思ったのをよく覚えている。
一ヶ月後。
運命的に出会った人とのご縁で新しい仕事が決まった。それをS君に伝えると、「かわいいカフェあるから行こ」と、彼の友達が働いているカフェに誘ってくれた。食事の最後、運ばれてきたデザートプレートにはなんと、「転職おめでとう」の文字。
「デザートプレート、フラッシュモブ並みに嫌いだって言ってたけど」とS君は笑っていたけど、「もうそんなこと言わないよ絶対ー!」とろうそくの火を消しながら不意に視界が滲んだ。
そのあと、飲み直そうと新宿の街を二人で歩いていると、S君の携帯が鳴った。
彼は普段、新宿二丁目の小さなゲイバーでアルバイトをしていた。その日は休みのはずだったが、店長であるママから「急用で店のオープン準備ができないから、代わりにやってほしい」と緊急の電話が入ったのだ。
「遊ぶのはまた今度でいいから、バイト行きなよ」
と私は言ったが、S君は「氷とか死ぬほど買わなきゃならないから手伝って」と私を離さなかった。
スーパーを何軒か回り、重い氷の袋を両手に下げて、雑居ビルが立ち並ぶ新宿二丁目の路地を歩く。初めて足を踏み入れるその街は、まだ夜が始まったばかりで、静けさに満ちていた。
とあるビルの一室にある小さなバー。
開店準備を進めるS君の横で、手持ち無沙汰なまま窓の外を眺めていると、19時半を過ぎたあたりから街の灯りが少しずつつき始め、人通りも少しずつ多くなってきた。そして、ビルもだんだんと賑やかに。
階段を上がる足音、扉が開く音。同じビルのママたちが、お祝いを持って次々と現れる。その日は、この店の周年だったらしい。
S君は、ママが所用でまだ店に辿り着いていないことを伝えながら、誰からどのお祝いをいただいたのかをこっそりメモをしていた。しっかりしてる。偉い。
「あんた、この子どっから持ってきたのよ?」
どこかの店のママがS君に尋ねる。
S君が「高校の同級生だよ」と答えるのに続いて、「今、無職で、今日は彼にご飯をご馳走になったんです」と正直に答えた。
するとママは豪快に笑い、
「それでタダ働きさせられてんのね!」
と、なぜかタッパーで持参していたチキンカレーを食べさせてくれた。ほろほろの鶏肉、ルーは甘口でなんだかホッとする味だった。
20時半を回ると、小さな店内はあっという間に人でパンパンになった。
「そろそろ帰るよ、邪魔になるし」とS君に伝えると、「ママが来るまで待ってなよ」と言われてしまい、S君から指示された小さなスツールにちんまりと座っていた。
楽しそうな人たちの声や、グラスの触れ合う音。
ただそこに居ることが許される空気があって、「帰るよ」と言いながらも、ずっとここでぼーっとお客さんの話を聞いていたいと思った。
しばらくすると、ママが到着した。
どうやらS君から事情を聞いていたようで、
「手伝ってもらっちゃってごめんなさいねー!なんでも好きなお酒、好きなだけ飲んで行って。何がいい?」
と常連さんたちが待ち構える中、私にも声をかけてくれた。スラリと背が高くて短髪がかっこいいママのことを、一目見て私も好きになってしまった。
「それでは、お言葉に甘えて『梅酒のソーダ割り』をお願いします」
と言うと、ママ自ら琥珀色の綺麗な梅酒ソーダを作ってくれた。
「改めましてはじめまして。そして、今日はありがとうございました」
ニコリと微笑むママと乾杯をして、なんだかお手伝いを褒められた子供のような気持ちになってしまった。
カウンター越しに、手際よくお酒を作り、普段はあまり饒舌ではないS君が楽しそうに常連さんと話している姿を見ながら、
「私もこういう居場所が欲しい」
と強く思った。
それから一時間ほど、隣り合わせたお客さんと吉祥寺のグルメ話で盛り上がり、店を出ることにした。ママが彼に「駅まで送ってあげなさい」と合図をくれた。どこまで素敵なのだママ。
外に出ると、二丁目の夜は最高潮に達していた。
そっか、金曜日か。笑い声や漏れ聞こえる音楽、控えめなネオンの光に後ろ髪を引かれながら、新宿三丁目駅へ向かった。6センチのヒールを履いていたからか、普段よりしゃんと背中が伸びた気持ちになっていた。
道すがら、私はS君に言った。
「いい店で良かったね」
彼は「そーおー?」と言いながらも、やっぱり嬉しそうだった。
そして駅に到着すると、
「いい職場だといいね」とS君が一言。
その言葉に、また泣きそうになった。
あれから気がつけば10年。
この夏のことを、私は「仕事ってなんだっけ」と立ち止まるたびに思い出している。
私にとって仕事とは、自分の大事な居場所の一つであり、その中で誰かのためになることを形にすることだ。「誰かのために」も「誰かの居場所」も、概念としてはどこまでも曖昧なものだけれど、あの夏野菜たっぷりのカラフルなパスタや、梅酒ソーダのように、誰かにとってのあたたかい居場所や、少し日常を変えてみようと思えるきっかけを与えられるような仕事を目指していたりする。
時を経て精神科医になったS君とは、今も変わらずの関係で、日常的にどうでも良いTikTokの動画ばかりシェアし合っている。彼はあの頃のことも、今の私のことも、特別に深掘りしたりはしない。
けれど、私がまたぷっつりいかないか、彼はいつだってその「どうでも良い動画」のやり取りの行間で、そっと見守ってくれているような気がする。
ただ黙って、手際よく作ってくれたカラフルなパスタや、「そこにいていいよ」と差し出された梅酒ソーダ。そんな無職時代の景色が、今も私を支えている。
