【映画】「イマジナリーライン」感想・レビュー・解説
メチャクチャちゃんとした映画だった。そして、メチャクチャ良い映画だった。これは観て良かったなぁ。
さてまずは、「メチャクチャちゃんとした映画だった」の話から始めよう。というのも本作は、東京藝術大学大学院の修了制作として企画されたものだからだ。正直そんなに期待してなかったし、何なら観なかった可能性すらある(今日、1日の映画の日だったというのは大きな理由だ)。テーマは重いし馴染みのないものではあるが、それらをきちんと人間ドラマに落とし込んでいて、凄く良かった。
さて、本作のテーマは「日本の難民受け入れ」である。で、僕はこれまで、『東京クルド』『牛久』『マイスモールランド』『ワタシタチハニンゲンダ!』など、同じテーマのフィクション・ドキュメンタリー映画を観てきた。『東京クルド』を観るまで、僕はたぶん「日本の難民受け入れ」の現状をまったく知らなかったし、それこを「仮放免」という単語も初めて知った。かつての僕と同じような人は、世の中に結構いるんじゃないかと思う。「日本は難民をあまり受け入れていない」ぐらいのぼんやりした事実は割と広く知られていると思うが、日本の現状はそんな話で終わらせられないぐらいヤバい。そして本作『イマジナリーライン』は、そんな「日本の難民受け入れ」を背景に、やるせない人間関係を描き出す作品なのである。
それで、本作中にもざっくりと「仮放免」や「入管」などに関する知識は出てくるが、詳しくは説明されない。ドキュメンタリーではないのだから、フィクション映画としてはそれでいいと思うが、やはり「知識を持った上で観るかどうか」は本作の受け取り方にかなり影響するように思う。特に「仮放免」だけは知っておいた方がいいだろう。マジで意味不明すぎる仕組みで、僕は初めて「仮放免」について知った時には怒りさえ覚えた。「そんなクソみたいな仕組みを作って運用している日本に住んでいること」を恥じたぐらいだ。
というわけで、「入管」や「仮放免」などについては、先に挙げたような映画の感想を読んでもらうことにして、ここでは詳しく触れない。では、まずは内容の紹介から始めよう。
山本文子は、卒業したばかりの映画学校で、親友のモハメド夢に役者を頼んで映画の撮影をした。その短編を上映した際、プロデューサーから名刺をもらい、「長編にして上映したい」という話をもらっている。その時はもちろん、夢にもまた役者として出演してもらうつもりだ。2人は、文子が撮った映像を部屋で観ながら、そんな話をする。
文子には、船橋という幼馴染がいる。彼は文子の家によくやってくる仲のようで、文子が1年前に亡くなった母親の遺骨を未だに納骨せずに部屋に置いているのを目にしてたしなめるようなことを言ったりする。一方で文子は、前々から考えていたのだろう、夢と船橋を会わせることにした。歌うのが好きな夢とギターが弾ける船橋はきっと合うはずだと文子は思っていたのである。
こうして、文子の馴染みのバーで2人は会うことになった。お互いに、相手のことを良い印象で捉えたみたいだ。夢は船橋に「何の仕事をしてるんですか?」と聞き、彼は「いわゆる公務員ですね」と答えていた。即興でギターを弾く船橋の雰囲気と公務員とが結びつかなかった夢は少し驚く。
文子が撮った映画のラストで、「遺灰を海に撒く」という話が出てくる。そしてそれは、文子の母親が実際に願ったことなのだそうだ。母親は「鎌倉の海に散骨してほしい」と死ぬ間際に言っていたという。それを聞いた夢は、「一緒に鎌倉に行こうよ」と提案する。文子にとっては思いがけない提案だったが、そう言ってくれるのはとても嬉しく、2人は鎌倉旅行を計画することにした。
そして鎌倉の旅館にたどり着いた日のこと。文子がテレビをつけると、「川口市でクルド人が暴れてトラブルになっている」というニュースが流れた。文子は「56人って怖いよね」「あぁいうのって不法滞在の人なんでしょ」と口にするのだが、それを聞いた夢は「ちょっと外出てくる」と言って文子を置いて出ていったしまった。
そしてこの日以来、文子・夢・船橋の関係は一変してしまうことになり……。
