【映画】「木の上の軍隊」感想・レビュー・解説
なかなか面白い物語だった。どこまで実話か分からないものの(恐らく本作に関しては、描かれていることは概ねフィクションではないかと思う)、ただ、「終戦を知らないまま2年間も木の上で生き延びた兵士がいる」という点は事実なのだろうし、その事実だけですごいものだなと思う。横井庄一や小野田寛郎は有名だろうが、本作で描かれている話はまったく知らなかった。
さて、「概ねフィクションだろう」と考えた理由は、本作の元になっているのが、井上ひさしの戯曲のみを上演する演劇制作集団「こまつ座」の舞台だからである。恐らく、事実ベースというよりは、「木の上で2年間耐え凌いだ」というエピソードを元に、フィクションとして構築した物語なんだろうと思う。
しかし、舞台演劇でやる分には「ワンシチュエーション」だからむしろやりやすいと言えるかもしれないが、映像作品となるとなかなかハードルが高いだろう。木の上に登るまでのパートでは、銃で撃ったり爆撃があったりと色んなことが起こるが、木に登ってからは基本的に「かくれんぼ」である。最初の内は米兵に見つからないように、行動するのは夜だけ、昼間は木の上でじっとしている、しかも見つからないように会話もほとんどしないのだ。そんな条件下で物語を展開させないといけないのだからなかなかハードルが高かっただろうと思う。まあ、木の上での生活も長くなってくると、米兵の影も薄くなるので、昼間動いたり、木の上でも普通に喋ったりするようになるが、それにしてもである。
というわけで、ざっくり内容を紹介しておこう。
舞台となるのは、沖縄県伊江島。終戦もほど近い1944年の10月、この島には飛行場が多数建設されていた。沖縄で本土決戦が起きるという見通しがあり、その最終防衛ラインとして、沖縄本島から9km離れたこの伊江島を重要拠点にしようというわけだ。
しかしある日、米軍からの爆撃により、島の住民や軍人が多数命を落とし、そしてそれを受けて大本営は、作ったばかりの飛行場の破壊を命じた。この島に、援軍は送らない、というわけだ。そして、ギリギリまで本土決戦を遅らせるために、伊江島では長期的な持久戦が命じられた。主人公の1人である山下少尉は、「この島はこれから地獄に突入する」と悲壮な宣言をしていた。
そして1945年4月6日、伊江島に米軍が上陸した。空からの爆撃と、米兵からの銃撃により多くの者が命を落とした。そして、山下少尉と、たまたま彼の近くにいた伊江島出身の若者である安慶名は、咄嗟に近くのガジュマルの木に登り身を隠した。
そしてそこから、長い長い2年間が始まるのである。
物語的な面白さで言えば、まず、「山下は軍人で、安慶名は島出身の若者だ」という違いを挙げられるだろう。安慶名からすれば、「住んでいた島に突然軍人がやってきて、俺たちの生活が奪われた」という感覚がベースにある。一方山下は、「日本のために最後の最後まで戦うべし」という昭和の軍人そのものみたいな性格である。そしてこの違いが、様々な軋轢を生むことになる。
個人的に一番驚かされたのが、「米軍が残した食べ物なんか食わない」という山下の決断である。状況を詳しく説明しはしないが、この時彼らはもう死にそうなぐらい腹が減っていた。安慶名はだから、米軍の残り物を見つけて「これで生き延びられる」と歓喜するのだ。しかし、同じように死ぬほどの空腹を感じているだろう山下は、「米軍が残したものを食うなんて非国民だ」と言って食うことを拒絶する。本作の中でもなかなか印象的な場面だと言っていいだろう。
こんなことを書いたら色んな人に怒られるかもしれないが、やはり僕は、第二次世界大戦中の軍人(特に階級が上の人)というのは、ちょっとおかしかったんだと思う。まあ実際には、国全体がおかしかったんだとは思うが、やはり、「まともな発想に基づく感覚」が失われていたんだろうと感じてしまう。
敵国であるアメリカが残した食べ物を拒絶する、というのは、戦時中の判断としては別に普通なのかもしれないが、僕には、合理的な欧米人なら「罠ではないと判断出来たら、敵国の食べ物だって普通に食べる」んじゃないかという気がする。「そんなこと言ってる場合じゃないだろ」としか思えないのだ。しかし日本は「非国民」という便利な言葉を使いに使い倒して他人(や自身)の行動を制約した。もう少し真っ当な判断が出来ていれば、戦争も、そう酷くならない内に終わりに出来たんじゃないかという気もするのだけど、どうなんだろう。何で知ったか記憶がないが、戦時中でさえ、「アメリカとの圧倒的な戦力差で日本は負ける」という検討がちゃんと行われていたという話も聞いたことがある。しかしそういう合理的な判断を「『日本が負ける』なんて話をするのは非国民だ」みたいな意味不明な理屈で退けてしまったのだろう。
嫌な時代だなと思う。
さて、そんな全然違う2人が、「木の上」に「2年間」という極限状況を経て、仲が深まったり距離が遠ざかったりと色々ある。その辺りの人間模様もなかなか面白く観られるだろう。
あとはやっぱり、堤真一と山田裕貴の2人の演技が実に良い。特に山田裕貴は、何だろうねあの絶妙な雰囲気は。おっちょこちょいだったり不真面目だったりおちゃらけていたり真剣だったりと様々な表情を見せるし、そしてそれらが「1つの人格の中に存在する」というリアルをちゃんと醸し出していたなと思う。ほぼ2人芝居みたいな物語なんだけど、主演の2人が見事なので、ずっと観てられるという感じである。
ただ、沖縄の方言なのか何なのか、ところどころ何て言ってるのか聞き取れないセリフがあって、それはちょっと難しいなと思う。例えばラスト付近で、「与那嶺は俺のこと、何て言ってた?」と山下が安慶名に聞くのだが、その返答は1ミリも聞き取れなかった。何て言ってたんだろうなぁ。
そしてそうかと思えば、映画のラスト付近で山下少尉が「安慶名!安慶名!」とずっと叫び続けるシーンがあるんだけど、僕は山田裕貴が演じたキャラの名前が「安慶名」だと、映画を観終えるまで認識していなくて(「安慶名」という音は作中で聞こえていたかもだけど、「安慶名」という苗字に聞き覚えがなさすぎて、たぶん苗字だと認識していなかったんだと思う)、だから、山下がずっと何を叫んでいるのか分からなかった。みたいなこともある。まあこれは僕の問題かな。
あと、エンドロールを見ていてびっくりしたのが、「ナレーション:松下洸平」と書かれていたこと。なかなか贅沢な使い方だよなぁ。どうして松下洸平がナレーションでのキャスティングになったんだろうか?
あと同じくエンドロールに、「ガジュマル制作」っていう表記があったので、たぶん、山下と安慶名が隠れていたガジュマルの木は、「どこかに生えていたものを使った」のではなく「そこに新たに植えた(移植した)」みたいなことなんだろうなと思う。そうだとしたら、それはそれでなかなか大掛かりな舞台装置である。ほぼ全編森の中という感じの映画だったから、撮影も大変だっただろうなぁ。
なかなか見応えのえる映画だったなと思う。
いいなと思ったら応援しよう!
サポートいただけると励みになります!