【映画】「A.I.」感想・レビュー・解説

これは面白かった! ムチャクチャな話だったけど。いや、メチャクチャ面白かったなぁ。「午前十時の映画祭」での鑑賞だったけど、前回の『カプリコン・1』と同様、何故か夜の時間も上映していた。夜やってる方が平日も観られるから助かるんだけどね。

で、当然のことながら、最近の是枝裕和監督の『箱の中の羊』を思い出したが、本作『A.I.』の方が圧倒的に秀逸だな。25年前の映画らしいけど、今でも全然通用するだろう。しかしまさか「それから◯年の月日が流れた(一応年数は書かないでおく)」なんて展開になるとは思わなかった。ぶっ飛びすぎてるわ。

で、映画の冒頭で「スタンリー・キューブリック」の名前が表示されたから、彼が監督なんだと思ってたら、エンドロールでスティーヴン・スピルバーグって出て「???」ってなった。調べてみると、元々キューブリックが監督する予定だったが、彼が亡くなったためスピルバーグが引き継いだ、みたいなことのようだ。

というわけでまずは内容から。

舞台は近未来。地球は温暖化が進み、南極の氷が溶け、アムステルダムやベニス、ニューヨークといった低い土地が海に沈んだ。で、人が生活できる土地が減ったからだろう、世界は「妊娠・出産」に厳しい許可制度を設けることにした。当然、労働力も減少する。そんなわけで、この世界では、人型ロボットが活躍している。サイバートロニック社も、そんな人型ロボットを製造する会社である。

そのトップ(だと思う)は、今後のビジョンについて語っていた。お手伝いロボットは実用化された。しかし私は、ロボットをもっと人に近づけたい。だから、「人を愛する子どものロボットを作ろうと思う」と会議の場で発言していた。

それから20ヶ月後。サイバートロニック社で働くヘンリーはあるミッションに選ばれた。社内で開発した子どもロボットと生活してほしい、というのだ。実は、ヘンリーと妻モニカの息子マーティンは不治の病に冒されており、今は冷凍睡眠室で眠っている。治療法が確立されるのを待っているのだ。そしてそんな夫婦だからこそ、子どもロボットへの需要もあるのではないかと考えられたのだ。

モニカはデイビッドという名のロボットを見て、最初は拒絶反応を抱く。人間そっくりだったことにも驚いたのだと思うが、恐らく「マーティンを諦めた」みたいな感覚になるのが嫌だったのだろうなとも感じた。

しかし、しばらく接する内にやはり親愛の情が湧いてきた。ヘンリーからは「ある言葉をインプットすると、デイビッドは親を永遠に愛するようになり、他に譲渡できなくなる。どうしてもという時には会社に渡して処分してもらうことになる」と言われていた。だからインプットは慎重に考えるように言われていたのだが、彼女はやがてデイビッドに対してインプットを行う。すると、それまでは「モニカ」と呼んでいたデイビッドが、初めて「ママ」と口にし、深い愛情を注ぐようになる。

しかしその後、思いもよらない出来事が起こる。なんと、マーティンが奇跡的に病を克服し家に戻ってきたのだ……。

というような話です。

やっぱり、本作でまず驚いたのが「マーティン、戻ってくるんだ!」ってとこだろう。いや、そういう展開になってみれば、「確かにそうするのが物語的には良いか」と思ったのだが、全然そんな想像をしていなかったので驚かされた。

しかもこのマーティンが嫌な奴で。だからこそ、デイビッドの純真さが映えるってのもあるんだけど、にしても酷いもんだなと思う。

で、その後の展開を踏まえれば仕方ないと言えば仕方ないが、ただ、あんなにマーティンがクソみたいな奴なのに(両親には上手く隠しているのか?)、両親はマーティンを取るのだ。いや、まあそれも当然なんだろう。なんだろうが、観客としては「マジかよ」ってなってしまうようにも思う。「ホントにそれでいいの?」ってなもんである。

僕は結婚してないし子どももいないし、子どもをほしいと思ったこともないので全然参考にならないだろうが、僕ならマーティンよりデイビッドを取るような気がする。でもやっぱり普通は「血の繋がった人間」の方がいいんだろうなぁ。その辺りの感覚が、僕にはイマイチよく分からないのよね。

で、個人的には正直、中盤の「サイバーパンクチックな狂乱シーン」はあまり興味が持てなかった。好きな人は好きなんだろうけど、個人的には「物語として面白い」とは思えなかったから、ちょっとここはかなり眠くなってしまった。しかし、陸地が減り、人口も減った人類の娯楽の1つが「ロボット狩りをして、ハチャメチャに破壊するショーを行う」ってのは社会が荒んでるなと感じた。

で、そこからまた面白くなっていくんだが、ちょっと睡魔を引きずっていてうつらうつらしながら観る感じになってしまった。

本作の後半の物語は基本的に、「デイビッドがブルー・フェアリー(青い妖精)を探す」という展開になっていく。ブルー・フェアリーというのは、おとぎ話『ピノキオ』に出てくる「願いを叶えてくれる存在」であり、デイビッドは「ブルー・フェアリーを見つけて、『僕を人間にして』ってお願いする」という目的で旅を続けることになる。

で、そのブルー・フェアリーが「マン・ハッタン(人間の島)」にいるという話になり、そこに向かうという流れになっていき、また面白くなっていく。そしてその流れの中で「それから◯年の月日が流れた」が出てきて、最後ぶっ飛んだ展開になっていくというわけだ。

さて、本作では「AIは他者を愛することが出来るのか?」がテーマとして根底にあるのだが、その上で本作では「愛することが出来るなら憎むことも出来るだろ」というセリフが出てきて、「なるほどな」と感じた。確かに「愛する」という概念をAIに教え込もうとしたら、それと対極の「憎む」という感情も合わせて教える必要があるだろう。「正義」を教えるためには「悪」も教えなければならないのと同じような感じで、「愛」だけを教えるというのは無理な気がする。

とまあ、「教える」みたいな発想は本作が作られた頃の発想とも言えるだろうか。今では生成AIは「教える」というより「勝手に学習する」という形で新しいことを吸収していくのだろうし、だから様々な概念をどのように理解しているのかも人間には分からないように思う。

だから、「AIが他者を愛せるのか?」という問いはなかなか難しい。

ただ、考えてみれば、それは人間同士でも同じだろう。人それぞれ「愛の形」は違うはずだからだ。近くにいて寄り添うのが愛だという人もいれば、推し活のように遠くから眺めて相手の幸せを祈るのが愛だという人もいるだろう。与えることが愛だという人も、与えられることが愛だという人もいるはずだ。

だから結局、人間同士だって「誰かが自分のことを愛してくれているのか?」なんてことは分からないし、AIだって当然分からないよね、と思う。そしてそんな風に考えるなら、「AIが他者を愛してる」という風に思い込めればいいわけで、そして実際に「ChatGTPと結婚した」なんて話も出てきているわけで、まあ全然あり得る話だよなと思ったりする。

まあそんなわけで、「生成AI」の技術は、SFかっていうレベルまで進化しているが、こういう「人型ロボット」的な領域はまだまだ全然進化の途上という感じがするし、だから25年前の本作も決して今観ても古臭く感じたりはしないだろう。

中盤の展開だけ僕の好みには合わなかったが、全体としては面白く観れた。しかし、ラストの展開がなかなかぶっ飛んでて凄く良かったなと思う。


いいなと思ったら応援しよう!

長江貴士 サポートいただけると励みになります!

この記事が参加している募集