【映画】「GO」感想・レビュー・解説
さて、「丸の内TOEI」の閉館企画で昔の映画が色々再上映されているのだが、その中でタイミングが合う映画があれば観ようと思っている。というわけで今回は『GO』。2001年の映画かぁ。24年前ってことは僕が18歳。映画なんかまったく観てなかったし、それどころか小説をバンバン読み始める時期よりも少し前だな。だから当然観ていない。ちなみに、金城一紀の原作小説は読んだことがある。内容は覚えていないけど、面白かった記憶はある。でも金城一紀と言えばやっぱり圧倒的に「ゾンビーズシリーズ」だよなぁ。
というわけで本作『GO』はなかなか面白かった。まとまったストーリーは特段ないのに面白いというのは、僕にとっては割と珍しいタイプである。大体、ストーリーにしか興味がないからだ。
本作は、主人公の杉原(窪塚洋介)が「在日」であることを理由に普通高校(杉原は中学まで民族学校に通っていたため「普通高校」という呼び方になっている)で差別的な扱いをされるのだけど、それにキレて暴れまわるシーンから始まる。父親が在日朝鮮人なだけで、杉原は日本生まれ日本育ちであり、彼自身は特に自分を「朝鮮人」みたいには思っていない。朝鮮語だって、学校で”習って”喋れるようになった(はずだ)。しかし、国籍が日本人ではないということがそこかしこで何かしらのしがらみを生む。
杉原は中学時代、悪友たちとアホみたいなことばかりして、警察のお世話になったりしていた。さらに杉原は「民族学校開校以来のバカ」と評されるほど勉強ができず、将来の展望も見えてこない。しかし色々あって(いや、なかったかもしれないが)日本の普通高校に進学し、そして冒頭で描かれる「暴れまくった1日」があったお陰で、彼の人生はちょっぴり動き出していく。
「暴れまくった1日」以来、彼の元には「挑戦者」が多数やってくるようになったのだが(杉原の24連勝)、その最初の1人が加藤だった。ボコボコにしたのだが、何故かそれから仲良くなり、杉原は加藤の誕生パーティー(彼はヤクザの息子であり、それはそれは盛大なパーティーだった)に誘われたのである。そしてそこで運命の出会いを果たす。
桜井と名乗ったその少女は、退屈なパーティーから抜け出そうと誘い、夜の学校の校庭に一緒に忍び込んだ。お互いに距離感を測っているような微妙な雰囲気を漂わせながら、少しずつ2人は仲良くなっていく。
しかしある日、杉原が尊敬する同級生のジョンイルに大変な出来事が起こり……。
というような話です。
先ほども書いた通り、正直、ストーリーらしいストーリーはない。唯一、杉原と桜井の恋模様は割と長めに描かれるが、しかしそれにしたって、本作の中核を成す要素とは言えないように思う。
それでも本作を何かで括るとするなら、「杉原にとっての『転機』を繋ぎ合わせた作品」となるだろうか。杉原はある場面で、「それまでは差別とかされても全然気にならなかった」みたいなことを言っていた。中学まで民族学校に通っていた彼のコミュニティは基本的には同胞が中心だったんだろうし、だから「差別してくるような奴と関わる必要もないし、関わるだけ無駄」みたいに感じていたんじゃないかと思う。
しかし、日本の学校に通うようになったことで、中学までの友人とは関わらなくなっていったみたいで(その中でも唯一継続して関わりを持っていたのがジョンイル)、だからコミュニティが一気に変わったのだと思う。そして、「同胞ばかり」という環境ではない中で「差別意識」を向けられることで、また感じ方が変わってきたのだと思う。
さらに彼は、「それまで大事だって思える日本人と出会えてなかったんだと思う」みたいなことも言っていて、だから桜井との出会いもかなり重要だったのである。
そして本作は、「そんな杉原の考え・価値観が揺らいだり変わったりした場面」を繋げて作られたような作品なんだろうなという気がする。
さて、24年前と現代では「差別」に対する感覚は大分変わったように思う。特に、これはあくまでも僕の主観的な印象に過ぎないが、若い世代ほど「差別意識を表に出さないこと」への配慮が優れているなと思う。
さて、微妙な書き方をしたのは、「差別意識を持っていない」みたいな言い方はあまり好きじゃないからだ。個人的には、「差別」に限らずどんな価値観・感情も、「表に出さなければ、頭の中で何を考えていてもいい」と思っている。だから「差別意識を持っていること」自体を責めるつもりはないのだ。もちろん僕には、「若い世代は『差別意識』を持っていないように見える」のだが、しかしそれはなかなか証明できることではない。ただ、「差別意識」を持っているかどうかに拘らず、「それが表に出てこない」という点は事実として認めていいと思う。
