ウクライナ侵攻の報道に触れる度モヤモヤすること(批判ではありません)
こういうことは書かない方がいいだろうなぁ、と思いつつ、どうしても自分の中のモヤモヤを解消できないので文章にしてみる。
しかしその前に、まず、誤解を避けるための「私が立っている前提」について書いておこうと思う。
僕は、ウクライナ侵攻に様々な形で支援・抗議をする人すべてを素晴らしいと思う。これについては、一点の曇りもなくそう断言できる。SNSで発信するでも、寄付するでも、デモに参加するでも、直接ボランティアに行くでもなんでもいい。とにかく、ウクライナ侵攻に対して支援・抗議の活動をする人は全員素晴らしいと思っている。
先日、渋谷を歩いている時に、ウクライナ侵攻に対する抗議の声を上げるデモ行進を見かけた。僕が信号待ちをしている時に、反対の歩道側をデモ行進が進んでいたのだが、信号待ちをしている人たちから、なんとなくだが「うわー、デモなんかやってるよ」みたいな白けた雰囲気を感じてしまったことを思い出す。
具体的にそれを示唆する言葉がはっきり聞こえたわけではないし、僕の勘違いかもしれないのだが、信号待ちをしている周囲の人たちの「あんなダサいことやりたくないよね」「ちょっと止めてよデモなんて」みたいな雰囲気がなんとなく感じ取れてしまった。
そして、そのことに対して僕は静かに怒りを覚えていたのである。
僕自身、ウクライナ侵攻に対しては何もしていない。自分を擁護するつもりはないが、僕は、「何もしていない人間が責められるのは間違いだ」と思っている。そして同時に、「何かしている人間が責められるのも間違いだ」とも考えているのだ。
もちろん、支援・抗議の意思があるからと言って、例えばロシアの大使館を襲撃するみたいなことまで許容されるはずがない。行使する手段には「明確な不正解」が存在するというわけだ。しかし、現在進行系の状況においては、「明確な正解」は分からない。それが「明確な不正解」ではなく、当人に支援・抗議の意思があるのなら、どんな言動も一旦は許容されるべきだし、称賛されるべきだと僕は考えている。
そういう意味で僕は、今、何らかの形でウクライナ侵攻に対し支援・抗議をしているすべての人に賛同するし、称賛したいと思う。
さて、こんな当たり前のことをつらつら書いているのには理由がある。それは、これから当たり前ではないことを書こうとしているからだ。僕の文章が的確に受け取られない場合、「今ウクライナ侵攻に対して支援・抗議をしている人を非難するような内容」だと勘違いされてしまうかもしれない。それを避けたいと思い、ここまで、当たり前のことを書き連ねてきた。
では、僕が最近ウクライナ侵攻の報道を見ながらモヤモヤしてしまうことについて触れていこう。それは、「アメリカが仕掛けたイラク戦争と、ロシアが仕掛けたウクライナ侵攻は、一体何が違うのだろうか?」ということだ。
イラク戦争についても、僕は正直詳しい情報を知っているわけではない。しかし当時、ニュースなどで繰り返し報じられていたのは、
<イラクは大量破壊兵器を保有している。だからアメリカはイラクを攻撃する。>
というものだったはずだ。しかしその後、「イラクは大量破壊兵器を保有していなかった」という最終的な見解が出されている。
一方、ロシアはウクライナを侵攻している理由について、
<ウクライナの非ナチ化、非武装化>
を目的だとしている。一般的にこの主張は、「ロシアは一体何を言ってるんだ。ウクライナにはナチなんかいないし、武装化もしていないじゃないか」と受け取られているはずだし、どう考えてもロシアのこじつけにしか感じられないだろう。
しかし、イラク戦争を始めたアメリカの主張も、大差ないのではないかと私は感じてしまうのだ。
イラク戦争を始める時点で、ブッシュ大統領は「イラクが大量破壊兵器を保有している証拠」を示さなかった。当然だ。イラクは大量破壊兵器など持っていなかったのだから、証拠など示せるはずもない。しかしそれでも戦争を強行した。
ロシアも、ウクライナのナチ化・武装化の証拠を示していない。だから僕たちは我田引水だと感じる。しかしそれは、イラク戦争を始めたアメリカの主張と、一体何が違うのだろうか?
こんな風に考えた時、今ロシアの国民がどのような状況に置かれているのかもなんとなく想像できる。
僕たちは、アメリカがイラクに戦争を仕掛ける際に、現在のような抗議の声を上げなかった。上げた人もいるだろうが、今みたいな大きな潮流にはならなかったという意味だ。つまり僕たちは当時、「アメリカがイラクに戦争を仕掛けることに、さほど違和感を覚えていなかった」ということになるだろう。
そして恐らく、ロシアの報道に接しているロシア国民も、同じ状況にあるはずだ。彼らもまた、「ウクライナがきっと悪い。だからロシアがウクライナを侵攻するのは当然だ」と考えている可能性がある。SNSで情報を得ている若い世代はともかく、テレビで情報を得る高齢者はやはりテレビが報じる情報を信じている、とニュース番組で説明されていた。
もちろん、イラク戦争の時とは状況が違う。SNSが社会に浸透していることは社会を大きく変えただろうし、「イラク戦争の時には声を上げなかったが、ウクライナ侵攻では声を上げている」ことの背景にSNSの存在が関係している可能性はもちろんある。イラク戦争とウクライナ侵攻を同列に比較するのはフェアではないだろう。
しかしそうだとしても、メディアの報じ方が影響しなかったとは言えないと思う。というか、間違いなく関係しているだろう。
この文章で僕が伝えたいことは何か。
先述した通り、「ウクライナ侵攻に声を上げている現状」を非難したいわけではまったくない。「ウクライナ侵攻に声を上げること」はとても正しい行為だと思っているうが、しかし、情報を的確に受け取り、判断しなければ、僕たちは容易に行動を誤ってしまう。そのような「躊躇」を持ってほしいと思ったのだ。
僕は、ウクライナ侵攻の報道に触れ、それに対して支援・抗議の行動を取る人々の姿を見る度に、「イラク戦争の際も同じ行動を取っているべきだった」と感じてしまう。それが、僕が抱く「モヤモヤ」の正体だ。
こんな僕の文章で、今ウクライナ侵攻に対して支援・抗議の声を上げている人たちの歩みが止まるはずもないと思うが、もしそう感じてしまう人がいれば、それは僕の本意ではない。誰かの言動に何らかの制約を課したいと思っているわけではないのだ。そうではなく、「情報を的確に捉えなければ、結果として誤った言動になってしまうかもしれない」という戒めを、自分自身を含め再認識すべきではないかと言いたいだけだ。
ロシアは、SNSやインターネットまで含めた情報のコントロールが決して上手い国ではないそうだ。だからこそ、今もウクライナの現状がSNS等を通じて拡散され、そのお陰で僕たちは現状を知ることができている。しかしこのことは、裏を返せば、情報のコントロールが上手い国は悪事を覆い隠せてしまうことを示唆しもするのだ。
そのことはとても怖いことだと思う。どうやったら、その「最悪」を回避することができるのか、私たちは考えなければならないのだろう。
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