【映画】「手に魂を込め、歩いてみれば」感想・レビュー・解説

シンプルで、そして強い。笑顔のまったく似合わない場所で、はち切れんばかりの笑顔を見せるファトマの姿には惹きつけられるし、「勇敢」なんていう言葉では括りたくないその佇まいに驚かされた。

以前、『娘は戦場で生まれた』というドキュメンタリー映画を観たことがある。空爆に晒されるシリアのアレッポに留まった女性ジャーナリストが撮り続けた映像を編集した作品だ。つまり、監督は生きている。後にシリアを脱出し、イギリス(だったかな?)へと逃げ、そこで編集作業を行い、映画として発表したのだ。

本作も、「戦地にいる女性ジャーナリストの記録」という意味では近いものがある。しかし、決定的に異なるのが、「彼女は命を落としてしまった」ということだ。ガザ地区に自らの意思で留まり続けた女性フォトジャーナリスト・ファトマは、2025年4月16日未明に、イスラエルによる空爆で命を落とした。

そして本作は、そんなファトマと1年間に渡り途切れそうなWiFiを通じてやり取りを続けた女性監督によるドキュメンタリー映画である。

セピデはイラン出身で、今はフランスに住んでいる。本人曰く、「18歳の時にイランを出た。当初は1年から1年半ほどで戻るつもりだったが、結果的にはそうはならなかった」らしい。恐らく、それからずっとイラン国外で過ごしているのだろう。

セピデはパレスチナの現状を見ていられず、ラファ検問所からガザ地区へと向かおうと試みていた。しかし、どうやっても辿り着けず、カイロで足止めを食らっていた。そこで方針を転換し、ガザから逃げ出してきたばかりのパレスチナ難民の取材を行うことにしたのだそうだ。そしてその取材を通じて存在を知ったのが、ガザ地区で写真を撮り続けるファトマである。

それからセピデは、スマホでファトマと連絡を取り合うようになる。そして本作は、そんなスマホでのやり取りをさらにスマホで撮影したドキュメンタリー映画である。ファトマと通話していたスマホももちろん録画していたと思うが、それをそのまま映画で使うのではなく、「ファトマと自身がやり取りしている状況そのもの」を捉えた方がよりリアリティがあると考えたのだろう。実際本作では、自宅で電話をしているセピデが「猫が中に入りたがってるからちょっと待ってて」と玄関ドアへと向かう様子もそのまま映し出されている。そのシーン自体には意味はないが、こういう描写が挟み込まれることで「緊迫したガザとの状況の対比」が生み出されるし、また「直接会えているわけではないファトマと、通話のやり取りで気安い関係になれている」という雰囲気も伝えられているように思う。

ファトマは、セピデの娘と同じ年齢なのだそうだ。また、政治的な理由でイランに戻れない(イランに残る母親と電話することも出来ないらしい)セピデと、ガザ地区で空爆に晒されているファトマは共に、「『壁』と『戦争』に人生を狂わされた」という共通点がある。女性同士ということもあるし、現在置かれている状況はまるで違うものの、響き合うものがあったのだろう。1年に渡り、毎日のように連絡を続けたようだ。

「毎日連絡を取っていたのだな」ということが分かるシーンがある。本作では、2人が電話をした日付が表示されるのだが、「2025年4月15日」という表記には「最後の通話」とも書かれていた。そして先述した通り、ファトマが亡くなったのはその翌日である。「毎日連絡を取り合っていたわけではないが、たまたま亡くなる前日に電話をしていた」という解釈ももちろん出来るが、それよりは「毎日連絡を取り合っていたからこそ、亡くなる前日もやり取りが出来ていた」と考える方が自然だろう。ファトマはセピデに、「話を聞いてくれるだけで十分」「寄り添ってくれるだけで嬉しい」みたいなことを話していたが、セピデは本当にファトマに寄り添い続けたのだろうなと思う。

「良い題材を見つけたから作品にしよう」なんて発想で記録していたのだとしても、作品が持つ価値は変わらないかもしれないが、やはりそれよりは、「寄り添い続けた結果、それが作品になった」という方が観る側も気分が良いんじゃないだろうか。

