【映画】「隣人たち」感想・レビュー・解説

これはなかなか面白かったなぁ。ムチャクチャだったけど、ここまで振り切ってるならむしろ良いって感じはある。色んな要素が絡まり合うことで「何がどうなっているのか分からない」という印象を強く与える作品であり、狂気的で良かった。でも、内容的に言うと、邦題の『隣人たち』より、英題の『Mothers' Instinct(母性本能)』の方が良い気がするけど、どうなんだろう。『隣人たち』だと、ちょっと物語の焦点がぼやけないか?

というわけで、まずは内容の紹介から。

観ている時にははっきり分からなかったが、舞台は1960年代だそうだ(ケネディ大統領とか、その妻ジャッキーの話が出てくるのだが、それがいつの時代かピンと来なかった)。セリーヌとアリスは隣同士に住む親友で、どちらも結婚して息子が1人いる。お互いの家の合鍵を持っているくらいで、家族ぐるみでの付き合いだった。

2人とも家庭に入り日々家事などしているのだが、(たぶん)元新聞記者なのだろうアリスは、仕事をしたい気持ちが強い(ただ夫に、「そんなに書きたいなら学級新聞で書けばいいじゃないか」と言われている)。一方セリーヌは、「マックスに妹がほしかったけど、今のままで満足よ」と言っていた。何か事情があって、彼女はマックスを産んだ後、子どもを産めない身体になってしまったようだ。

さてそんなある日、悲劇が起こる。セリーヌの息子マックスが不慮の事故でバルコニーから落ちて亡くなってしまったのだ。悲嘆に暮れるセリーヌ。どう声を掛けたらいいか分からないアリス。そしてここから2人の関係はそれまでとは大きく変わってしまう。

マックスが落下した時の状況的に、「もしかしたらアリスが助けられたんじゃないか?」とセリーヌが感じている可能性があった。実際セリーヌは、マックスの死後、アリスのことを避けているようだ。しかし、その後セリーヌは、マックスが死んだ後のことをあまりちゃんと覚えていないと、拒絶する意志はなかったと伝え、謝罪する。セリーヌは、アリスの息子テオと仲良くしているのだが、しかしそんなある日、セリーヌの家に遊びに行ったテオがバルコニーに1人でいるのをアリスは庭で目にしてしまう。あんなことがあったばかりなのに、信じられない。セリーヌは、「テオを1人にしてたわけじゃなくて、私もここにいた」と弁明するが、アリスの疑念は膨らむばかり。

実はアリスは、両親の事故死が遠因となって精神的に不安定になっていた時期があり、精神科に入院していたこともある。だからアリスの夫は、妻が語る話を「妄想」と受け取り、病院に行くように勧めるのだ。

その後もセリーヌとアリスは、近づいたり離れたりを繰り返しながら関わりを続けていくのだが……。

というような話です。

本作は94分の映画なのだが、ホントにしばらくの間「どう展開するんだ?」と思いながら観ていた。マックスは映画のかなり冒頭で亡くなり、セリーヌは急変してしまうのだが、しかししばらくして落ち着きを取り戻す。もちろん、セリーヌが拭いようのない悲しみを抱き続けていることに変わりはないが、しかし、「セリーヌさえ気丈に振る舞えば、それなりにまた上手くやっていけるのでは?」みたいな状況になっていくので、それで「こっからどうなるんだ?」みたいに感じていたのだ。

さて、本作においてかなり重要になってくる要素が、「アリスの息子であるテオがセリーヌにかなり懐いている」である。正直、この要素さえなければセリーヌとアリスはそれなりの距離感にいられたんじゃないかと思うのだが(さすがに、かつてのような「親友」に戻るのは難しいかもしれないが)、テオがセリーヌに懐いているために、アリスは”余計な”詮索をするようになってしまう。

例えばだが、テオに「誕生会に誰を呼びたい?」とアリスが聞いた時、真っ先に名前が出てきたのが「セリーヌ」である。アリスが「他のお友達は?」と促しても、「おばあちゃんと、あとはセリーヌ。セリーヌが一番の友達だから」みたいに口にするのだ。

