【映画】「愛されなくても別に」感想・レビュー・解説

えっ、メッチャ良かったんだけど。思ってたより遥かに良くてビックリした。これはメチャクチャ好きなタイプの映画だなぁ。観て良かった。

僕は、結婚するしないはどっちでもいいんだけど、「子どもだけは絶対にほしくない」と昔から思っていた。今もそれは変わらない。その理由はたぶんいろいろあるのだけど、一番大きな理由は、「自分はたぶんクソみたいな親になるだろうな」という確信が何故かあるからだ。

別に僕は、親から虐待を受けていたとかそんなことはなく、だから「自分が親になったら、自分が受けたことを再生産してしまう」みたいに恐れているとかではない。ただ、例えばニュースなどで児童虐待の事件を目にしたりすると、「あー、自分はあっち側に行ける人間だよなぁ」と割といつも思う。もちろん、結果的にそうはならないかもしれない。ただ、僕は「虐待する親側になる可能性はメチャクチャ高い」とどうしても思ってしまうのだ。

これはきっと、「未来に対して悲観的」というだけなのだろうなとは思う。例えば僕は、「車の運転は絶対にしない」と決めているのだが、それも「絶対に事故を起こす」と考えているからだ。だから今後も、車は絶対に運転しないぞと思っている。

子どもを虐待したりはしないかもしれないし、事故も起こさないかもしれない。でも、僕自身はそういう可能性を全然リアルに想像できる。だから足を踏み入れたくないんだよなぁ、という部分には。

で。

そんな感覚を抱いている僕には、世間の人が凄く不思議に見えている。世の中には、「毒親」「虐待」「親からの性加害」みたいな話がたくさんあるし、児童相談所に預けられる子どもだってたくさんいるわけで、そしてそういう社会に生きているのにどうして「自分はそうはならない」と思い込めるのか、僕には理解できない。

もちろん、「そういう怖さを抱えながら踏み出している人」もいるだろうし、僕だって別に「子どもを育てている人は全員楽観的すぎる」なんて考えているわけではない。ただ、なんとなくだが、「子どもが生まれたら、自分はちゃんとした親になれるはず」みたいに無邪気に考えているんじゃないかと思えるような人も多くて、僕にはそれが不思議でならない。僕は躊躇しすぎだろうし、僕ぐらい立ち止まるべきだなんてもちろん思っていないけど、でも、「もう少し躊躇した方が良くない?」と感じることは多い。

で、そういう「躊躇しない人」が多いからこそ、結果として毒親、虐待みたいな状況が多く存在するんだろうなと思っている。

子育ては誰だって未経験で始めるものだし、そりゃあ想像出来ない部分もたくさんあるだろうけど、そもそも「想像しようとさえせずに自分を過信している」みたいな人が多い気がしていて、僕はそういう雰囲気が好きじゃない。みんながもっとちゃんと躊躇すれば、「子育てで上手くいかない人もたくさん出てくるだろうから社会全体でどうにかしよう」みたいな雰囲気も生まれやすくなるだろうし、そうなれば、「社会全体で子どもを育てる」みたいな視点も出てきやすくなるはずだ。そしてそうなっていないのはやはり、「親になろうとする人が自分を過信しすぎているから」だと僕には感じられてしまう。

本作でメインで描かれる「若い女性3人」は、それぞれが違う形で「クソみたいな親」との関わりを強いられている。「そもそも親がいなければ彼女たちは生まれていない」という事実は一旦無視するとして、「クソみたいな親さえいなければもっとまともな人生を歩めたはず」の人たちである。状況は違えど、彼女たちみたいに「親のせいでクソみたいな人生を強いられている」みたいな人は世の中にたくさんいるんだろうし、ホントそういう現実にはうんざりさせられる。

