【映画】「マリリン・モンロー 私の愛しかた」感想・レビュー・解説
以前、オードリー・ヘプバーンのドキュメンタリーを見た。親からの愛を求め続け、また、ずっと劣等感を抱き続けた人生だったという紹介だった記憶がある。そして本作『マリリン・モンロー 私の愛しかた』で描かれるマリリン・モンローもまた、同じような感じだった。というか、生い立ちだけで見れば、オードリー・ヘプバーンよりも遥かに辛いと言っていいだろう。
というわけで、まずはその辺りの話から始めたいのだが、その前に1つ、作中でとても印象的だったフレーズがあるので紹介しよう。マリリン・モンローは本名をノーマ・ジーンというのだが、ある人物が、「マリリンがノーマ・ジーンを乗っ取ったのだ」と話していたのだ。これは非常に興味深い表現だった。マリリン・モンローはとにかく、「人々が抱く幻想を完璧に演じ続けた」のだそうだ。それは彼女を苦しめもしたわけだが、彼女はそんな風にしか生きられなかったのも確かである。そしてそんな生き方は、彼女の複雑な生い立ちに関係している。
ノーマ・ジーンは3歳まで、育ての親を実の親だと思って過ごしていた。実母のグラディスは彼女を産んですぐに、彼女をボレンダー家に預けた。祖母のデラ(グラディスの母)はノーマ・ジーンの誕生を喜んだのだが、後に非嫡出子だと知ると、宗教的な理由から彼女を殺そうとしたという。ボレンダー家はノーマ・ジーンを匿い、デラを出入り禁止にした。ノーマ・ジーンは、ボレンダー家の子どもと双子のように過ごしたが、やがて彼女はボレンダー家の両親を「おじさん・おばさん」と呼ぶようになったそうだ。「ママ」と呼べなくて苦しんでいただろうとある人物が語っていた。
グラディスはフィルム会社でフィルムの裁断をする仕事をしていた。そして、彼女の上司であり親友でもあったグレースと共に、ノーマ・ジーンは映画の世界に連れて行かれることになる。ボレンダー家は教会に通っていたのだが、教会ではこの頃「映画を見たら堕落して地獄に堕ちる」と言われていたそうだ。だからノーマ・ジーンは、ボレンダー家では「映画を見てはいけない」と言われ、そして実母とグレースからは「映画を薦められる」という複雑な状況に置かれていた。
さて、1934年6月27日にルーズベルト大統領が署名した住宅法によって、シングルマザーでも家を借りやすくなったそうだ。そこでグラディスは家を借り、ノーマ・ジーンと暮らすようになった(この辺り、「里子に出したんじゃなかったっけ?」と思ったのだけど、あまり説明がなくよく分からなかった。どうもノーマ・ジーンは、ボレンダー家と実母との間を行ったり来たりしていたようだ)。内装も整え、グラディスは借金を返すために出来ることは何でもした。その1つが、間借人を住まわせることである。貸していたのは、イギリス人俳優のマレイ・キネル。実母からの信頼の篤い人物だったのだが、実はこの男、ノーマ・ジーンに性的虐待を加えていた。
しかし、ノーマ・ジーンが母親にそのことを訴えても、グラディスは娘が嘘をついていると判断し殴ったそうだ(作中に出ていた伝記作家は「マレイが性的虐待していたことの物的証拠もある」と言っていたので、間違いない話だと思う)。何よりも実母からの愛情に飢えていたノーマ・ジーンは、辛い虐待に耐えるしかなかった。
しかしある日、グラディスが仕事から早退した日、家の中で裸の娘を目にしたという(つまち、マレイによる性的虐待を初めて目撃したということだと思う)。そのため彼女はナイフでマレイに襲いかかったそうだ。これにより彼女は精神病院に送られ、拘束衣を着せられ入院することになった。こうしてノーマ・ジーンは、再びボレンダー家で暮らすことになったのである。
