【映画】「ハーモニー」感想・レビュー・解説

アリの法則の話が、僕は好きだ。
アリの集団を用意する。するとその集団は、2:6:2のグループに分かれるのだという。よく働く2割のグループ、ほとんど働かない2割のグループ、そしてそのどちらでもない6割のグループに。
面白いのはここからだ。そのグループから、よく働く2割のグループだけを取り出し、新たな集団を作る。すると、そのアリの集団は、やはり2:6:2に分かれてしまうのだという。分離させる前のグループでは、全員が働き者だったはずの集団を、それだけで集団を構成させてみると、やはり同じような構成比率になってしまうのだという。

善悪も、これと同じであると、僕は考えている。
対象は、なんでも構わない。無作為にある集団を用意した時、その集団には善と悪がある程度の割合で散らばっていることだろう。その集団から、善だけを取り出す。そうすると、たぶん、同じ割合でまた善と悪が生まれる。

『善って何だと思う?それはね、ある何かの価値観を持続させるためのシステムなんだよ』

悪はきっと、余剰でも退廃でもない。恐らくそれは、善の副産物だ。光のあるところに陰が出来るように、善のあるところには悪が生まれる。悪だけを取り除くことは、きっとできない。恐らくそれは、善を取り除くことでしか実現し得ないだろう。しかし、悪を取り除くために善も一緒に取り除くというのは、本末転倒に過ぎる。

『目の前で人が死ぬなんて起こらないと思っていた。嫌なことは一生見ないで生きていけると思い込んでいた』

人類は、科学や技術の名の元に、様々な新しい価値観を生み出し続けてきた。
かつては宗教が、人々の思考を縛り、価値観をコントロールしてきた。神という、存在証明不可能な存在を持ち出し、自然や人間の論理を超越した存在にあらゆることをおっかぶせることによって、人類は自縛し、制御された。

『昔から人は、色んなものに縛られてきた。宗教、家族、社会、お金。お金って昔は、紙で出来てたんだよ。そんなお金のために、人間は殺しあった。
でも、ウォッチミーは、もっと厄介。お金よりもっと深いところで、私達を縛っている。』

人間は、科学という武器で、神の領域に迫っていく。遺伝子や脳という、人間の存在の根幹に関わる部位に科学のメスを差し込むことで、自らを規定するシステムの存在を明らかにしようとしてきた。

『人間の魂をいじる。魅力的な研究だよ』

人類は、遺伝子に人為を加えることによって、人類が脳内で生み出した幻想たる“神”の作業に手を染める。今はまだ、遺伝子の改変が、僕らの生活に巨大な変化をもたらすまでに至ってはいない。しかし、iPS細胞のような、人類の常識を覆す発見と、その発見を技術に転移する工夫が、今後も様々に生み出されていくことだろう。

『元気じゃない人間など、今の時代ほとんどいないだろう』

やがて、「ハーモニー」のような世界を人類が目指すのは、必然であるように思われる。

『世界はどんどんと、健全で健康で平和で幸せな社会になっていく』

しかし、果たしてそれは、人類の勝利と呼べるのだろうか?人為によって悪を駆逐する試みは、人類になにをもたらすのか?それは、悪などないと人々が盲信するだけの、新たな宗教を手にしたということに、過ぎないのではないだろうか?

『私は、永遠だと人々が思い込んでいるものに不意打ちを与えたい』

悪はきっと、消えるわけではない。見えなくなるだけだ。あるいは、人類が見なくなるだけだ。

『痛みでさえ、意志によって選択される。
事故に遭って手首から先がなくなっても、痛みを感じない。そういう話、聞いたことあるでしょう?脳がそのとき別の価値観に囚われていれば、その痛みは選択されない』

脳は、報酬系によって支配されている。
脳内では、会議のように、様々な欲求があちこちから提示されている。そういう、混沌とした状態にある。しかし人間は、その中から何らかの決断をすることが出来る。そこに、報酬系が関わっている。脳にとって、最大の報酬が与えられる欲求に、軍配が上がるのだ。そのシステムのことを、人間は“意志”と呼んでいる。

『「今1万クレジットあげると言われるのと、1年後に2万クレジットあげると言われるのとでは、人はどちらを選ぶと思う?」
「普通、前者でしょうね」
「そう。脳は目の前にあるものを過大に評価する。それは決して人間だけではない。あらゆる生き物に同じ機能が備わっている。将来的な報酬を期待してじっと待っている個体は、生き残れないのよ」』