さてそんな本作では、「愛してる」という言葉が結構印象的な形で使われている。概ね「親が子に言うセリフ」である。大学生の娘を働かせて自分は浪費ばかりする母親は、娘に度々「愛してる」と口にする。その言葉にどんな意図が込められていたのか、はっきりとは分からない。本当に娘のことを愛していてそれを伝えたいと思って言っているのか(そうだとしたら、言行があまりにも不一致すぎて狂気ではあるが)、あるいは、娘を馬車馬のように働かせるための魔法の言葉だと思っていたのか。よく分からないものの、ただ娘の方は、母親が気まぐれに口にする「愛してる」を僅かな心の拠り所みたいに感じながらしんどい日々を過ごしていたはずだと思う。

あるいは、娘を愛しすぎていて過保護になっている母親は、「愛する娘のために、危険は排除しなければならない」と考えている。もちろん、その発想そのものは悪いものではないと思うが、程度がヤバい。「娘のため」と言いながら、娘が大切にしているものを根こそぎ奪っていくのだ。まあ、娘が大切だと考えているものの1つは、客観的にはちょっと「怪しい」ものなので、それに対する反応だけで言えば「仕方ない」と感じられるかもしれない。ただ、彼女にとってそれは、「ありとあらゆる領域に侵食してくる母親から唯一逃れられるもの」だったわけで、凄く凄く大事なものでもあった。そもそも、母親がイカれたレベルの過保護を発揮していなければ、彼女がその「怪しい存在」に行き着くこともなかったかもしれないとも思う。だからやはり僕の感覚では「母親に大いに問題がある」と感じられる。

さて、この2人の「愛してる」は「親が子に向けるもの」だったが、もう1人と関わる「愛してる」はちょっと違ったタイプである。割と後半の展開なので具体的な状況の説明は避けるが、彼女はある場面で「親から愛されたいのね」みたいに言われる。そしてそれに対して彼女はキレ気味に、次のような言葉を口にするのだ。

【他人から愛されるために生きるなんて、そんなのただの呪いだよ。私は、他人から愛されなくても幸せに生きることを許されたい。】

本作のタイトル『愛されなくても別に』という感覚が凝縮されたセリフだなと感じたし、個人的には、本作中で最も好きなセリフである。

彼女が言う「他人から愛されなくても幸せに生きることを許されたい」は僕も凄くよく理解できる。たぶん自分でこういう形で言語化したことはない気がするけど、自分の中にずっと未定形のまま存在していた感覚な気がするし、本作を観てそれが可視化されたことは凄く良い機会だったなと思う。

もちろん、大前提として、「愛された方がより良い」とは思う。恐らく、先のセリフを口にした女性もきっと同じ感覚じゃないかと思う。別に「愛されること」を拒絶しているわけではないはずだ。しかしそれが「人生の主目的」だと言われると「うるせー」となってしまう。

むしろ、「誰からも愛されていないとしても、自分を自分で認めてあげられる」方が、一個の存在としては高次のレベルにいるような気さえしないだろうか? 僕にはそんな感覚がある。

どんどん話はズレるが、僕は「この世に生を享けること」は「暴力」だと考えている。僕自身の意思はそこには一切介在しないし、僕以外の誰かの意思によって”勝手に”この世の中に産み落とされているからだ。それが「暴力」じゃなくて何なんだと僕は思う。最近「反出生主義」という言葉を知ったのだが(ざっくり言うと「すべての人間は生まれるべきではないし、子どもはつくりべきではない」という考え方)、さすがにそこまで強い主張を持っているわけではない。ただ、「生を享けた存在は等しく素晴らしいんだ」という主張には抵抗したいし、「『子どもを生む』という『暴力』が、当人にとってたまたま良い結果となることもあるが、悪い結果になることもある」程度の主張は認めてほしいものだなと感じてしまう。

で、僕はこんな風に「勝手に生みやがって」みたいな感覚を持っているので、だからその上で「他人から愛される存在になりましょう」みたいに言われるのはなんか腹立つなと思う。「出産=暴力」だと思っている僕からすれば、例えばそれは「妻を殴るDV男が、顔をボコボコに殴った妻に対して『キレイでいろよ』って言っている」みたいな感じにさえ思えてしまう。このケースでは、大体の人が、「いやいや、だったら殴るなよ」と感じるだろう。そして同じように僕は、「いやいや、だったら生むなよ」みたいに感じてしまうというわけだ。