しかしその後、ある些細なきっかけ(ノーマ・ジーンにとっては大事なことだったが)で再び状況が変わってしまう。学校の演劇で大抜擢されたのだが、ボレンダー家の両親は「帰りが遅くなるから」という理由で認めなかったのだ。そこで彼女はグレースに相談をした。すると彼女は彼氏(後に結婚した)と共にノーマ・ジーンをボレンダー家から引き剥がしたのだ(ノーマ・ジーンは恐らく、そこまでのことは望んでいなかったと思う)。ボレンダー家はノーマ・ジーンを養子にするつもりだったのだが、実母が拒否し、この件にはこだわらないことにしたのだが、その辺りのことに付け込んで、「州で保護する」みたいな話に持っていったのだ。そしてその後、ノーマ・ジーンはグレース夫妻に引き取られることになる。ただノーマ・ジーンはグレースの夫に迫られるようになったため一緒に暮らせなくなり、最終的にグレースの伯母であるアナの元に引き取られた(結果としてノーマ・ジーンは、アナを深く信頼するようになったそうだ)。
このようにたらい回しにされるようにあちこちに預けられ、しかも性的虐待まで受けている。かなり辛い幼少期を過ごしてきたと言っていいだろう。本作の冒頭ではナレーションで、「ノーマ・ジーンは、自分を捨ててきた大人たちに勝利したかに思えた」みたいに語られていた。まさに「捨てられてきた人生」だったのである。しかしそれに続けて、「それでも彼女は敗北だと感じていたのだが」と続くのだが。彼女は結局、最後の最後まで劣等感を拭い去れなかったようである。
そんな彼女は、どのようにして世界的に知られる存在になったのだろうか?
そもそも彼女は、幼い頃から「映画スターになりたい」と話していたそうだ。それはもちろん、グラディスとグレースによる教育の賜物である。またグレースも、ノーマ・ジーンが幼い頃から「彼女はスターになる」と言っていたという。それはまるで預言のようだったそうだ。作中では、「映画スターになれば母親にもっと愛してもらえる」と、当時ノーマ・ジーンが感じていただろう心境が語られていた。
しかし彼女は、複雑な家庭環境で育ったこともあり、周囲の大人から「早く結婚して落ち着くように」と望まれる。それで、近くに住んでいた21歳のジム・ドアティと結婚することになった。しかしジムは、狩りと釣りが好きな典型的な男であり、妻への思いやりが欠けていた。幸せだったのは最初だけだったようだ。
さて、そんな状況は、第二次世界大戦によって大きく変わる。夫は南太平洋に派遣され、ノーマ・ジーンは最も信頼しているアナ伯母さんを頼って生きていた。そんな中、彼女は軍需工場で働くことに決める。そこにはある思惑があった。その軍需工場を経営していたのはイギリス人俳優のレジナルド・デニーであり、その軍需工場で働くことでどうにか彼の目に留まらないかと考えたのだ。そして、少し違った形ではあったが、彼女の目論見は上手くいく。軍の写真家コノヴァーがノーマ・ジーンに目をつけたのだ。ノーマ・ジーンは彼に、本当の夢、つまり女優になりたいという夢を語った。すると彼女を数週間休ませ、カリフォルニアに撮影旅行に行くことに決めたのだ。
その後、そのフィルムを友人に託し、写真の販売を行うことにした。写真が売れれば彼女にも報酬が入る契約だ。しかしありきたりな写真でまったく売れなかったため、その友人からセクシーなポーズで撮ろうと提案される。当時はショーガールが人気を博していたのだ。そして、完璧なポージングを熱心に研究する彼女の姿を見て、その友人は、ハリウッドのホテルの中に事務所を構えるモデル事務所を紹介した。この事務所で彼女は金髪・直毛にサせられ、以後マリリン・モンローのイメージとして定着していくのである。
その後も、スタジオと契約しては更新されないとか、「頭の悪いブロンド美人」というステレオタイプの役しか与えられなかったりなど、全然上手くいかない(ちなみにこの頃に、「マリリン・モンロー」という芸名が付けられた)。バグジーという、何人もの女優をデビューさせてきた有名なマフィアと関わりを持つようにもなるのだが、なかなかパッとしなかった。ある映画では、監督がバグジーから「マリリン・モンローのシーンを増やせ」と言われていたのだが、その4ヶ月後バグジーが暗殺されてしまい、その結果、マリリン・モンローのシーンはほんの一瞬しか残らなかったのである。