アリスとしてはやはり面白くはないだろう。自分が母親なのに、そんな母親よりもセリーヌと仲が良いように見えるからだ。それに、具体的には触れないが、アリスはテオを産んだ後でしばし不安定になっていた時期があり、そういうことも合わせて「テオがセリーヌと仲が良い」という状況にモヤモヤさせられるのだろう。

しかし、後半のある展開を踏まえると、「テオはセリーヌとアリスの仲を取り持つために敢えてセリーヌと仲良くしていたのではないか」という気もする。そう考えると、余計に話はややこしくなってくる。卵が先か鶏が先家みたいな話で、「マックスの死」がすべての起点であることは確かだが、それは除くとして、彼らの関係をややこしくしたきっかけだったのかの捉え方が難しくなる。

しかも、本作が面白いのは、「『マックスの死』がすべての起点であることは確か」という点さえ疑えるかもしれない、という点にある。これも具体的には触れないが、本作を最後まで観ると、「起点はもっとずっと前にあったのではないか?」とさえ思えてくるから凄いなと思う。

とまあ色んなことを考えられるわけだが、何にせよ、テオがセリーヌに懐いていたが故に状況が一層ややこしくなったと言えるだろうし、そのせいで様々な狂気が現出することになったのだろうなと思う。

あと、舞台設定が1960年代だからだろうか、全体的に「そこはかとなく失礼」みたいな描写が多くある。冒頭でアリスの夫が「俺たちは偶然子どもが出来たんだから、計画的にやれば云々」みたいなことをセリーヌとその夫がいる前で口にする。後に夫はアリスから「無神経よ」と窘められるのだが、いやホントその通りである。

また、テオから招待を受けたから参加した誕生会で、テオの父親の母親(おばあちゃん)がセリーヌに「みんな辛いんだから、招待されてもあなたは遠慮すべきだったわよ」みたいなことを面と向かって言うのだ。おいおい。まあ、これが欧米人らしさなのかもしれないが、傷口に塩を塗り込むような言い草に思えるし、さすがに酷いよねって感じである。

で、こういう無神経さ・失礼さも本作では割と散りばめられているが故に、それが「無神経」なのか「悪意」なのかみたいなことが分かりにくくなる。この点も、本作のぶっ飛んだ展開を土台から支える要素と言っていいように思う。

また、途中で気づいたので最初からそうだったのか自信はないが、本作では割と「手持ちカメラで、画面は常に揺れている」みたいな映像が多かった印象だ。カメラが固定されているわけではなく(少し前に「フィックス」という言葉を知った)、恐らく手持ちで撮っているが故に、画面が常に不安定に揺れているのだ。これも、登場人物たちの心情や関係性を直接的に表現する要素の1つという感じがするし、ザワザワさせられた。

あとはとにかく、「アン・ハサウェイのビジュアルが強い」ってのが印象的だったなぁ。何歳なんだ? と思っていたのだけど、どうやらほぼ同い年みたいだ。本作ではセリーヌもアリスも割と狂気的な感じがあって、そんな狂気をいかに醸し出すかが重要になってくると思うのだけど、アン・ハサウェイは「振れ幅」みたいな部分でそれを演出している感じがあって、とても印象的だった(一方のジェシカ・チャステインは、「深さ」で狂気を演出していたかな)。

あと、これは正直外見至上主義的な部分はあると思うが、「アン・ハサウェイのルックスだから、ラストシーンは成立しているように見える」ような気がする。いや、「成立している」と一般的に受け取られるのか分からないが、僕にはそう感じられたし、それはアン・ハサウェイのルックスありきという感じがした。うーん、どうだろう。

そんなわけで、個人的には結構楽しめたな。冒頭から不穏な雰囲気がバリバリ出ていて、でもその不穏さの正体はなかなか掴めず、何がどうなっていくのかイマイチよく分からないまま物語に翻弄されていく感じは凄く良かった。


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