まあだからこそ(という繋ぎ方はおかしいかもしれないけど)、親は子どもを無条件に愛すのかもしれないけど。「DV男が妻に『どんな見た目でもお前を愛している』と言う」みたいなのと同じように、「暴力」によってこの世に生まれてきた子どもを愛することで、自分なりの釣り合いを取ろうとしているのかもしれない。

しかし仮にそうだとしても、それは単に「親側の都合」でしかない。つまり、「『親が子どもを愛していること』を、子ども側が『嬉しいこと』と受け取る筋合いはない」というわけだ。

ある場面で、まさにそんなようなことを口にする人物がいた。

【愛されたたら、子どもは何でも許さなきゃいけないの?】

ホントそうだよな、と思う。「子どもを愛するかどうか」は完全に親側の都合で、それを子どもがどう受け取るかまで強制できるはずがない。にも拘らず、まあこれは親子関係に限る話ではないが、「愛しているから」「愛しているのに」みたいな言説が当たり前のようにまかり通ってしまう感じもある。

「愛するかどうかは、お前が勝手に決めろよ。で、それをどう受け取ろうが勝手だろ」としか僕には思えない。本作で描かれる3人も、細かな差異はあるだろうが、概ねそんなような感覚を抱いているんじゃないかと思う。

映画を観ながら割とずっとこういう思考が頭の中をぐるぐるしていて、凄く良かった。「親子ってのは素敵な関係だ」みたいなありきたり中のありきたりの発想が社会的圧力として強く存在している印象があって、そうではない感覚が「何かおかしなこと」のように受け取られている気がしてしまう状況に違和感を覚えることは多くある。本作は、そういう社会的圧力に強烈に「NO」を突きつける作品という感じがあって、凄く良かった。

というわけでざっくりと内容を。

大学生の宮田陽彩は、シングルマザーの母親と2人暮らし。彼女には付き合っている男性がいるらしく、そのせいだろう、母親は収入以上に浪費している。宮田は母親から「高校を出たら働いてほしかった」と言われていたが、「学費も生活も自分で稼ぐ」という条件でどうにか大学進学を許された。そのため彼女は、週6日でコンビニのバイトに入り、他に短期バイトもやって月に20万ぐらい稼ぎ、その内の8万円を母親に渡していた。

宮田は、病気で休んでしまった授業のレジュメを教授にもらおうとしたが、例外は認められないとしてもらえなかった。そこで、同じ授業を取っている女性(後に木村という名前だと分かる)に勇気を出して話しかけ、ノートを見せてもらおうとした。しかし木村は「それって私に何かメリットあります?」と明らかに嫌そうな対応で、宮田は諦めかけた。しかし、「江永雅に見せてもらおうと思う」という話をすると、木村の反応が変わった。江永雅なんかには関わっちゃいけないというのだ。どうしてかと聞くと、驚くべき話を耳にすることになった。

江永雅の父親は、殺人犯だと言うのだ。

実は江永は、宮田が働いているコンビニでバイトしている。ただ、ちゃんと話したことはない。そういう意味で友人と言えるような存在ではなかったが、木村から「父親が殺人犯」という話を聞いたことで、視界に入る存在になった。それでバイト中も少し話すようになったのだ。

そんなある日、思いがけない人物が訪ねてきたことで、宮田の生活は一変することになるのだが……。

というような話です。

本作ではまず、この記事の冒頭からしばらく書いてきたような「親子のあれこれ」みたいな部分が底流にずっとあって、それが凄く良かった。それぞれ種類は全然違うものの、親のせいで「ハードモードの人生」を歩まざるを得なくなっている3人の少女たちが、「クソ」としか名付けようのない現実の中で必死にもがき、諦め、それでもどうにか前に進んでいく様を描き出す作品であり、そういう全体のテーマもとにかく素晴らしかった。

