【映画】「ひゃくえむ。」感想・レビュー・解説

いやー、これは面白いなぁ!メチャクチャ良かった。ただもしかしたら、ちょっと前にたまたまスーパー銭湯で『チ。―地球の運動について―』を読んでなかったら、本作を観ようとは思わなかったかもしれないので、その辺は本当にタイミングだなと思う。

というのも、僕は「スポーツ」に1ミリも興味がないのだ。

世界陸上なんて1秒も観なかったし(報道番組のダイジェストが視界に入ったぐらい)、その他のスポーツの「鑑賞」にもなんの興味もない。自分がやるならまだしも、「観ているだけ」の何が面白いんだ、といつも思う。そんなわけで、普通なら完全にスルーしていた作品だろう。なのだけど、『チ。―地球の運動について―』の人が原作マンガを描いていると知って俄然興味が湧いた。

そしてやはり、その直感は当たっていたなと思う。

「スポーツに興味がない」のには色んな理由があると思うのだけど、理由の1つは「分かりやすいから」かもしれない。それは「ルール」の話ではない。「動機」の話である。別にスポーツにもスポーツ選手にも詳しくないが、やはり何かスポーツを突き詰めるのは「記録を更新したい」とか「有名になってお金を稼ぎたい」とか、まあ他にも色々あるとは思うけど、とにかくそういう「分かりやすい動機」があるように思う。

しかし、本作のメインで描かれる者たちは、そういう「分かりやすさ」みたいなものはない。はっきり言って、「どうして走っているのかよく分からない」みたいな人間が多いのだ。

そして、そういう人間たちを主人公に据えた場合、「100m走」というのは途端に訳のわからないスポーツになる。チームスポーツのような協力プレーはないし、「ただ走るだけ」だから傍目には「面白味に欠ける」ように見える。記録の更新はもちろん狙えるだろうが、しかし「0.01秒単位」という、個人的には「そんなの誤差だろ」としか思えない領域で戦っているのだ。そしてそんなスポーツに、「特段の目的もなく人生を突っ込んでいる」みたいな人間がメインで描かれているわけで、そりゃあ面白くもなるだろう。

作中では、色んな人が色んな人に「何故走るのか?」と問うていた。この問いは、あまり他のスポーツでは聞かないように思う。もちろん、「何故サッカーを始めたんですか?」みたいなきっかけを聞く質問はいくらでもあるが、「何故走るのか?」というのはそういうきっかけを問うものではないだろう。そこには、「(こんなに単調でしんどくて刹那的なのに)何故走るのか?」みたいな、マイナスの感覚をベースにした疑問が含まれているはずだ。そういう意味で、こういう系の問いで一番有名だろう「何故山に登るのか?」みたいな問いに近いと思う。

そしてこの問いに、皆なかなか面白い返答をする。個人的に一番好きなのは、小学生時代の小宮の返答だ。彼は、学校一走るのが早いトガシから走りを教わることになるのだが、そうなる前、町をがむしゃらに走っている時にトガシから「走るの好きなの?」と聞かれた。これに対して小宮は「いや、辛い。でもぼやけるから。現実より辛いことをすると、気が紛れる」と返していたのだ。小学生パートは「全然小学生のやり取りじゃないよな」と感じさせる雰囲気があるのだけど、別にそんな違和感を抱かせない何かがこの作品にはある感じがして、その辺りも見事だなと思う。

また本作には、「現役最強のスプリンター」として財津という男が出てくるのだけど、こいつも凄い。それまでも名前だけはずっと出てきていたけど、初めて作中で登場し喋ったシーンはかなり衝撃的だった。超絶変人で、メチャクチャ好きだなぁ、こいつ。あまり近くにはいてほしくないタイプだけど(笑)