さて、2人のやり取りでとにかく印象的だったのは、ファトマの笑顔である。正直なところ、ファトマはとても笑っていられるような状況にはない。2人がやり取りを始めたのが2024年4月24日なのだが、4月30日のやり取りで既に「家族を13人喪った」と笑いながら話していた。恐らく、家族を喪ってからそれなりに時間が立っていて、気持ちも多少は落ち着いているような時期だったのだと思うが、それにしても、あまりにも理不尽な状況で大事な存在を13人も喪ったのに、太陽のような明るい笑顔を見せられるのはちょっと凄まじいなと感じた。

セピデは4月24日の最初の会話で、「辛い状況にいるのに笑顔で語っているのは不思議だけどね」と率直な感想を投げかけていたが、それに対してファトマはこんな風に返していた。

【もし私とまったく経験をしたら、いや、そうはならないと願ってるけど、もしもの話ね。そしたら分かると思う。
慣れてしまうの。
もちろん、慣れないこともある。殺戮や爆撃や苦しみなんかにはいつまでも慣れない。
でも、生き続けることには慣れる。】

ファトマがいるガザ地区には、2023年10月7日以降、イスラエルによる激しい空爆が続けられており、ファトマは「ほんの数時間でも爆撃が止めばと願うけど、そうはいかない」と言っていた。また本作には時々、ガザ地区の状況を伝えるニュース映像が挟み込まれるのだが(しかしこれ、監督のセピデがテレビの画面をスマホで撮ってる映像で、著作権とか大丈夫なんか? と気になった)、その中で、「600の医療施設、200の学校、そして169の国連関連施設が攻撃を受けた」「34000人が亡くなり、その内の14500人が子ども」「3万7396人が亡くなり、8万5523人が負傷した」など、その被害状況が伝えられる。セピデと電話をしている最中も、窓越しに空爆箇所が見えるくらいの近所に着弾するなど、まさに「すぐ隣に死があるような状況」にいるのだ。

しかし、そんな凄まじく狂気的な状況であっても、「慣れてしまう」のだそうだ。まあ感覚としては、「そんな状況でも生きなきゃいけないんだから、ウダウダしてる場合じゃない」みたいな気持ちになるのも分からないではないが、やはりちょっと想像を絶する状況だなと思う。

さて、少し話は変わるが、僕は少し前に『ネタニヤフ調書』というドキュメンタリー映画を観た。そしてこの作品で描かれていることをメチャクチャざっくり要約すると、「ネタニヤフ首相は、自身が政治家であり続けるために戦争をしている」となるだろう。まったく酷い話だなと思う。政権を維持するために右派と手を組まなければならず、その右派がガンガン戦争を推し進めているという構図のようだ。そして、そんなことのために多くの犠牲が生み出されているのだ。ホントにやってられないなと思う。

ファトマがある通話のやり取りの中で、こんなことを言っていた。

【この前、8歳の女の子と話したの。「何したい?」って聞いたら、「死にたい」って言ってた。】

クソみたいな現実である。

さて、本作においては、ファトマの会話を受けるセピデの反応もとても良かったなと思う。恐らく意識的にだとは思うが、あまり深刻にならないようにファトマとの会話を続けている印象だった。もちろんそんな振る舞いが出来るのは、「自分も同じ境遇だったことがある」みたいな感覚を伝えているからだとは思う。しかしとはいえ、セピデは「毎回『これで最後かもしれない』と思っていた」というように、ファトマがいつ命を落としてもおかしくないと考えていたのだし、ずっと心配な気持ちを抱えてのやり取りだったと思う。しかし、そんな雰囲気をあまり感じさせない。「ファトマが笑顔なら、こっちも暗くするわけにはいかない」みたいな感覚だったのかな。「戦場にいる人」とやり取りしているとは思えないような楽しげな会話も結構多く、その感じが、ある意味では本作の魅力にも繋がっているように感じられた。