そしてその上で、僕にはとにかく宮田と江永の関係がとても素敵に見えていて、それも本作の魅力だったなと思う。

宮田は、「大学には、幸せな人間か、自分が幸せであることに気づいていない人間しかいない」と言った上で、さらに「幸せな人間とは分かり合える気がしない」みたいなことを口にするような人物だ。まあ、確かにそう言いたくもなるだろう。恐らく、高校まではちゃんとお金を出してくれていたんだと思うが、「自分で行きたい」と言った大学に通うために死ぬほどバイトをしなければならない。ただまあ、それは100歩譲って仕方ないかもしれないが、僕が酷いなと感じたのは、「そんな宮田に家事まで押し付けていること」だ。

宮田が家のソファで寝ていた時、母親が「ホットサンドを食べたい」と起こしてきた。宮田は「午後から授業だからもう少し寝たい(彼女は深夜のコンビニで働いている)」と言うのだが、そんな彼女の希望を無視してホットサンドを作らせるのだ。そしてにも拘らず、ほとんど食べもせずに出かけるのである。いやー、これはマジで腹立つなぁ。

さらに腹が立つことに、そんな風にホットサンドをほとんど食べずに出かける直前、この母親は娘に「愛してるよ」と口にするのだ。これもまたムカツクポイントである。あー許せん。

一方の江永は、冒頭からしばらくの間他人と関わる描写がほとんどなく、割と「孤高の存在」みたいな雰囲気を醸し出している。「父親が殺人犯」という背景がまだ明らかになっていなかったわけで、だから彼女の振る舞いの背景は全然想像出来なかったわけだけど、その事実を知ってある程度彼女の振る舞いの意図みたいなものが理解できるようになる。

で、彼女は彼女で、「父親が殺人犯」以外にも親との酷い関わりがあって、そういうこともあって「他者との関わり」みたいなものに積極的になれない、みたいな部分があるんだろうなと思う。

そしてそんな2人だから、普通であれば交わるはずがない。ただ、本作ではかなり自然な形で2人の距離が急速に近づくみたいな感じの展開になっていく。

で、そんな2人の「テンションの低いやり取り」が僕は凄く好きである。超良かった。

2人はたぶん、「他者との関わりに期待していない」から、普段から他者とのやり取りをテンション低く(あるいは「省エネ」みたいな表現の方が正しいかもだけど)済ませようとする。作中では、宮田が木村に話しかけたり、あるいは宮田が同じゼミの仲間から飲み会に誘われたりするシーンが描かれるが、いずれも「超省エネ」みたいなやり取りだった。江永はたぶん、「喋るスイッチ」みたいなものがあって、意識的にそれを「ON」にしたら「喋るモード」になるみたいな人だと思うんだけど、同時に「なるべくそのスイッチをONにしないようにしている」ようにも感じられる。

そしてそんな2人が、ある意味では「仕方なく」急接近したため、テンションが低いままのやり取りでずっと関わることになっていくのだ。そしてその会話の雰囲気が凄く良い。僕にとっては、割と理想的な会話のテンションである。

つい昨日の話だったので書くが、年下の友人と飲もうという話になっていて、で相手から「今日は最初から川に行きましょう」と言われた。その子とは、飲み屋で飲んだ後、最後コンビニで酒を買って川で飲むみたいなことをすることが結構あるのだけど、昨日は最初からそうしましょうという話だった。もちろん全然OKって話をして、酒とつまみだけ買って川で飲んだ。

みたいなことが全然出来る関係なこともあり、彼女との会話は、本作の宮田・江永ほどではないが、かなり「テンション低い感じ」だと思う。彼女と会うのは数ヶ月ぶりみたいな感じだが、それでも「久しぶり~」みたいなやり取りはなく、「昨日の会話の続き」みたいなテンションで会話が始められる気がしている。そういう会話が出来ている状態は凄くいいなといつも感じるし、それと同じような雰囲気を宮田・江永の会話からも感じられて、「やっぱりこういうのいいよなぁ」と思ったりした。