というような話です。
さて、どこまで内容に触れようか悩みつつ書き進めるが、まず本作は「文子・夢・船橋の関係性」がとにかく絶妙で、それによって様々な感情や問題が浮き彫りにされる構成になっているのが上手かったなと思う。
文子と夢がいつどんな風に出会った関係なのかよく分からないが、夢の生い立ちを踏まえても「昔から知ってる」みたいなことはないと思う。恐らく、文子が映画学校に入学して以降の関係じゃないだろうか。そしてだとすると、夢が文子に自分の置かれている状況を詳しく説明していなかったとしても不思議ではないだろう。文子は夢に度々、「夢とだったらどこまででも一緒に行ける」みたいなことを口にするし、少なくとも文子から夢への気持ちはかなり強いと考えていいと思うが、それでもなかなか話せないだろう。
母親が偽造パスポートで入国した難民で、夢は日本で生まれ育ったにも拘らず、日本の在留資格を有していない、なんていうことは。
文子がその事実を知らなかったことは、テレビのニュースを見て「不法滞在でしょ」みたいに口にしたことからも明らかだろう。夢も立場的には不法滞在であり、その事実を文子が知っていれば絶対にそんなこと言わなかったはずだ。
そして、「夢を傷つけるようなことを口にしてしまった」という文子の後悔は、より大きなもの、つまり「自分のせいで夢の人生が一変してしまった」という後悔へと拡大していく。文子がそう感じてしまうのも、とても自然だ。結果として夢は「入管施設に拘束されてしまう」のだが、いくつかの文子の言動がなければ恐らくそのような状況にはなっていなかったからだ。
夢ももちろんしんどいが、夢は多少なりとも覚悟していた部分もあったように思うし、「最初に入管施設に収容された時」の方が辛かったんじゃないかとも思う(だとしても夢の境遇は辛すぎるが)。しかし文子は、まったく何も知らなかったところから、突然事態が一変し、しかもそうなってしまったのが明らかに自分に非があると感じられるような状況なわけで、これは相当しんどいんじゃないかという気がする。僕が文子の立場にいたら、ちょっと耐えられないだろう。
そしてだからこそ文子は、「どうにか夢を救わなくては」と考え、猛勉強を始める。そのシーンの際に少し、彼女が本で読んで学んだ知識としてだろう、字幕で「入管」や「仮放免」に関する知識が表示される。で、僕は他の作品にも触れて多少なりとも知識があるので、「入管施設に収容された者を解放すること」がいかに難しいかは何となく知っているつもりだ。入管は誰をどのぐらい拘束するかを自由な裁量で決められる。本作の字幕では、「11年以上も施設に収容されている人もいる」と表示された。また、映画『東京クルド』の中では、「体調が悪化した被収容者のために誰かが読んだ救急車を、入管職員が追い返した」という事例も紹介されていた。それぐらい、入管は収容者を外に出さないのだ。
その上で、日本の「難民認定率」はずっと1%以下である。他の先進諸国と比べて格段に低い。そして、2023年6月の入管法改正案の採択により、「難民認定の申請が4度以上になると強制送還の対象になる」と決まった。それまでは「難民認定申請中は強制送還の対象にならない」というルールだったのだが、それを変えたのだ。
日本は全然難民を認定しないのだから、ほとんどの「難民申請者」は3回を超えるだろうし、となれば強制送還の対象になってしまう。母国を逃れた本人は「母国に戻れば殺される可能性がある」から逃げてきているわけだが、そういう人物を無理やり送り返そうというのだ。さらに、夢のように日本で生まれ育った者も、「一度も足を踏み入れたことのない国に強制送還されてしまう」というわけだ。
ンなアホな、という感じではないだろうか。
作中では、中学時代に入管施設に収容されたという夢が、仮放免の条件として「母親を強制送還する」という話が提示され、実際に母親が強制送還されたというエピソードを話していた。仮放免の条件として親の強制送還を持ち出すのだ。鬼畜すぎるだろ。本作『イマジナリーライン』の制作においては、仮放免者や入管の被収容者、支援者への取材を行ったそうなので、恐らく実際にあったエピソードなのだと思う。
