【映画】「誰も知らない」感想・レビュー・解説
国立映画アーカイブで開催中の「映画監督 是枝裕和」の特集上映。今日は連続で2作観たのだけど、まずは『誰も知らない』から。もちろん有名な作品だし、柳楽優弥が史上最年少かつ日本人初の最優秀主演男優賞を受賞したり、その独特な撮影手法が知られていたりと周辺の情報は色々知っているのだが、観たことはなく、今回初鑑賞。素晴らしい映画だった。
ちなみに先に、あらかじめ知っていた周辺情報の1つに触れておこう。本作が海外で上映された際、エンドロールに「YOU」と表示されたのを見て、「YOU」のことを知らない外国人は「YOU=あなた」と考え、「この物語の主人公はあなたなんですよ」と、なんか凄く深読みされた、みたいな話を何かで耳にしたことがある。ホントかどうか知らないが、何にせよ面白い話である。しかも「You」じゃなくて「YOU」なわけで、英語のニュアンス的には、「あなた”こそ”がこの物語の主人公なんです」みたいな感じになったりするかもしれない。外国人が観る場合だけ「ドキッ」っとなるという話である。
まあそんなことはどうでもいいか。
本作は冒頭で、「これは東京で実際に起こった事件をモチーフにした作品だが、経緯や心理描写等はすべてフィクションである」と表示される。よくある表記ではあるが、この点に関しては上映後に面白い話を聞いた。今回の上映では、本作『誰も知らない』の撮影監督である山崎裕が登壇しトークイベントがあったのだ。その辺りの話は後でまた触れるが、山崎氏は「フィクションであることを強調していた」と指摘していた。
というわけで、ざっくり内容の紹介をしておこう。
物語は冒頭からなかなか衝撃的に始まっていく。福島けい子は、長男の明と共に都内の2LDKのアパートに引っ越してきた。2人で挨拶回りも済ませた。けい子は「夫が海外出張中で、基本的に2人で暮らしています」と話すのだが、それは真っ赤な嘘である。
引越し業者から届いた荷物の中に、大きなスーツケースが2つある。そしてその中になんと、次男の茂と次女のゆきが入っていたのだ。さらに、長女の京子はどこかで待機していたようで、明が迎えに行っていた。4人の子どもはそれぞれ父親が異なり、そしてけい子は結局今シングルマザーである。彼女は、「4人の子を持つシングルマザーだと入居を断られるかもしれない」と考え、苦肉の策でこのようなやり方にしているのだ。
大家には、「明は小学6年生だ」と紹介したものの、実際には明を始め4人は誰も学校に通っていない(ゆきは5歳だったと思うので学校はまだだが、当然、幼稚園も保育園も通っていない)。母親は明を除く子どもたちに、「騒がないこと」「外(ベランダ含む)に出ないこと」と厳命する。以前住んでいた家では、茂が騒いでしまったようで、それで引越しを余儀なくされている。母親は茂に厳しく釘を差す。
こうして福島家の生活が始まった。
外に出て買い物したり公共料金を振り込んだりするのは明の役割だ。京子は洗濯担当で、洗濯を干す時だけベランダに出ることを許されている。茂とゆきは言いつけを守って家で遊んでいる。京子はピアノを弾くのが夢だそうだが、今の状況では夢のまた夢である。
母親は毎日帰りが遅い。子どもたちは仕事だと思っているようだが、明だけはなんとなく事情を知っている。母親から「お母さん、好きな人がいるの」と打ち明けられているのだ。明は「またぁ」と返す。これまで同じようなことを続けて子どもが出来て、で結局上手く行かなくてまた元に戻る、みたいなことを繰り返していたからだ。しかし母親は、「たぶん今度はホントに」と口にする。「上手く行けば、学校に通わせてあげるから」と。しかし、明はその言葉を信じている感じではない。
ある日母親が、大金と手紙を残していなくなった。しばらく戻らないからよろしく、というのだ。明は他の子どもには「仕事の都合だ」と説明する。で、普段通り生活を維持しようとするのだが、やはりお金が底を尽き始める。彼は、茂の父親とゆきの父親のところへ向かい、少しお金をもらっていた。