さらに彼女たちは、結構仲良くなってからもずっと「宮田」「江永」とお互いを苗字で呼び合っていて(女性同士の場合は特に、下の名前で呼ぶようになるのが一般的な気がしている)、それも凄く良かったなと思う。そんなつもりはないだろうけど、「お互いの呼び方なんかで関係性の深さを測られる感じ」に抵抗しているみたいなニュアンスを勝手に感じたりして、良い関係だなと思う。たぶん傍から見たら全然仲良さそうには見えないと思うんだけど、彼女たちの会話の内容なんかを聞いていると、「なんか深いところで理解し合えている気がする」って感じがするし、凄くいいなと思う。

で、そんな2人の会話で一番好きなシーンを紹介したい。

それは、宮田が「性的な関係って私は無理」と話し始めるところから始まる。江永が「性的って、どれぐらいから? 例えば、手を繋ぐとかは?」と言って、宮田と手を合わせる。すると宮田は突然えづき始め、結局吐いてしまうのだ。宮田は「男とか女とかいう以前に人間がダメ」と、他者を絶望的なまでに受け入れられない自身の現状を嘆くのだが、それに対して江永が「宮田のそういう、私を人間扱いしてくれるとこ好き」と返すのだ。

そのセリフを聞いた時、僕はすぐには意味を理解できなかったのだが、それに続けて江永が「みんなは私を女扱いしてるだけだから」と口にしていて「なるほど」と感じた。宮田は、江永だけではないものの「人間だからダメ」と拒絶しているのに、それを聞いた江永は「私を女じゃなくて人間として扱ってくれた」と喜んでいるというわけだ。なんか凄く屈折したやり取りという感じに思えるだろうが、そこまでで描かれてきた2人のキャラクター的に凄くしっくり来るやり取りだったし、メチャクチャ印象的だった。

でやっぱり、宮田を演じた南沙良と江永を演じた馬場ふみかがメチャクチャ良かったんだよなぁ。特に南沙良は、容姿だけで言えば「超正統派美少女」みたいな感じなのに、「内側から滲み出る陰キャ」みたいなものに覆われているような雰囲気を醸し出していて、見た目からも「負のオーラ」が出ている感じがあった。「超正統派美少女」という見た目からはなかなか醸し出すのが難しい雰囲気な気がするのだけど、マジで絶妙だったなぁ。

で、馬場ふみかも、「自分の辛い境遇をネタのように話す」みたいな江永の雰囲気を完璧に演じている感じがあって、凄く良かった。江永雅はたぶん、成立させるのが難しいキャラクターのはずで、それを「リアルにいそう」と感じさせるレベルにまで持ってきている感じにはちょっと驚かされてしまった。

そして、この2人が上手すぎるのだろう、木村を演じた本田望結はちょっと劣るように見えてしまった。彼女の演技が下手なのかは僕にはなんとも言えないが、少なくとも本作においては、南沙良と馬場ふみかが上手すぎてちょっと釣り合っていないような感じかな。特に3人のシーンは、本田望結がもう少し2人のレベルと合っていたらもっと良く見えたかなと思うので、そこは少し残念なポイントだった。

あと残念と言えば、作品自体とは関係ないが、公式HPの誤字が多くて残念だった。全文精査したとかじゃないからまだあるかもだけど、「若干29歳の新鋭監督」は「弱冠」だと思うし、「浪費家の母に変わっての家事」は「代わって」じゃないかと思う。まあ僕の記事にも誤字脱字は山程あるだろうけど、公式HPとかはちゃんとチェックがあった上で載ってるだろうから、それでここまで誤字があるのはちょっとビックリだった。

まあそんな話は別にどうでもいいんだけど、とにかくテーマも主人公の関係性も南沙良・馬場ふみかの演技もとにかく素晴らしい作品で、メチャクチャ良かった。今まさにしんどい人には刺さりすぎてしまうかもしれないのでそれは注意した方がいいかもしれないが、僕としては冒頭の方で書いた通り、「躊躇せず、過信している人」に本作を見てほしいなと思う。

僕は、「子どもを生んで育てている人」は凄いなと思うし、国の税金もそっちにどんどん使えばいいと思っているが、それはそれとして、多くの人に「『子どもを生むこと』は『暴力』そのものだぞ」とも思っていてほしいなと感じる。

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