【映画】「ぼくの家族と祖国の戦争」感想・レビュー・解説
公式HPによると、「デンマークの人々にとっても知られざる実話」なのだそうだ。冒頭で「実話に着想を得た物語」と表示されたので、事実そのものではないようだが、しかし、状況設定は事実と考えていいだろう。
そしてその状況はまさに、最低最悪としか言いようがないものだった。
映画を観ている時には理解していなかったのだが、本作は終戦1ヶ月前を舞台にしているようだ(登場人物たちが「戦争はもうすぐ終わる」とよく口にしていたが、まさか終戦1ヶ月前とは思っていなかった)。舞台はデンマーク。1945年当時、デンマークはナチス・ドイツの占領下にあった。
そんな中、リュスリンゲで市民大学の学長として働くヤコブは、学生たちの教育に非常に力を入れていた。息子のセアンは、そんな父の後ろ姿を見ながら日々を過ごしている。自慢の父親だ。妻・リスも大学の運営を手伝っており、彼らの生活は基本的に、大学運営に密接する形で行われている。
そんなある日、ドイツの将校から緊急の要請がやってくる。デンマーク国内の学校や大学で、ドイツ難民を受け入れろというのだ。デンマークはドイツと協定を結んでいるとかで、拒否は出来ない。ヤコブは、200人もやってくるというドイツ難民の扱いに悩むが、理事長から「体育館を開放しよう」と提案され、そのつもりで準備をしていた。
しかし、ドイツ難民受け入れ当日、駅に向かうと、なんと532人もの人でごった返していた。聞いていた話の2.5倍以上だ。とてもじゃないが体育館に収容できる人数ではないが、ドイツの将校は聞く耳を持たない。ヤコブは532人を受け入れざるを得なくなった。
しかし、ドイツとの協定では「場所だけ提供すれば良い」ということになっているらしく、ヤコブら大学側はドイツ難民の世話をするつもりはない。デンマークでも当然「ナチス・ドイツ」は毛嫌いされており、「ドイツに協力した」となれば自分たちに飛び火するという事情もあった。だからヤコブは、532人のドイツ難民を体育館に押し込め、それ以上何もするつもりがなかったのである。校舎は明け渡さないので、学生への授業はそのまま行われた。
しかししばらくして、体育館の中でジフテリアという感染症が広まり始めた。少しずつ、死者が増え始める。ヤコブは、難民の中に唯一いた医者と話をするが、「薬を打つか、隔離するかしなければどうにもならない」と言われた。しかし、薬の提供も隔離場所の提供も「ドイツへの協力」と見なされてしまう。念の為デンマークの医師会に連絡してみたのだが、「ドイツの収容所にいるデンマーク人を解放しない限り、デンマークの医師はドイツ人を診ない」という返答だった。ヤコブは静観するしかなかった。
しかしジフテリアは、主に老人と子どもの命を奪っていく。このまま何もしなければ、幼い子どもが命を落としていくことは確実だ。大学の地続きの敷地内で、”敵”であるドイツ難民が日々命を落としていく。ヤコブにも彼らを助けたい気持ちはあるが、しかし、理事長ら大学の重鎮との会合では常に「ドイツに協力するな」と釘を刺される。学長という地位と家族の生活を守るためには、ドイツ難民に手を差し伸べるわけにはいかない。
そんな中、彼らはどんな決断をするのだろうか……。
というような話です。
ヤコブが置かれた状況を想像すると、そのあまりの酷さに絶句させられる。彼は無理やり難民の受け入れを強制された。確かに協定を踏まえれば、場所さえ貸せば問題ない。だから、感染症が蔓延する体育館に難民を詰め込んだまま何もせず終戦を迎えればいい。
しかし、そんな風に主張する者たち(理事長ら会合に出席する重鎮)は恐らく、大学から離れた場所に住んでいるのだと思う。そしてたぶんだが、ヤコブ一家は大学の敷地内で生活しているはずだ。だから、理事長らにとっては「憎き敵」という記号でしかないドイツ難民が、ヤコブたちにとっては「近くで生活をする者たち」なのである。この差はとても大きかっただろうと思う。
理事長や町の住民にとっては、「憎き敵」という記号でしか見えていないのだから、ヤコブたちがドイツ難民を手助けしようとした理由が理解できなかっただろう。しかし、同じ敷地内で生活をしており、日々死体が積み上がっていく様を見ていれば、やはり感じ方も変わってくるだろう。作中では、まず妻のリスが手助けをしようとするのだが、次第にヤコブも考え方が変わっていくことになる。
しかし、本作にはもう少しややこしい状況が組み込まれている。息子のセアンと、セアンが仲良くしているビルクである。
ビルクは医者の息子で、恐らく大学運営を手伝っている(学生ではなく運営側の人物だと思う)。ピアノが弾けるため、そういう意味でも重宝される存在だ。しかしある日、彼の父親が突然射殺されてしまう。ドイツ兵の仕業だった。デンマーク国内では、ナチス・ドイツに反抗するレジデンス組織が台頭しており、彼らがドイツ兵らに危害を加えることもあるのだが、ドイツ兵はその報復に、無差別に(しかし大きなダメージを与えられる人物を選んで)報復を行っている。ビルクの父親が、そのターゲットにされてしまったというわけだ。