そんな風に、母親がいない子どもたちだけの生活がどんどんと長くなっていき……。
というような話です。
これ、海外で上映された時どういう反応だったんだろうなというのがまず気になる。本作では、恐らく半年から1年近くの時間が経過していて、母親が完全にいなくなってからも数ヶ月経っているんじゃないかな。で、その間、「子どもたちだけで生活を続けている」というのが発覚しないという事実に、驚く人もいるんじゃないかと思う。特に外国では、「(誘拐の恐れなどがあるため)子どもを1人で出歩かせてはいけない」みたいな法律があったりもするわけで、余計に信じがたいんじゃないだろうか。
それは、東京などの大都市以外に住んでいる日本人ももしかしたら同様かもしれない。「そんなこと、ある?」と感じてもおかしくはないだろう。ただ、東京近郊にそれなりに長く住んでいる僕の感覚としては、「まあ、きっと気づかないだろうなぁ」と思う。少なくとも、お金があって様々な支払いが滞っていなかったら、「子どもたちだけで生活している」みたいなことはきっと発覚しないだろう。
本作では、「電気・ガス・水道が止められてからの生活」も描かれるので、そこまでいったら発覚する可能性はかなり高まるとは思うが、それでも、子どもたちに「隠す意志」があればバレない可能性も十分にあるだろう。
で、子どもたちには「隠す意志」がちゃんとある。
これはある場面で明が口にしていたのだが、「警察とか児童相談所に連絡してみたら?」と言われた際に、「それだけ4人で一緒に暮らせない。前それで大変だったんだ」みたいなことを言っていたのだ。確かに、児童相談所が絡むと、恐らく男女は別々にされる気がするし、それ以外にももしかしたら「親族はなるべく一緒に生活させない」みたいなルールがあったりするかもしれない。そして、一度そういう状況を経験している彼らは、「バレたらまた離れ離れになってしまう」と考えているわけだし、だから「かなりハードな生活を強いられているけど、それでも4人でいられるこの生活の方がまだマシ」だと考えているのだと思う。
さらに言えば、明以外の3人はまだ「母親が戻ってくる可能性」を信じているというのも大きいだろう。色々ありはするが、みな母親のことは大好きなようで、子ども4人で一緒にいることももちろんだが、母親と一緒に生活するというのもまた彼らにとってはかなり重要なことなのだ。だからこそ余計に、この生活がバレてはいけないのである。
そして彼らにそういう「隠す意志」がある以上、東京で暮らしていれば、彼らのような生活が明るみに出ない可能性は十分にあるなと思う。
さて、それはそれとして、本作には「子どもたちの窮状を知っている、あるいは察しているだろう大人」の存在が多少描かれる。物語後半で絡んでくる女子高生は子どもに分類するとして、明がよく通っているコンビニの店員何人かは、程度こそ違えど、「明たちがかなり厳しい状況に置かれている」という事実を知っているはずだ。
で、彼らは何もしない。いや、子どもたちの生活の手助けはするが、根本的な解決を促すような行動は取らないのだ。それで、観ながら僕は、「自分がもし、彼らの窮状を知る立場だったら、どうするだろうか?」みたいなことをずっと考えていた。
警察や児童相談所に連絡するのは簡単だ。しかし、それは明たちの希望に反する。彼らは「4人で一緒に暮らす」「母親とも一緒に暮らす」ことを最優先に考えているわけで、そのために無理ゲーかもしれないと分かっていても、可能な限り大人を介入させない生活を続けようと努力しているのだ。
しかしどう考えても、そのままでいいはずがない。特に、具体的には触れないが、物語後半のある展開を知ると余計に、「もっと早い段階でどうにかなるべきだったんじゃないか」と感じてしまうだろう。
これは本当に難しいなと思う。子どもたちから恨まれてもいいから通報するか、自分に出来る細々とした協力をしながら子どもたちの希望通りの生活を維持させてやるのか。この判断は本当に難しいし、僕にはちょっと決断できないだろうなと思う。