しかしそれにしても、どう考えても大変なのはファトマなのに、ファトマの口からセピデを気遣うような言葉が当たり前のように出てくるのも凄いなと思った。先程紹介した言葉の中にも、「いや、そうはならないと願ってるけど、もしもの話ね」という箇所があるが、正直こんなこと言わなくたって分かるし、ファトマが気にするようなことじゃないだろう。あるいは別の会話の中では、「ごめんね、私と会話する時はいつも途切れ途切れで」と、WiFi環境が安定しない状況を謝っていたりもしていた。こういうやり取りからも、人の良さが滲み出るなと思う。

さて、セピデはよくファトマに、「これから何したい?」「願いを聞かせて」などと、ファトマの未来について質問をしていた。ファトマは、「この街から出たい!」「旅行に行きたい!」「遊園地に行きたい!」と、その時々で色んなことを言っていたが、ただやはり「ガザを離れられない」という感覚を持ってもいるようだ。

その話が出たのは、最後の会話である。実はこの日、セピデはファトマに驚きの報告をしていた。今まさに撮っている映画(恐らく、僕が観た完成版ではなく、短編か何かを先に発表していたのだと思う)がカンヌ国際映画祭に選ばれたというのだ。で、セピデはファトマに「カンヌに来て!」と誘い、ファトマも「もちろん!」と答えていたのだが、しかしその流れの中でこんな風にも言っていた。

【ガザを離れることは出来ないと思う。住処を破壊されても、ここを離れられない。
家族も友人も思い出も、私のすべてがここにあるから。
私たちには、ガザしかない。】

パレスチナの状況に詳しくないのだが、「ガザ地区が壁で囲まれている」ことはなんとなく知っているし、セピデが断念したように、外部からガザ地区に入ることは相当難しいようだ。しかし、カイロでセピデがガザ地区から逃げ出してきた難民の取材を行っていたわけで、だから「ガザ地区から出ること」は出来るのかもしれないとも思う。そしてだからこそ、セピデはファトマをカンヌに誘ったのだろう。

ただ、これはニュース映像の中でも指摘されていたが、空爆されているガザ地区には、自らの意思で残っている人も多いのだそうだ。そしてその1人がファトマというわけだ。また彼女には、「ガザの現状を写真に撮って、多くの人に伝える」という使命もある。

【撮った写真は出来る限り公開して、多くの人の心を動かしたい。
皆に、真実と向き合ってほしい。】

【私が今やるしかない。すべきことをしないで、いつやるの?】

【今のガザには私が必要だと思う。】

イスラム教徒である彼女は、「信じてる、すべてが神(アッラー)の手の中にあることを」「コーランを読んでも分かる。あらゆる出来事には必ず理由があると」みたいにも話していた。そのような感覚もまた、彼女をガザに留めた背景にあるのだろうと思う。

さて、あといくつか印象的だった話に触れて終わろうと思う。まずは、「希望」に関するいくつかの言及について。

【『ショーシャンクの空に』って映画知ってる? あの中にこんなセリフがあるの。ある受刑者が、「希望とは危険なものだ」って。】

【期待する度に悪くなっていく。】

【ここで起こるすべてのことが悲しみをもたらす。
いや、悲しみというか、待ちくたびれることへの耐え難さかな。】

ファトマは、基本的にずっと明るく振る舞ってはいるが、やはり後半になればなるほど元気が無くなっていく。やはりその理由には、「希望がどんどんと削られていくこと」に対するやるせなさがあるのだろうなと思う。

そしてもう1つの理由が「食べ物」である。

【1ヶ月前までは、動物の餌で凌いでた。】

【鶏肉とひと欠片のチョコレートさえあれば。】

【この10ヶ月、チップスは手に入らなかった】

あと、「食べ物」ではないが、

【今、タバコ1本が50ドルぐらいするの】

なんて話もあり、このような状況からも「イカれた世界」であることが伝わってくるだろうと思う。

そんなわけで本作は、ファトマの声や写真がなければ伝わることなどなかっただろう様々な情報・感情・価値観の詰まった作品だ。本作のラストで、

【OHCHRによると、ガザ地区では女性28人を含む211人のジャーナリストが殺されている】

という字幕が表示される。普通に考えて、そんな危険な場所には記者はもう近づけないだろうし、だからこそ、そこに住む者からの情報発信が何よりも大事なのだと思う。「皆に、真実と向き合ってほしい」というファトマの願いを多くの人が受け止めるべきだろう。


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