【映画】「ザ・ブリザード」感想・レビュー・解説

こういう事実が、殊更に賞賛されることに、怖さを感じる部分はどうしてもある。

『これは沿岸警備隊史上、最高の救助と称されている』

無謀さが、常に成功を引き寄せるわけではない。これまで世の中には、数多くの無謀が存在し、そして恐らく、そのほとんどが不運な結末を招いたことだろう。この事実が賞賛されるのは、それがごく僅かの、稀な成功事例であるからだ。

『成功したんだ。戻りたいか?見捨てないぞ、僕がいる限り』

しかし、とはいえやはり、こういう無謀さと紙一重の勇気を持つ者たちの物語には、胸が熱くなる。不可能を可能にするのは、決して運ではない。しかし、平時から力を蓄え、綿密に準備し、可能な限りの力を出し切った後、それでももう祈るしかない、という時の運は、許容したい。賭けではなく、実力と知識に裏打ちされた努力に満ち溢れた物語であったことが、僕の胸を熱くするのだろう。

1952年、冬。それは起こった。
マサチューセッツ州ウェルフリートにある沿岸警備隊チャタム支局。バーニーはそこの沿岸警備隊だ。真面目な男で、規則を遵守する。“結婚は所長の許可を得なければならない”という形式的な規則も守ろうとするほどだ。バーニーは、ミリアムという電話交換手と結婚する予定だ。
酷い嵐の日だった。波は大荒れ、風も強く、雪も降りしきっていた。一隻のタンカーの船体が真っ二つに割れたという情報が入ってきたが、チャタム支局から外海までは、チャタム砂州という難所を通らなければならない。こんな大嵐の日に、砂州越えは不可能だ。誰もが口を揃えてそう言う。(着任して間もないのか)所長のクラフはその辺りの知識が乏しい。結局は周囲の意見を受け入れて、少し時間は掛かることになるが、別の支局から救助艇を出してもらうことになった。
そんな時、住民から、船の汽笛を聞いた、という通報が入る。間違いない、私は見たんだ、と。クラフ所長は決断する。バーニーに行かせる、と。バーニーは、他に三人の乗組員を募り、大嵐の中、通信も出来ないからどこにいるかも不明な難破船を探しに行くことになった。
仲間がバーニーに忠告する。砂州越えをしようと思ったが無理だったと言って戻ってこい、と。こんな嵐の中、砂州越えは無茶だ。
しかしバーニーにも、引けない理由がある。
一年前。遭難したランドリー号の救助に向かったバーニーだったが、砂州越えが出来ず救助出来なかった。同じ轍を踏むわけにはいかない。バーニーは、やるつもりだった。
遭難場所不明、遭難人数不明、魔の砂州越えをしなければ外海には出られない。そんな条件の元、定員12名の小型救助艇で、バーニーらはブリザードの中を行く…。
というような話です。

とにかく、迫力が凄まじい映画でした。ストーリーも良いですが、とにかく映像の迫力が凄い。僕は正直、何度か笑ってしまいました。いやいや、そんなの無理でしょ、と。バーニーが操縦する救助艇が荒波に揉まれまくるんだけど、どう見ても水没してるでしょ、という状態の中突き進んでいきます。一方のタンカーの方の映像も迫力満点で、その映像の強さに圧倒されっぱなしの映画でした。

内容紹介ではバーニーの話だけに絞りましたけど、この映画は三つの軸で成り立っています。一つが、救助に向かうバーニーの話。一つが、遭難したタンカーの話。そして最後に、バーニーの婚約者であるミリアムの話です。

バーニーの物語は、とにかく無謀さへの挑戦です。誰もが不可能だと言う救助作戦に、それでも向かうバーニー。もちろん実力はあるが、しかし実力だけでどうにかなるレベルの嵐ではない。さらにバーニーには、婚約者もいる。死ぬわけにはいかない。そんな中で“規則を遵守する”バーニーは、無茶な決断をいくつもして生還します。この救助活動の立役者であり、ヒーローであるバーニーの無謀さを楽しむパートです。