しかし恐らくだが、欧米ではこの判断に迷ったりしないんだろうなとも感じる。ドキュメンタリーでもフィクションでも、欧米の映画では「子どもを守るためなら、公権力が母親からもあっさり子どもを引き離す」みたいなことが当たり前に行われているからだ。少し前に観た映画『アダムの原罪』でも、「子どもにまともな食事をさせていない疑いのある母親から、公権力が子どもを引き剥がす」みたいなことをやっていた。子どもがはっきりと「母親と一緒にいること」を望んでいるにも拘らずである。欧米ではどうも、「子どもを守る」という大義名分があれば、親の意志も子ども本人の意志さえも関係なく公権力が介入するし、一般的に市民も「それが当然だ」と考えているようである。
だから余計に、本作を観た外国人がどう感じるのかは気になるところだ。外国人の多くは「子どもの希望に沿って現状を維持させてあげる」なんて選択肢を想定しもしないだろうから、「周りにいる大人たちは一体何をしてるんだ?」みたいな感覚になったりするんじゃないかという気がする。どうなんだろう。先述した通り、本作はカンヌ国際映画祭で最優秀主演男優賞を取っているし、つまり欧米でも高く評価されていると考えていいと思うのだが、日本独特だろう「子どもたちだけで生活していてもしばらくそのことがバレない」「子どもたちの窮状を知る大人が子どもを守るために通報しない」みたいなことをどう受け取っているのか、とても気になるところである。
さて、ストーリー展開で言うと、先程触れた「後半の衝撃の展開」はやはり衝撃なのだが、個人的にはそれよりも「明が壊れちゃっていく過程」みたいなものにかなりグッときてしまった。
明は、子どもの中で唯一外出を許されている存在で、そういう意味では「自由度が高い」と言ってもいいだろうが、一方で、「お金の管理」や「母親が帰ってこないことの説明」など、「子どもたちだけで生活している」という異常な状況の責任を一手に背負う立場でもある。想像するしかないが、相当しんどい状況だと思う。毎日綱渡りのような日々だっただろう。
しかし明は、弱音も吐かずに頑張る。ある時など、明自身は「母親が帰って来ることはきっともうない」と確信していながら、他の子どもたちを心配させまいと、「母親からお年玉をもらった」と嘘をついて、母親から預かっているお金から一部をお年玉として渡していたりもした。また、明はよく、同年代の子どもたちが遊んでいる様子を眺めたりしているのだが、しかし、自分に課された責務を思い出してちゃんと家に帰る。12歳で抱えるにはあまりにも重たいものをずっと背負わされているのである。
そして徐々に、彼の中で限界を迎えてしまったのだろう。明がはっきりと「悪い行動」を取るようになっていく。「友達と一緒に遊ぶ」という当たり前のことをしてみたかったのだろう。しかし、そのために彼は、母親から預かっているお金を散財することになる。
この辺りの展開はホント、結構息苦しかったな。明の気持ちはもちろん分かるし、でも明らかにすべきではない行動をしているわけで、明に対してもやるせない想いを抱かされる。また、明がそんな風に壊れちゃっても、他の3人の子どもは表立って何かを言ったりしないのもまたギュッとなった。恐らくだが、「ずっと頑張ってきてくれた兄」の存在を知っているからこそ何も言えなかったんじゃないかなと思う。本作は全編に渡ってセリフがそう多くはないし、この明がダメになっていく過程でもそれは同様なのだが、4人それぞれがそれぞれの立場で想いを秘めつつ、しかしそれを表に出さないみたいな空気が充満していて、そしてそれが客席にまで染み出している感じがあって、凄く息苦しかった。
あと、女子高生と関わる展開になっていくのも良かったなぁ。なんというか、世界観的にはメチャクチャ違和感というか、制服を着た不登校の女子高生の存在はミスマッチ感が出るはずなんだけど、福島家の状況があまりにも「どうにもならない」わけで、だからこそ「他者の存在」をどうしても欲していたというのも分かるよなぁ、と思う。