特に、おじさん・おばさん(まあ僕もそう呼ばれるような年齢ではあるが)は「自分の言動が『差別意識』を含むものである」という自覚が出来ていないことが大変多いが、若い世代はたぶんそういう人は少ない。「どういう言動が差別的なのか」に対する自覚が凄く高いなと思っている。そしてだからこそ、そういう若い世代が本作を観たら、「えっ!?」みたいに感じるかもなぁ、と思ったりもする。「そうか、こんな『差別意識』丸出しの時代があったんだなぁ」と驚くんじゃないだろうか。
さて、そんな「差別」に関する描かれ方で、特に印象的だったのが、「時々、肌の色が緑だったら良かったって思うよ」ってセリフだ。何故そんな風に考えるかというと、「自分が在日だってことを忘れたりしないし、それに肌の色が怖いって思う奴はそもそも寄ってこないしね」というわけだ。なるほどなぁと思う。
この辺りの議論は、いわゆる「見えない障害」を持つ人にも当てはまるだろう(ちなみに僕は「障がい」とか「障碍」みたいな表現はなんかしっくり来ないので「障害」としている)。例えば「車椅子に乗っている」「白杖をついている」みたいなことなら「障害を持っている人だ」とすぐに分かるが、「耳が聞こえない」とか「LGBTQ」みたいなものだと見た目ではすぐに伝わらないことの方が多いだろう。そういう「見た目では判別が難しいが、一定の区別(あるいは差別)を受けてしまう要素」を持っている人には、彼の「肌の色が緑だったら」というセリフは「なるほど!」と感じられるんじゃないかと思う。
というわけで、ストーリーについてはあまり言及できることがないので別の話をしよう。
まずはやはり、窪塚洋介が圧倒的だなと思う。凄い存在感だよなぁ。映画公開時は22歳とからしい。撮影していた時はだから、10代後半だったかもしれないってことか。凄いものだ。日本の俳優の中でもやはり、ちょっと特異的な存在感を放つ役者という感じがするし、努力して出せるような雰囲気って感じではないなとも思う。
演技のことはよく分からないけど、窪塚洋介を観ていると、「彼が見ている先には何かがある」みたいに感じさせる。何かモノがそこにあるみたいなことだけではなくて、「彼の注意を惹くような記憶・音・動き」などなど、とにかく、窪塚洋介が視線を向けている先がとても気になる。そういうシーンでは窪塚洋介を映し出しているわけで、だから窪塚洋介が視線を向けている先は「カメラの外」だったりするだろう。そしてそんな「カメラの外」にまで観客の意識を向けさせられるからこそ、彼の存在は大きく、異端的に、魅力的に見えるんじゃないかという気がする。
本作は宮藤官九郎脚本なのだけど、なんとなくイメージとして「宮藤官九郎が描き出すキャラクターは、ある種の『非現実味』を帯びている」みたいな気がしている。本作では、柴咲コウ演じる桜井もそれに近い存在だったように思うが、とにかく「ホントにこんな奴いるか?」みたいに感じられてもおかしくないようなキャラクターを宮藤官九郎はよく造形するような気がしている。
そして、そんな存在を「リアル寄り」に出来る役者はやはりそう多くはないだろう。窪塚洋介はそんな1人だなと思う。普通なら「ちょっとあり得ないかも」と感じてしまうような言動さえも、窪塚洋介の演じ方や存在感によって「なるほど、ギリいるかも」ぐらいの感じにさせられるのだ。そういう役者は確かに他にもいるが、決して多くはないし、良い役者だなぁと思う。
あと、マジで全然関係ないんだけど、つい一昨日、映画『でっちあげ』を観たのだけど、その中で柴咲コウ演じる母親が「穢れた血」の話をしていた。そして今日観た映画でも、柴咲コウ演じる桜井が「穢れた血」の話をしていたのである。これは僕がたまたま近い感覚で観ただけという偶然以外の何物でもない話ではあるのだが、個人的にはなかなか面白い偶然だったなと思う。
というわけでホント、何が良かったんだかあまり上手く説明出来ないのだけど、なかなか惹きつけられる物語だった。ちょっと前に観た映画『フロントライン』の窪塚洋介も超良かったし、ホント、メチャクチャ良いよなぁ、窪塚洋介。
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