【映画】「フェアウェル」感想・レビュー・解説
まあ、俺ならキレるな(笑)
余命を伏せられてたら。
「嘘」が「優しさ」とみなされることがある、ということを否定するつもりはない。でもそのためには、一つ絶対条件があると僕は思っている。
それが、その「嘘」を最後まで突き通すことだ。
これが出来ないなら、「嘘」が「優しさ」になることはない、というのが僕の基本的な考えだ。
そして、余命を伏せるというのは、これに該当しない。
何故なら当人は、しばらくしたら自分の死期を実感するからだ。
その時に、「嘘」だったことを明かすしかない。
だから、これが「優しさ」になる意味が、僕には分からない。
映画を観終えても、基本的な考え方は変わらない。
けれど、映画の最後の最後の場面を観て、まあ確かに、結果オーライということはあるわな、とは思う。
しかしそれは、運任せでしかない。
いつも、うまく行くわけじゃない。
映画の中で、こんなセリフが出てくる。
【西洋では、人の命は個人のものかもしれない。でも、東洋では違う。東洋では、個人の命は全体の一部だ。家族や社会の一部なんだ】
日本は、今では告知する方向に変わっていると思うけど(たぶん)、昔は日本でも、ガンの告知などは本人には行われていなかったはずだ。東洋的な考え、ということなのだろう。今では、色んなものが西洋化しているから、日本でも多くの人が、人の命は個人のもの、と考えているだろう。
その考えに慣れている者からすれば、「人の命は全体の一部」という考えは、ちょっとキモチワルイ。「うぇ!」って吐き気を感じさえする。自分の命が全体の一部だなんて思われてるとしたら最悪だ。しかし、こういう死生観みたいなものは、長い年月を掛けて生まれたものだろうし、宗教的なものとも密接に結びつく。日本は、わかりやすく「宗教」が表に出てこない国だから、中国と比べて変わりやすいという部分はあったかもしれない。
中国には、
【ガンで死ぬ人は、ガンではなく恐怖に殺される】
という言葉があるそうだ。まあ確かに、「ガン」というものが過剰に恐れられているのであれば、それを伝えないことも選択肢の一つかもしれない。
しかし映画を観ていて強く感じたことは、
「その人の近い死を知った上で、その人になんでも無いように振る舞うことの不自然さの方がマイナスではないか」
ということだ。
主人公はアメリカに住んでいて、両親から「中国に戻ってくるな」と言われる。「お前は感情を隠せないから」と。しかし主人公に限らず、やはり、死にゆく者の前で普通ではない振る舞いをしてしまう者はいる。この映画の中では、結果的に祖母はその不自然さに違和感を覚えなかったが、その不自然さから「嘘」がバレる可能性だって充分にあるだろう。
その場合が、最も最悪な事態と言えるだろう。
だったら、それよりはマシである、本人に病気をちゃんと伝える、という選択の方が、結果的に良くなる世界線だって、きっと存在するだろう。
内容に入ろうと思います。
この映画は「実話を基にした」作品なのだけど、冒頭の表示が面白かった。
【実際にあったウソに基づく】
6歳の時に中国から両親と共に移住し、ニューヨークで生活しているビリーは、金欠だし、仕事の面でもあまりうまく行っていない。中国にいる祖母のことは大好きで、よく電話をするが、相手に心配を掛けまいと、お互いに自分の境遇を素直に話さない。ある日ビリーが両親の元を訪れると、父が塞ぎ込んでいた。理由を問い詰めると、祖母が末期がんだという。余命は三ヶ月。しかし、親族の間で、本人には伝えないことにした。日本にいるビリーの従兄が結婚するというウソをついて、親族が中国に集まることにした。でもビリー、お前は顔に出やすいから来るな、と言われてしまう。しかし、祖母が大好きなビリーは、両親の言いつけを無視して、単身中国へ戻ることにする。
孫息子の結婚式を執り行うと張り切っている祖母を尻目に、親族は沈鬱な表情を浮かべている。親族は、祖母には悟られないようにしながら、ウソの結婚式の準備を進めることになるが…。
というような話です。
正直なところ、映画全体として何か盛り上がりがあるというわけではなく、最初から最後まで「祖母に病気のことを隠す」という一点のみでストーリーを展開させている映画で、そのシンプルさに評価が分かれそうな気がします。僕としては、良いテーマだったと思うけど、ちょっと物足りなさも感じました。
中国で生まれたけど、アメリカで育ったビリーの視点を中心に、「本人に病気のことを伝えないことが正しいか否か」をずっと問い続ける作品で、こういう映画を観ると改めて色んな人が、自分だったらどうだろう、って考えるんじゃないかなと思います。僕個人としては、ビリーと同じで、「告知しないのは違法」という考え。でも、中国で生まれ育った人たちは、「なんでわざわざ”傷つける”ようなことを言わないといけないの?」という反応だ。告知しないことが当然と考えている文化の人に、「告知しないのは違法」という考え方は通じない。
また、映画の途中で、祖母自身も義兄に対し、余命を隠していたということが明らかになる。本人が過去にそういう選択をしたんだから、自分がそうされて怒る理由がどこにある?と、祖母の妹はビリーに言います。
映画を観ながら、この場面で、ちょっとだけ自分の考え方が変わった気がします。確かに、祖母自身が過去にそういう行動をしていれば、「自分もそう扱われたい」と表明したのと同じ、とみなされても仕方ないでしょう。自分が過去に余命を伏せるという行動を取った上で、自分自身はそう扱われたくない、ということであれば、周囲に前もってそのことを伝えておく必要があるだろうな、と。そして、恐らくそういう行動はなかっただろうから、今回の場合、親族の「伝えない」という選択は正しいんだろう、と思えるようになりました。
自分だったらどうだろう、と考えさせられる映画だと思います。
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