しかも、その「他者」は決して大人ではいけなかった。明たちが大人を忌避していたかどうかは分からないが、ただ「この状況が大人に見つかったらマズい」という理解は共有していたはずだ。そしてだからこその女子高生なのだと思う。最年長が12歳である福島家の面々からすれば大人に見えているかもしれないが、「自分の意志で状況を動かすことが困難」という意味ではやはり子どもである。そしてそういう存在だからこそ、もはや「生活」の体をなさなくなってしまった福島家の状況に、スルッと入り込んでいけたのだと思う。
そういう事情で「違和感があるはずなのに馴染んでいる」みたいな雰囲気が醸し出されるし、それは後半の新たな展開としてとても良いなと感じた。
というわけで、映画自体の話はこれぐらいにして、今度は上映後に行われたトークイベントの話をしよう。撮影監督の山崎裕に、恐らく国立映画アーカイブのスタッフだろう人物がインタビューするという形式で行われた。
山崎氏は、『ワンダフルライフ』『DISTANCE』『誰も知らない』と3作連続で撮影監督を務めたそうだ。その最初のきっかけ(『ワンダフルライフ』で撮影監督になった理由)を聞かれて、山崎氏は「それまでほとんど関わりはなかった」と話していた。是枝裕和は元々テレビマンユニオンの社員で、そして山崎氏もテレビマンユニオンとよく仕事をしていたそうだ。で、一度何かの仕事で一緒になったことはあるのだが、実際的な関わりはほぼなかったという。
しかしその後、是枝裕和がTVドキュメンタリーを2作手掛け(それは昨日観た)、そして山崎氏はそのドキュメンタリーを高く評価していたという。カメラを「撮る道具」ではなく「伝える道具」として使っていることが分かる撮り方をしていたとかで、それで是枝裕和の才能に一目置くようになったという。
そしてその後、突然『ワンダフルライフ』で撮影監督を頼まれたそうだ。「どうして自分なんだ?」と聞いたら、是枝裕和は「ただの勘です」と答えたという。
で、山崎氏は、デビュー作からの『幻の光』『ワンダフルライフ』『DISTANCE』『誰も知らない』を「助走」「ホップ」「ステップ」「ジャンプ」と表現していた(こういう表現は本人もしていると言ってたかな)。『幻の光』は、映像の美しさなんかで海外で高く評価されたけど、日本では「小津安二郎ファンが撮った映画」みたいな評価だったらしい。また、是枝裕和はこの『幻の光』を撮った時に、「絵コンテを描いてその通りに撮るなんて面白いか?」と誰かに言われたそうで、それでグサッとなったのだという。
それで『ワンダフルライフ』では、ドキュメンタリー的な手法を採り入れた撮影を行い、そしてさらにそれが『DISTANCE』にも引き継がれたという。しかし是枝裕和は『DISTANCE』で明確に、「フィクションとしてのリアリティを追求しなければならない」と感じたのだそうだ。
『DISTANCE』は、設定だけ役者に与え、セリフや動きなどはその場で役者に決めてもらうというかなり実験的な手法で撮られているという(僕は観ていない)。で、撮影もかなりドキュメンタリーと同じようなやり方で撮っていたこともあり、「現場や役者が持つリアリティ」をかなり捉えることが出来たという。しかしその一方で、「現場や役者が持つリアリティが、フィクションのリアリティに繋がるのかは疑問だ」という問題意識も生まれたという。
そしてだからこそ、『誰も知らない』では明確に「フィクション」であると銘打ち、「フィクションとしてのリアリティ」を徹底的に追求したのだそうだ。山崎氏曰く、「『誰も知らない』は脚本の段階からすべての設計において、フィクションであることを明確に意識して作られている」と話していた。