彼は母校の恩師に呼ばれたのだろう、生徒たちの前で講演をすることになったのだけど、彼の発言は30秒程度で終わり、「あとは質問があればどうぞ」となった。最初に質問をするのは陸上部の部長ということになっており、彼が当たり障りのない、例えば「どうして今も記録更新を目指して走り続けられるんですか?」みたいなことを聞くのだが、それに対する返答は、およそスポーツ漫画(アニメ)では聞けないようなものである。彼はこんな風に言ったのだ。

『私は生物だ。いつか死ぬ。そして2度と生まれてこない。理由はそれだけだ。』

これを高校生に言ってるわけで、そのイカれぶっ飛んでる感じは想像出来るだろう。

こんな風に、本作はスポーツを扱っているのだが、その動機が全然分かりやすくないし、そして、そんな分かりやすくない理由のままひたすらに100mを走り続けているという事実が実に狂気的に感じられて、それが凄くいいなと思う。

加えて個人的に良かったのが、「走ることの真髄を突き詰めたいと思っている」みたいな人物が出てこなかったことだ。どう考えたって、スポーツを描くとしたら、そういう人間を1人ぐらい出したくなるだろう。キャラクターとして分かりやすいし、「天才」として描きやすいからだ。しかし本作には、そういう人間は出てこない。そういう「定石」を全部外してくるみたいな感じがいいなぁと思う。

しかし、「じゃあ『ひゃくえむ。』では一体何を描いているんだ?」と感じるかもしれない。一応物語のメインストリームとしては、「小学生時代のライバルだったトガシと小宮が大人になって相まみえる」という感じなのだが、しかし、実際に観てみると「これが本筋なのか?」と言いたくなるような描かれ方だった気がする。「物語を追いやすくするために一応これをメインの物語ってことにしてますけど」みたいなニュアンスが凄く感じられたのだ。

その上で改めて何が描かれているのか考えてみると、「努力や才能の絶望」みたいなことなのかもしれないな、と思う。

トガシの視点で言えば、「小学生の頃には圧倒的に自分の方が上だったが、大人になって小宮に抜かれた」という現実がある。トガシも努力していたが、小宮の努力(や才能)が上回っていたのだろう。大人になってトガシは、かつて天才と騒がれた頃の面影はなく、かなり苦労しながら陸上選手としての活動を続けている。一方の小宮は、ずっと第一線で頑張っているみたいだ。小学生の頃には、そんな圧倒的な差が生まれるなんて想像もしていなかっただろう。

あるいは、海棠という人物の話も興味深い。彼もまた幼い頃から圧倒的な才能を持っていたが、同時代に財津という天才がいた。何度も「生まれる時代が違ったら」と言われたそうだ。「万年2位」と呼ばれるぐらい、財津には太刀打ち出来なかった。そんな彼が、トガシからアドバイスを求められて口にしたのが、「現実からは逃避できる」である。およそスポーツ選手の言葉とは思えないだろう。

しかし、彼の理屈を上手く再現することは出来ないのだが、どうも彼は、この「現実からは逃避できる」という理屈を使い、「何故だか毎回、『次に勝つのは俺だ』と思い込むことが出来ている」みたいなことを言っていた。なかなか歪な思考だとは感じたが、しかし、財津という「圧倒的な現実」が常に目の前にいた人生において、「走り続ける」ことを止めずにいられたのは、まさにその「歪んだ思考」のお陰なのだと思う。本作中で最も哲学的な存在は財津だと思うが、財津はどちらかと言えば「変人」という部類であり、「まともな人」の中で最も哲学的だったのは海棠だろうと思う。「現実が何か分からなければ、現実からは逃げられない」というセリフも、凄くいいよなぁ(これは確か予告で使われていたはず)。

さてこのように、「圧倒的な強者の存在に打ちのめされる」みたいな意味での「絶望」は理解しやすいと思うが、個人的に一番興味深かったのは財津の「絶望」である。彼は、記録更新にこだわり続ける小宮との会話の中で、こんなことを言っていたのだ。