というのも彼女は、セリフ覚えが悪かったり、当時は品位が低かったりと、ちょっと色々問題があったようなのだ。そのためコロンビアと契約していた時に、ナターシャという演技指導の女性が付きっきりで指導した。彼女はマリリン・モンローについて「牡蠣のようにシャイ」と話し、後にトレードマークとなった「息をもらしながら話す」やり方を教えたりしたのだそうだ。ちなみにナターシャ(女性)とは体の関係があったとされているという。1950年代は「同性愛は違法」みたいな法律があったそうで、彼女は「自分はレズビアンなんじゃないか」と悩んでいたそうである。
子役としてマリリン・モンローと共演経験のある女優は、「マリリンはナターシャがいなければ何も出来なかった」と話していた。もっと踏み込んで、「あれは洗脳みたいなものだったと思う」みたいなことも言っていたのだ。当のナターシャも、「アップのシーンでは、カメラに映らないところでずっと手を握っていないといけないぐらいだった」と話していた。別の場面では、マリリン・モンローを主役に映画を撮った監督が、「カメラの前に立つと肌に発疹が出来て、いつもメイクで隠していた。カメラの前では極度に緊張していた」みたいなことも言っていた。とにかく、役者として演じることは彼女にとって大変だったようだ。
しかしそれとは別に、「『アクション!』の声が掛かるとすっかり別人になる」みたいなことを何人かの人物が話していた、そのこともまた印象的だった。また演技の話で言えば、ある人物が「コメディの上手さはさすがで、チャップリンやキートンと同じとまでは言わないが、かなり近いものがある」と話していた。マリリン・モンローはチャップリンの息子と交友関係があるらしく、その絡みで父親(チャップリン)に直接「愛されるキャラクターの極意」みたいなものを聞いたりしたそうだ。彼女自身はとにかく「演技派女優」を目指し続けて努力しており、その一環として、コメディへの出演を控えていたこともあったようだが(当時としては珍しく個人事務所を設立し、コメディではない作品への出演も模索すると発表していた)、現在では抜群のコメディセンスを持った女優として再評価されているのだそうだ。
マリリン・モンローは「セックスアイコン」として世界的に知られる存在になったが、やはり「性的魅力と外見だけで評価されている」という相当忸怩たる想いを抱えていたようである。ただ同時に、それによって世界的な存在になれたこともまた自覚していたわけで、その辺りの折り合いの付け方は難しかっただろうなと思う。ただ作中ではある人物が、「女性がまだまだ抑圧されていた時代に、女性の性を解放した」みたいな評価(表現としては全然違う言い方だったけど、メモし切れなくて覚えていない)をしていた。マリリン・モンローとしては「役者」として評価されたかったわけだが、現代的な視点で捉えれば、「セックスアイコン」として評価されたこともまた、社会にとって大きな意味を持つものだったと言えるわけで、マリリン・モンローがもしももう少し長生きしていたら、昔の自分のことをもう少し認めてあげられたんじゃないかという気もした。
ちなみに、「そうか、マリリン・モンローってそんな死に方だったっけ?」というも感じた。いや、たぶん情報としては過去どこかのタイミングで触れたことがあったと思うけど、はっきりとは覚えていなかったし、しかも、36歳という若さで亡くなったことはちゃんと認識していなかった気がするので驚かされてしまった。そうか、そんな若かったのか。