とはいえ、『ワンダフルライフ』『DISTANCE』でやってきた「ドキュメンタリー的な要素」も完全に捨てたわけではない。それが、よく知られているだろう「子役には状況の説明だけして、動きやセリフはその場で出てきたものを使う」というやり方にしたのだそうだ。子役4人は、最年少のゆき役の子も含め、全員「はっきりしたセリフ」は与えられず(そもそも脚本も渡されていないという)、シーン毎に「学校に行きたいよね?」とか「お母さんがいなくて寂しいよね」みたいな状況だけ伝えて、後は子どもたちに任せていたという。『DISTANCE』でやっていたことを、「フィクションのリアリティ」を高めるやり方として昇華したスタイルということだろう。
で、山崎氏は「YOUさんも子どもみたいな人で」とか言って会場を湧かせていた。YOUには脚本を渡していたようだが、恐らくYOUは事前に脚本を覚えてこなかったようで(読んだ読んだとは言っていたそうだが)、だからYOUのセリフもアドリブが多かったみたいである(「アントニオ猪木もYOUさんのアドリブじゃないかな」と話していた)。ただ、YOUはバラエティをやっていたこともあり、「その場の空気を読んで何を言うべきか」を察する力が抜群だったとも話していた。
で、面白かったのが「録音マンを誰にするか」という話である。録音マンはどうも厳しい人が多いようで、それに伴って人相も怖い感じの人が多いという。ただこの撮影では、「子どもたちの自然な反応」をいかに捉えるかが最大の問題だったわけで、山崎氏は是枝裕和から「優しい顔の録音マンを探して」と依頼されていたという(恐らくそんな依頼をするようなことはまずないだろう)。で、山崎氏が推薦した人物の顔を見た瞬間、是枝裕和は「彼にしましょう」と言ったそうだ。
ではあといくつか。まず、本作『誰も知らない』は「子どもたちのクローズアップのシーンが多い」のだが、その理由について山崎氏は、「クローズアップで撮れば、そのシーンにおける他の人との関係性や他のシーンとの繋がりをあまり考えなくて済むから」と話していた。子どもたちの自然な反応を捉えることを目標にしていたわけだが、それはセリフだけではなく動きも同じである。通常撮影では、役者の立ち位置が決まっていて、同じシーンを別角度から撮る際にはその立ち位置にまた戻る、みたいなことをするのだろうが、それでは「自然な反応」を繋いで作品にするというコンセプトが成り立たない。そのため、「クローズアップにして、メインとなる人物しか映らないようにすれば、子どもたちがどういう動きをしてもなんとかなる」みたいに考えられていたのではないかと話していた。
あともう1つ。インタビューアーが「この作品はフィックスでの撮影が多いですよね」と言っていたのだが、ここにもエピソードがあった。「フィックスでの撮影」とは、カメラを三脚などで固定しカメラワークを行わずに撮るやり方なのだが、山崎氏は「物語の最初はなるべくフィックスでという指示があった」と言っていた。本作では、山崎氏の表現を借りれば、後半で「子どもたちが反乱する」ような展開になっていくのだが、そこからは手持ちカメラの撮影が増えてOKということになっていたという。しかしそこに至るまではなるべくフィックスで撮りましょうというわけだ。こうすることで、後半の動きがより強調されるし、またフィックスでの撮影によって「子どもたちが部屋に閉じ込められている」みたいな印象も強くなるだろう。
ただそれはそれで問題で、というのも先述した通り、動きさえ事前に決めずに子どもたちに任せていたわけで、だからその動きに対応しなければならない。どうしてもフィックスでは難しいシーンもあったのだろう。というような苦労もあったようだ。
というわけで、超有名作だが観れていなかったので、今回観る機会があって良かった。とても素晴らしい作品だったなと思う。個人的には、冒頭の「子どもがスーツケースから出てきた」時点で、「これは酷い終わり方をするんだな」という予兆を感じたのだが、ちょっと僕の想定とは違って「そういう状態で物語が閉じるのか」という驚きもあった。もっと分かりやすいラストにすることも全然出来ただろうが、敢えてそうしなかったのだろう。そんな終わり方もまた印象的な作品だった。
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