『先頭を走り続ければ、隣を見ても常に誰もいない。その光景は、最下位のそれと同じだ。本当の勝利をもたらすのは記録でもメダルでもなく、対戦相手だけだ』

このセリフもまた、ある種の「絶望」と捉えることが出来るだろう。財津はとにかく異常に強かったようで、観客席で会話をしていた女性たちが、「『財津は最近落ち目だから』『いや、財津は全盛期が異常だっただけだから』」みたいな話をしていたほどだ。そりゃあ、海棠が「現実逃避」をしたくなるのも無理はないだろう。

しかし、そんな「世代最強」だからこそ、彼はどんどんと「走る理由」を失っていったのだと思う。走り続けていても、彼を掻き立てるライバルは出てこない。この辺りは「山登り」とはまた違う部分だなと思う。「山登り」は「自分との闘い」という感じがするが、「100m走」というのはやはり、明確に「対戦相手」が想定されている。海棠にとっては、同時代に財津がいたことが不幸だったわけだが、財津からすれば、財津と拮抗するライバルがいなかったこともまた不幸だったというわけだ。

また本作では「努力ゆえの怪我」みたいなものも色々と描かれており、さらにそんな怪我に至る背景に「才能を持つ者のプレッシャー」みたいなものも関係してくるわけで、やはりこれも「努力や才能の絶望」と捉えられるように思う。

本作では割と初めの方で、「人生にはシンプルなルールがある。100m走を誰よりも早く走れば、大抵のことは解決する」というセリフが出てくる。このセリフは小学生時代のトガシが口にしたもので、そしてそれを真に受けた小宮がひたすらに努力してトガシを追い抜くのだ。結果として、小宮にとってはとても重要な言葉になったと言えるだろう。

しかし、トガシにとってはどうか。詳しくは触れないが、後半にトガシが号泣するシーンがある(これもまた実に印象的だ)。そしてそこで彼が口にしていたことを踏まえると、「100m走を誰よりも早く走れば、大抵のことは解決する(が、そんな人生は選ばない方がいい)」という感じかもしれない。

「走る」というのは、大抵の人が出来ることで、だから足を踏み入れやすい。例えばこれが「将棋」や「ピアノ」となると、入口の段階でのハードルが多少なりともあるし、だから「人生を狂わされた」みたいになる人も少なくなると思う。しかし、「走る」というのは最初のハードルが低すぎるが故に、結果として人生を狂わされてしまうみたいな人も結構多いんじゃないかと思う。

そしてだからこそ、ここにも「努力や才能の絶望」が関係してくると言えるだろう。「将棋」や「ピアノ」の場合、「その才能をたまたま知る」みたいなケースは低いはずだが、「走る」というのは他のことと比べると才能が見出されやすいと思う。だから、狂わされる人も想定的に増える。そういう色んな要素を踏まえると、ホントに「100m走」というのは絶妙なモチーフという感じがするし、さらにそんな舞台の上で、特異なキャラクターたちを絶妙に生きさせていたなと思う。

そんな実に興味深い作品だった。

さて最後に。エンドロールが、「シーン毎の作画表記」になっていて、個人的には結構珍しいんじゃないかと感じた。「小学校時代」や「全国大会」など、それぞれのシーンで誰が原画やら作画やらを担当したのかみたいなことが表記されていたのだ。そこにどんな意図があるのかはよく分からないものの、観客としては「スタッフに敬意を示している」みたいな感じがして、好印象だった。

あと、映像的なことはあまり知識も感性もないので上手く評価できないが、「カメラアングル」や「雨の中でのレースのワンカット」など、カメラワーク的に印象的なシーンが結構あって、凄く良かったなと思う。こういうアングルで実際のレースが観れたら面白いんじゃないかなと思ったりもする。選手的には邪魔だろうけど。


いいなと思ったら応援しよう!

長江貴士 サポートいただけると励みになります!

この記事が参加している募集