ならば、その報酬系を制御できれば、人間の意志を制御することが出来るのではないか?当然人類は、そういう発想にたどり着く。

『天国のまがい物のような世界を憎んだ』

人類の歴史は、何に支配されるかを選びとってきた歴史だと言ってもいい。昔から人類は、自らの手の届かない何かの存在に支配され、そう意識することなく支配された状態に安心する歴史をずっと歩んできた。大災害のような自然に、人類が生み出した神という妄想に、安泰と恐怖を与える統治者に、科学という合理性に。
そしてその行き着く先は、科学と人間による支配だ。科学的技術を独占した一部の人間が、他のすべての人間を支配する。科学技術は僕らを、間違いなくそういう世界に連れて行く。

この映画では、その行き着いた世界が、その世界の成熟した姿が描かれていく。

『誰もかれもが、他人と同じであることに安心を求める世の中だ。』
『日本は鏡の国に紛れ込んだみたいに誰もが同じだ』

生まれた時、ウォッチミーと呼ばれるシステムを体内に埋め込まれ、大人になると自動的に作動する。ウォッチミーは、生体情報をすべてモニタリングし、健全で健康であるように人体を制御する。健康を害するような行動や、自らを傷つけるような行動は取れなくなり、誰もが優しさを発動して、思いやりにあふれた世の中になる。

『私ね、今週に3回はボランティアに行ってるんだ。今度一緒にいかない?』

それは、幸せな世の中だろうか?善しかない、善しかないと思い込まされている、天国のまがい物のような世の中は、幸せだろうか?

『今の世の中でも、幸せを感じている人もいるのよ』

支配されることを甘受出来る人間には、幸せな世の中かもしれない。彼らにとって生きることとは、支配に隷属することであり、何に隷属するかは問題ではない。支配に隷属されることで安心を得、自らが支配されているのだということを意識に上らせないまま生きていける人たち。彼らにとっては、紛れもなくユートピアだ。

『こんな世界にいたら、手首を切るか誰かを切るかしてしまう』

しかし、やはり善だけでは世界は成り立たない。成り立たないはずだ。むしろ、善が濃くなればなるほど、同じようにして悪も濃くなっていく。悪を排除しようとすればするほど、悪は凝縮されていく。善の副産物としての悪。その存在を、人類は、科学は、消滅させることは出来ない。成功した社会は、そう見えているだけの社会に過ぎない。

『ウォッチミーを義務付けてから、子供の自殺が増えたってこと、知ってるだろう?みな、逃げたがってるんだ』

大人になることで取り込まれる世界。取り込まれてしまってからはもはや悪の存在が見えなくなってしまう世界。外からそんな社会を眺める子供たちは、その世界への潜在的な恐怖を感じ取る。生理的に、忌避したくなる。

『死っていうのはその権力の限界で、そんな権力から逃れることができる瞬間。死は存在のもっとも秘密な点。もっともプライベートな点』

子供たちは本能的に、死の持つ機能を理解する。健康で健全であることを目指した人類の闘争が、敗北であったことを知り、しかしその敗北をもはや理解できなくなってしまった人々が生み出す権力から逃れる唯一の手段が死であることを、彼らは知る。人類が“社会的な存在”になったことの愚かさを観察し、個を取り戻すために、個を奪われないために、死という自由を選択する。

『自分の体がそのまま自分の体であると感じられる世界』

そんな、僕らが当たり前だと思っていること、僕らが永遠だと感じていることが、もしかしたら奪われてしまう世の中が、僕らを覆う日が来るかもしれない。それは、悪意からではなく、完全に、善意によって進められていく。あるいは、恐怖によって。生存本能という名のシステムによって。だからこそ、人類は、その流れを止めることが出来ない。

『向こうにいたら、銃に殺される。こちらにいたら、優しさに殺される。』

人間とは何か。原作を紡ぐ伊藤計劃は、どの作品においてもそのテーマを根底に置く。人間とは、遺伝子によって構成され、脳によって動かされている存在だ。人間は、そのどちらにも人為を加えようと長い戦いを繰り広げ、現在でさえ様々な領域で小さな勝利を獲得してきている。時間は科学者に、そして間接的に僕ら一般人にも、より多くの技術を与えることだろう。それは、人間を制御する手段を様々に獲得することを意味している。

『私たちは大人にならないって、宣言するの』

人間は、対抗できるだろうか?人間は、人間を制御するシステムを手に入れ、恐らく最終的に、すべての人間がそのシステムに飲み込まれる。それは、使えば人類が滅びてしまう核兵器が地球上に大量に存在する今の世の中を見れば、避けようがないと思える。人間は、自らを滅ぼすとわかっているものでも、一度は、手にしてみなければ気が済まないのだ。

『この戦場が、私が見つけた唯一の逃げ場だった。』

しかし、逃げ場はないことを、彼女は知る。大人になることを受け入れたフリをして、システムを騙して彼女は天国のまがい物がら逃げ出したが、しかしどこまで行ってもシステムの外部に出られないことを、彼女は知ってしまう。