というわけで、「再び収容されてしまった夢」と「自分のせいで夢の人生を壊してしまったと後悔する文子」の関係性が、まず非常に印象的に描かれている。
そして、これは本作の内容紹介で触れられている事実なので僕も書いてしまうが(恐らくなんとなく想像も出来ると思うので)、船橋は実は入管職員なのだ。夢と船橋は、「不法滞在者」と「入管職員」という関係だったのだが、お互いそのことを知らずに出会った。そして、夢は入管で尋問を受けている時に遅れてやってきた職員が船橋であり、そこから2人は「船橋のギターに乗せて夢が歌う」なんて時間が存在したとは思えないぐらい劇的に変化してしまった関係が始まっていくことになる。
そして、「船橋が入管施設内で夢を担当する入管職員である」という事実は、文子との幼馴染としての関係にも暗い影を落とすことになる。船橋の本心がどこにあるのかは分かりにくいが、それは一旦措くとして、彼は「各国での難民政策は失敗に終わっている。日本も同じ轍を踏むわけにはいかない」「日本を守るために水際で食い止めるのが僕の仕事だ」と、幼馴染の親友であり、自身も親しくなった人物を拘束していることを正当化しようとする。
しかし、当然文子はそんな話納得できるはずがない。「今は日本とか世界がどうなんて話をしてるんじゃなくて、私とあなたの友達の話をしてるんだよ」と問う。船橋だって、きっとそんなことは分かっているだろう。でも、入管職員である彼は、職務として自分に与えられた仕事をこなすしかない。彼もまた、非常に難しい立場に置かれているのである。
さて、本作のタイトルである「イマジナリーライン」を、僕は「国境線」みたいなイメージで捉えていたのだが(「国境線」というのは、「実際には存在しない想像上の線」なので)、調べてみると、映像制作の世界で使われる言葉のようだ。図説しないで説明するのは難しいので正確なところは各自調べてほしいが、「イマジナリーライン」と呼ばれるのは「向き合って会話をする2人の登場人物を結ぶ仮想の線」であるらしい。そして、「その線をカメラが踏み越えると観る者が混乱する映像に仕上がってしまう」みたいなことらしい。
本作では、作中でも文子が映画撮影を行っているので、文子のキャラクターを示すという観点から「映像制作の世界で使われる『イマジナリーライン』」という意味も込められているのかもしれないが、より本質的には「2人の関係の間に、目には見えない架空の線が存在している」という意味で捉えるのが正しいように思う。
夢と文子の間には「親友」、文子と船橋の間には「幼馴染」、夢と船橋の間には「友人」という「架空の線」が存在していたにも拘らず、それらが「不法滞在者として夢が拘束された」という事実によってぶつぶつと切断されていく。いや、そもそも「架空の線」だったのだから、「存在していた」という事実そのものが存在しなかったのかもしれない。もちろん、文子は変わらず親友であろうとするし、船橋も幼馴染の文子のことを切り捨てたわけではない。しかしやはり、それまで存在していた(存在していると感じられていた)形とは大きく変わってしまう。
そういう世知辛さみたいなものが、絶妙に描かれていたなと思う。
そしてさらに言えば、そんな風に「関係性が激変してしまった」その原因は、3人の誰の中にもないのだ。「夢の母親」に関しては「悪い」という判断も出来るだろうが、夢自身には何の非もない。だから、彼らは「日本が作っている仕組み」のせいで翻弄されているのである。誰も悪くないのに、穏やかで麗しかったはずの関係性がここまでぶっ壊れてしまう状況というのはなかなかないはずだし、そんな状況を生み出してしまうような仕組みはやはりイカれているなと僕には感じられる。
というわけで、想像以上に良い作品だったし、というか、「これが修了作品かよ」と驚かされた。ちょっと凄いな。フィクションの映画では、今年観た映画では1番良かったかもしれない。ホント、観て良かったなと思う。
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