ヤコブにとってビルクは重要な存在で、そんな彼の父親がドイツ兵に殺されているという事実がヤコブを躊躇わせる。ドイツ難民を手助けするような行為を、ビルクが許すはずがないと分かっているからだ。まず1つ、ここに大きな葛藤がある。
さらに、ビルクとセアンの仲が良いという事実もまた、ヤコブを悩ませる。セアンは12歳と幼いながらも、「”敵”であるドイツ難民を助けるべきではない」という明確な考えを持っている(ちなみに、セアンの妹はまだ幼いため、その辺りの事情が理解できていない)。セアンは自身の気持ちや感覚をあまり言葉にすることがないが、しかし、「次第にドイツ難民に手助けをし始める母・父」に対して、曰く言い難い感情を抱いていることは理解できる。セアンははっきりと、「そんなことは間違っている」と考えているのである。
そのことはもちろん、ヤコブもリスも理解している。ヤコブがドイツ難民にもっと積極的に手助けすると決めたシーンで、「家族に危害が及ぶかもしれないから怖い」と考えを変えたように見えるリスが夫に、「子どもにはどう言うの?」と聞くのだが、それに対してヤコブは「我々は正しいと伝えるさ」と返している。これはもちろん、「そんな風に説得しなければならない」ということであり、両親もまたセアンがドイツ人に対してマイナスの感情を抱いていることを理解している。
ヤコブは次第に、町の住民からも白い目で見られるようになっていく。「売国奴」「ナチスの手先」「町の面汚し」と散々なことを言われてしまうのだ。しかし、恐らくそれらはまだ我慢できたのではないかと思う。一番キツかったのは、セアンからの視線だろう。彼ははっきりとは口にしないものの、「どうしてお父さんはドイツ人を助けるの?」と訴えかけていることは確かだ。そしてそこにはさらに、「僕が尊敬していたお父さんなのに」みたいな感情も含まれていると思う。ヤコブもそのことを正しく認識していただろうし、その事実が何よりも辛かったのではないかと思う。
さらにセアンが、ドイツ人を徹底的に敵視しレジスタンス活動も行っているビルクと仲良くしていることもあり、余計にその視線が辛く感じられるだろう。ホント、ヤコブにはまったく非がないのに、とんでもない状況に置かれてしまったものだなと思う。
観ていて、ヤコブやリスに気持ちも分かるし、でもセアンの気持ちも分かる。ビルクの立場にいたらやはり「許せない」という気持ちが強くなるだろうし、ヤコブに暴言を吐く町の人たちの気持ちも理解できなくはない。だから本当に辛いなと思う。どの登場人物の立場に立ったとしても、「そういう風に振る舞うしかないだろうな」と感じる。何が正解ということもないし、とにかく「ナチス・ドイツ」と「時代」が悪かったと思うしかないような、そんな状況が描かれていた。
映画の最後に、「デンマークで死亡したドイツ難民は10942人で、その内子どもが6540人だった」と表示された。個人的には、そこまで細かい数字がよくも残っているものだと思うが、それはともかく、死亡者の内の半数以上が子どもだったというのも残酷な話だ。
ある人物がある場面で、「でも子どもだよ」と口にする。確かにその通り。「ナチス・ドイツが憎い」という感覚は当然としても、やはり子どもに罪はないだろう。せめて子どもぐらいは、「敵」である以前に「子ども」であると認識すべきではないかと感じた。しかしこれは、リアルを知らない者が口にする机上の空論に過ぎない。日本にも「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉があるが、なかなか「子どもだから」という捉え方ができなくなってしまうのも仕方ないだろうなと思う。
しかし、特にヨーロッパで制作される戦争映画に対して感じることだが、ナチス・ドイツは本当に最悪だったんだなと思う。よくもまあこれだけ「ネタ」(という表現は適切ではないだろうが)が尽きないものだと感じるくらい、ナチス・ドイツの蛮行はあらゆる映画で描かれる。もちろん戦時中であれば、日本を含めどの国も酷い行為を山程行っているだろうが、それにしてもナチス・ドイツはちょっとずば抜けて異常だったと感じさせられる。
ナチス・ドイツに限らないが、戦争に付随する「異常さ」を多くの人が理解することが「抑止力」に繋がると思っているし、そういう意味でも多くの人に知られるべき事実だろう。世界全体が平和であってほしいと思っているが、しかしやはり、どうにか日本が戦争に巻き込まれないでほしいと思う。もちろん、主導もしないでくれ。
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