【映画】「ショック・ド・フューチャー」感想・レビュー・解説
映画を観ながら、「七人の侍」のことを思い出した。
数年前、初めて「七人の侍」を観た時に、「この映画の何が凄いのだろう」と感じた。家に帰って調べてみると、「『七人の侍』がフィクションにおける『常識』を様々に創り出した」ということが分かった。
つまり僕たちは、「七人の侍」が革命を起こした後の世界に生き、「七人の侍」が生み出した「常識」を当たり前だと思っているが故に、「七人の侍」自体に驚くことが難しいのだ。
似たようなことをこの映画でも感じた。
映画の中で登場人物たちが、「未来の音楽」という言葉を度々口にする。そして、当然だが、その「未来の音楽」は、僕たちが当たり前に聞いているような音楽のことだ。
だからこそ、彼らが「未来の音楽」から感じた衝撃を、僕たちは体感することができない。
もちろん、今だって新しい音楽は次々に生み出されているだろう。特に、「DTM」と「ボーカロイド」によってそれまでとはまったく違う音楽が作り出されるようになっただろうし、音楽の革新というのは、常に僕たちの身近でも起こっているはずだ。
しかしこの映画で語られる「未来」の衝撃はやはり大きい。何故なら、映画で描かれるのは「楽器がなければ音楽が作れない」と考えられていた時代だからだ。
主人公のアナが、プロデューサーとやり合う場面は非常に印象的だ。非常に早口だったのでメモを取るのは難しかったが、アナが「機械による音楽が時代を変えるし、ロックはジャズと同じように富裕層がソファで聞く遺物になる。汚いライブハウスじゃなく、大自然に機材を置いてもっと音響を体感できるようにすればいい」と力説するが、プロデューサーは、「大自然の中にいるロボットが音楽を奏でるライブなんかに、誰が来るっていうんだ」とまったく理解を示そうとしない。
そんな時代に語られる「未来の音楽」は、僕たちの世界で革新がなされる音楽の変化とは、やはりまったく違うものだっただろうと思う。
知っている以上、知らない自分には戻れない。「未来の音楽」を作ろうともがいた人、そしてその傍で初めて「未来の音楽」を体感できた人、そういう人たちに羨ましさを感じる。
内容に入ろうと思います。
映画は、舞台がパリであること、1980年代以前であること以外、具体的な情報はない。僕は音楽にはまったく詳しくないので分からないが、「このアーティストの曲が流れているなら何年だろう」と想像できる人はいるかもしれない。
友人のミシェル(インドに行き、恐らく長いこと帰ってこない)の部屋を丸ごと借りているアナは、その部屋に設置されている巨大なシンセサイザー(プロデューサーが「コックピット」と呼ぶほど壁面を占拠している)を使って曲作りをしている。ミシェルの友人だというプロデューサーからCM曲を頼まれており、何ヶ月も部屋にこもって作業しているのだが上手くいかない。既に締め切りはとうにすぎており、明日にはクライアントに納品しないといけないという、まさにその前日が映画の舞台だ。
アナは、朝からハッパを吸い(この映画がPG12指定なのは、映画の間中誰もがハッパを吸いまくってるからだろう)、シンセサイザーをいじりながら構想を練るが、上手くいかない。途中でシンセサイザーも壊れてしまい、修理のために技術者に来てもらうことにした。
しかし思いがけないプラスもあった。なんとその技術者が、「リズムマシン ROLAND CR-78」を持っていたのだ(これが日本製だということも、映画を観た後公式HPで知った)。パリに3台しかなく、5000フランもする高級品だが、アナはひと目で気に入った。そして、ちょっとだけ貸してほしいと懇願する。
というのも、今日アナ自身が主催するパーティーに、音楽界の大物が来る予定になっているからだ。アナはそこで、作ったCM曲をかけ実力をアピールするつもりだったが、こんなリズムマシンが手に入ったらCM曲なんか作ってる場合じゃない。アナはプロデューサーに、CM曲は作れないと突っぱね、それから、リズムマシンを駆使して「未来の音楽」を作り始める……。
というような話です。
結構好きな映画だった。
映画を観る前はなんとなく、「アナには特定のモデルがいるんじゃないか」と思っていたのだが、最後まで観てみるとどうもそうではなさそうだった。映画の最後の方で、電子音楽の黎明期を支えた女性作曲家の名前がずらりと表示されたからだ。恐らくこの映画は、特定の誰かではなく、電子音楽誕生前夜の雰囲気を描き出し体感してもらうための映画なのだと思う。
音楽にはまったく詳しくないし、映画に登場する音楽も聞き覚えがあったりなかったりという感じ。でもこの映画を良く感じられた一番の理由は、やはり主演のアナがとても良かったからだと思う。
もの凄く美人だと思うのだけど(特に、パーティーのために化粧した姿は、最初誰だかわかんないぐらい別人だった。けど、化粧していない時の方が魅力的に見える。そういう演出だろうけど)、メガネを掛けてヘッドホンをしている姿に、とてつもなく「オタク感」がある。この映画では、「ある一日」しか描かれないので実際どうかは分からないが、アナが心を許している人物は恐らく数少ない感じがするし、そのすべてがきっと音楽関係の人たちだろう。好きなことには邁進するが、社交的に振る舞ったり、自分をよく見せたりすることには別に興味がない、というような雰囲気が、実によく出ていた。
なんというか変な話だが、彼女が画面の中にいれば、何も起こらなくてもしばらくずっと映像を観ていられるような、そんな雰囲気がある。この映画の冒頭は、アナが下着にTシャツを羽織っただけの姿でハッパを吸い、ただ寝転んでいたり、あるいは音楽に合わせてストレッチをしたりするという場面から始まる。そしてそんな、特別何も起こらない映像がしばらく続くが、アナの存在感がなかなか強く、全然観ていられる。
美人だから、というだけではなく、「自分が関心を持てることには全力でいられるが、そうでないことには興味の欠片も持てない」という独特の雰囲気が絶妙に醸し出されることで、アナを中心とした映像の強さが強調されるように思う。
またこの映画は、昔のフィルムで撮ったようなざらっとした画質の画面で構成されていて、それが「レコード」のような雰囲気を醸し出している。レコードやカセットテープの時代から電子音楽の時代へと激変するその狭間であるということが画質から伝わる気がするし、古さを帯びたその画質がまた、アナの映り方を引き立てている感じもする。
映画全体の構成としては、「ある一日」を描いているというだけではなく、場面がほぼアナの部屋で固定されているということも面白い。映画全体の9割ぐらいがアナの室内で展開される物語で、そのことが「アナが普段から部屋に閉じこもっていること」「後に才能が認められる人物がしばらく苦境を抜け出せないでいる状況」「電子音楽という新しいドアが開かれるその直前の世界にいること」などを示唆しているような感じもあって、上手いなと思う。
詳しい状況こそよく分からないが、この映画では男性偏重の音楽界についても描かれる。電子音楽かどうかに限らず、音楽の世界は男が中心だったということだろう。作曲家として認められたいが、レーベルの人間とアポをとっても「美人なんだから歌手になれば?」と言われるし、プロデューサーに「男なら遅れないわけ?」とアナが問いかけると「そうだ」と断言する。
そしてこういう状況だからこそ、電子音楽の世界の黎明期に女性が活躍したのだろう、とも思う。楽器を弾いて曲を生み出す世界は男が牛耳っていたのだから、女性はそうではない場所に活路を見出すしかなかった、ということはあるだろうと思う。
はっきり言って、何も起こらないと言えば何も起こらないのだが、妙に惹きつけられる映画でもあると思う。
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