物語的に最も面白いのは、遭難したタンカーの話でしょう。
バーニーが救助に向かうペンドルトン号は、真っ二つになっていた。つまりこの日は、二隻のタンカーが真っ二つになるという悪夢ような日だった。片割れは既に沈没。機関室の溶接部から浸水したこともあり、操縦は不能。海水がなだれ込んでおり、この海水が、エンジンパイプに入り込んだら発電機が停止しジエンド。最も船に知悉しているシーバートは、4~5時間後に水没するだろうと判断する。

ここで船内では対立が起こる。救助艇を出すべきという一派と、救助艇を出すべきではないという一派だ。救助艇を出すべきと主張する側は、他に選択肢がないし、このまま船と一緒に沈むのは真っ平だから一か八かに賭けると言う。救助艇を出すべきではないと主張する側は、救助艇を出したところで一瞬で砕け飛ぶだけだと言うが、しかし代案を出せる者はいない。

そんな中、救助艇を出すべきではない派であるシーバートが、驚くべき提案をする。これが凄い。どれぐらい凄いことなのかは、当時の操船技術についての知識がないからちゃんとは分からないけど、しかしよくもまあそんなことやろうと思ったな、という決断をする。

それは、船乗りからすれば、無理に決まってる!と言いたくなるようなアイデアだった。だから、救助艇を出すべき派を抑えこむことは出来ない。

しかしそこで、シーバートがまたも驚くべき行動を取るのだ。これもカッコ良かった。船内ではリーダーシップを取るような人物ではなかったのだが、その行動以降シーバートは“大将”と呼ばれるようになり、今後の船の運命を一身に背負うことになる。

シーバートのいくつかの決断がなければ、恐らく全員死んでいただろう。シーバートの作戦がうまく行ったのは、相当に運の要素もあったとはいえ、シーバートは賭けに勝った。救助艇を出すという、一か八かでさえない賭けではなく、知力と体力を振り絞り、可能性の限界まで追求した賭けだった。

しかしそれでも、最終的に彼らに出来ることは、救助を待つことだけだ。無線は使えない、発電機が死に明かりも消えた。辺りはもう夜。そういう状態で彼らは待つしかない。でも、出来ることはすべてやった。あとは、待つだけだ。

待つことしか出来ないのは、ミリアムも同じだった。
ミリアムは、嫌な予感を覚えて、チャタム支局までやってきてしまう。バーニーがこの嵐の中任務に向かったことを知るや、ミリアムはミリアムが信じるやり方でバーニーを救おうとする。もはや、祈ることしか出来ない。

ミリアムは、何を考えただろうか?

思考のほとんどは、バーニーの無事を願うものだっただろう。しかしその中に、結婚した後の生活のことも過ぎったのではないかと思う。バーニーが救助に出る度に、私はこんな気持ちにならなければならないのだ、と思ったのではないか。

『バーニーの仕事です』

ミリアムのこの台詞を聞いて、僕は、ミリアムがその想いを払拭したのだ、と感じ取った。バーニーを待ち続けるこの不安と共に、バーニーと生きていこう。そういう決意を、この出来事をきっかけにミリアムは得たのではないかと思う。

『4/16の約束は、まだ有効?』

だからこそ、そう問われた時、ミリアムは躊躇なく返事をすることが出来たのだろう。

生きるために、救うために全力を尽くす彼らの奮闘ぶりを見ながら、僕は同時にこう思った。もし僕が所長なら、「戻ってこい」と命じることが出来る人間であろう、と。救える命は救うべきだ。しかし、誰かの命を犠牲にしてまで救うべき命があるのかと言えば、それは間違っていると僕は思いたい。それは、福島第一原発事故を、自らの命を賭して収束させた吉田所長を描いたノンフィクションを読んだ時にも思った。人が人を救う物語は素晴らしい。しかし、あらゆる要素を検討し、救わないという決断をした者も、同じぐらい賞賛されてもいいはずだ。僕は、そんなことを考えていた。

いいなと思ったら応援しよう!

長江貴士 サポートいただけると励みになります!