さて、マリリン・モンローは現代的な視点で言えば「セルフプロデュースが上手かった」と言っていいだろうと思う。印象的だったのは、「ゴージャスがガウンのことを『仕事着』と呼んでいた」という友人の証言である。プライベートでは、派手な服装は見たことがなく、もっぱらジーンズを好んでいたそうだ。マリリン・モンローはとにかく、「人々がイメージするマリリン・モンロー」を守り通したのである。
またある人物がマリリン・モンローに、「そんなに化粧を厚くしなくてもいいんじゃないか?」と言った時、彼女は「これは近くにいるメディア用じゃない。もっと向こうにいるファンのためのものだ」と返したのだそうだ。マリリン・モンローは、ファンのためにかなり尽くしていたと語られていた。
昔撮ったヌードのカレンダーが突如話題になった時には、友人の記者に頼んで「貧しかったからお金のためにやっただけだ」という記事を書いてもらい、むしろ世論を味方につけることに成功した。また、仕事がまったくない時期に呼ばれたパーティーに、どんな大女優よりも遅れてやってきて、興行主から「次に出る作品は?」と聞かれると、スタジオの重役の名前を挙げて「彼らに聞いて」と言ったという。さも次回作が決まっているかのような言い方をしていたのだが、その実まったく何の予定も立っていなかった。しかし、興行主から詰め寄られた重役は、マリリンに役を与えるしかなかったのである。
このようにマリリン・モンローは、自身の見せ方を絶妙にコントロールしながら、様々な逆境や困難を乗り越えていった。本作を見る限り、マリリン・モンローには「これが出世作」みたいなものはなさそうで、色んなことをやっていく中で大スターに上り詰めたという感じのようなのだが、そのためには本当にセルフプロデュース能力が欠かせなかっただろう。
そして本作では、そんな彼女を支えた様々な人物についても描かれる。個人的に印象的だったのは、「ベガスの恋人」と紹介されていた人物である。どこで知り合った誰なのかよく分からないが、業界の人間というわけではなく、一般の人なのだと思う。本作にも証言者として登場しており、当時のマリリン・モンローとの関わりについて語っていた。
一度マリリン・モンローが、女優を辞めると決断したことがあったそうだ。結婚するつもりで、ベガスの恋人のところにやってきたという。しかしベガスの恋人はその時まだ学生だった。だから結婚したどうにかなるとは思えなかったし、さらに、彼はマリリン・モンロー(彼は「マリリン・モンロー」という芸名が決まる前後で彼女と付き合っていたようだ)の子どもの頃からの夢を痛いほどよく理解しており、「こんなところで諦めないで夢を掴め」と励ましたのだそうだ。そんな風にして彼女はまた演技の世界へと戻っていき、地道な努力を続けるのである。
また、野球選手のジョー・ディマジオもなかなか印象的だった。彼については正直、良い話ばかりではないのだが(暴力を振るったり、女優を続ける彼女を否定したりしていた)、「遺体の引き取り手がいなかったので、葬儀の手配などはジョー・ディマジオがすべて行った(この時点で2人は離婚していた)」みたいに説明されたりして、結果として最もマリリン・モンローに寄り添った人物だと言っていいかもしれない。
そんなわけで、誰もが知っているだろうけれども、正直詳しくは知らないだろうマリリン・モンローの実像に迫るドキュメンタリー映画だと思う。個人的にはやはり、オードリー・ヘプバーンのドキュメンタリー映画の方が興味深かったが、マリリン・モンローもなかなか激動な人生であり、惹きつけられた。あと本作は、エンドロールが10秒ぐらいで終わったのでそれもビックリだった。最近別の作品でもエンドロールがメチャクチャ早いものがあったし、あるいは、エンドロールとしてQRコードが表示されるだけという斬新なものもあったりして、時代に変化を受けてエンドロールも変わりつつあるなと思う。
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