『皆さんはすでに、私達の人質です』

僕らもある日、そんな言葉を突きつけられる日を迎えるのかもしれない。

『「若きウェルテルの悩み」 この本は、何人もの人間を殺した。フィクションには、本には、言葉には、人を殺す力が宿っているのよ』
『文字は残るから。永遠に近いところまで。
人は、永遠に取り憑かれていたのよ。』
『日本は昔、こうやって死体を焼いたんだって。
これは私の火葬。私に力をくれたもの(本)は、私が連れて行く』


ウォッチミーという、生体をモニタリングするシステムを体内に埋め込まれ、あらゆる生体情報が一元的に管理される社会。病気はなくなり、人は死ななくなり、健全で平和に包まれた社会に、人々は暮らしている。善意や優しさで構成された、キレイな世界に。
トゥアンはそんな社会を拒絶した。学生時代、ミァハの思想に染まり、死を以って抵抗しようとしたが、トゥアンは失敗した。それで彼女は、螺旋監察官となり、戦場にやってきた。WHOを直轄とする螺旋監察官は、生命主義の拡大解釈により、遺伝子操作などの違法行為の監視だけではなく、警察機構をとり込んだり、紛争の調停にまで手を伸ばすようになっていたのだ。ウォッチミーとメディケアのシステムを欺いて、トゥアンはそこで、健康や健全とは無縁の生活を続けている。
しかしある日彼女は、謹慎を命じられることになる。あれほど嫌悪し、憎悪した日本に、強制的に帰還させられることになってしまう。
学生時代、共にミァハの思想にどっぷりハマったキアンと久々に再開し、一緒に食事をする。かつて、世界に引っかき傷をつけようと一緒に死のうとした友人は、健全な人生を歩んでいた。
キアンとの食事中、世界を揺るがす大事件が発生する。生命主義を冒涜する、それはテロと呼ぶべき行為だった。
ありえないはずのことが起こった背景を知ろうと、トゥアンは調査を開始する。そこには、かつて自分が崇拝した少女と、かつて自分の前から姿を消した父の痕跡が見え隠れする。

人間とはどんな存在なのか。人類とはどうあるべきなのか。そう力強く問いかけてくる。圧倒的な想像力で、科学の、人間の価値観の、人類の歩みの行き着く先を、饒舌に描き出す。僕らはこの物語を、SFだと捉えることは出来ない。僕らは、歴史を学ぶことで人類の愚かさを知り、現実を目撃することで人類の欲望の底しれなさを知る。人類が積み上げてきたものの軌跡が、僕らに、この物語のリアルさを保証する。人類の愚かさが、底知れない欲望が、僕ら人類をこの世界まで連れて行くことを、僕らは理解する。今は、幸運にもまだ、技術が追いついていないだけだ。技術さえ整えば、人類はいくらでも一線を踏み越える。そうやって、人間の歴史は作られてきたのだから。

この物語は、そんな人類の暴走に対する警告である。“善”というものが持つ機能の成れの果てを知らしめる物語だ。人類はたぶん、この物語の通りの歴史は歩まないだろう。この物語とまったく同じ未来にたどり着くことは、きっとないはずだ。しかし人間は、どこかで、この世界と同じだけの狂気の世界にたどり着く。そのことだけは、僕は確信できる。そう、結局僕らは、がん細胞のように、自らのいる場所を、人間という存在そのものを、破壊するまでその歩みを止めることが出来ないのだ。

人類という種は、恐らく存続するだろう。地球そのものが消滅したり、生命が存在できなくなるほど破壊されない限り、人類という種が消えてなくなってしまうことはないかもしれない。しかし、それがきちんと、僕らが“人間”と呼ぶ存在であるかどうかは、怪しいかもしれない。
だからこそ、“人間とは何か”という問いが、重要になってくるのだ。僕らが“人間らしさ”を失いそうになった時に、“人間”というものの輪郭をきちんと捉えておけるようにすることが大事なのだ。

遺伝子や脳に人為を加えることは、“人間”という存在を解明する鍵をもたらすかもしれないが、それは同時に、“人間性”を奪う技術を生み出しもするだろう。核兵器よりも危険なその技術を、たぶん人間は制御することは出来ない。

人類は、どこかで踏みとどまれるのか。それとも、一線を踏み越えて“人間性”の喪失に突き進んでしまうのか。恐らく、僕が生きている間にその答えを知ることはないだろう。人類が行き着く先をこの目で観察することが出来ない、という意味で、人間に備わった“死”という機能を疎んじたくなる。

2時間とは思えないほど濃密な体験だった。

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