【映画】「炎上」感想・レビュー・解説

個人的には結構好きな世界観だったなぁ。まあ、賛否は大分分かれそうな作品だなと思うが。

さて、一旦映画後半の展開を無視した上での話をするが、僕は、いわゆる「トー横キッズ」と呼ばれる人たちや彼らがいる空間は、結構良いなと感じた。ある意味では(本当に「ある意味では」でしかないが)理想的な関係性かもしれないなとは思う。

森七菜演じる主人公は、クソみたいな実家を飛び出して歌舞伎町にやってきた。そしてトー横広場で「じゅじゅ」という名前をもらい、そこで生活を始める。そこにいるのは様々な問題を抱えた若者たちで、「KAMI」というリーダーの支援の元に、食べるものや寝る場所が用意されており、どんな人間も排除されない寛容さがある。

ずっと歯を磨いてる奴、おしっこを漏らしちゃう奴、リスカの痕が凄い奴、ずっとフルフェイスのヘルメットを被ってる奴。なんだかよく分からない人間ばかりだけど、何を抱えていようが何に困っていようが、それで排除されることはない。

みたいな感じは、やっぱりある種の救いだよなぁ、と思う。

僕は割と、大人になるに連れてそれなりにちゃんと人間の形を保てるようになったので、今は正直別に困っちゃいないが、昔は結構「あー、社会に溶け込むのとかたぶん絶対無理だわー」みたいに思っていた。運良く今は結構ちゃんとした人間になれていると思うが、人生のどこかで何かがちょっとでも違っていたら、今でも全然ダメダメだったかもなーと思うことは結構ある。ホントに、よくもまあ今のような感じになれたものだなと自分でも思っている。

だから、「ダメダメでもいいから居場所がある」というのが希望であり救いであるような感覚は、結構理解できるつもりだ。未だって僕は、一応形としては社会に溶け込めているだけであって、内心では「マジで社会に組み込まれている感じウゼー」って思ってるし、「手放したくないものを手放さずに社会から離れられるなら今すぐにでもそうしたい」とさえ思っている。レベル感はまったく違うが、生きているベクトル的には、本作で描かれている人たちと同じライン上に乗っているつもりだ。

社会にはそれなりに色んな「場」があって、その中からみんないくつか居場所を選んでいく。職場だったり、家族だったり、推し活だったり、などなど。しかしそういう社会に存在する色んな「場」は、「そこに居続けるための暗黙の制約」みたいなものが結構ある。例えば職場であれば「意味のないミスをなるべくせずに最大限成果を上げる」ことが求められるし、それが出来なければその「場」に留まることは許容されない。

それはもちろん、それぞれの「場」の穏やかさだとか安定性みたいなもののために必要な制約であって、「そういう制約が存在すること」自体を否定するつもりはない。のだけど、なんというか社会にもう少しぐらい「ほぼ制約が存在しないような『場』があっても良くない?」と思ったりするのだ。

そういう「場」がどこにもないから、トー横広場みたいな場所が「仮設住宅」みたいな感じで一時避難場所になるのだ。

もちろん、トー横広場みたいな「場」は「自分たちとは関わりのない大人が設置したもの」ではないからこそ、本当の意味で「制約がない」と感じられるのかもしれないし、だから本質的な意味で言えば、「制約のない『場』など用意できない」のだとは思う。でも、「割と制約がない」ぐらいの「場」なら可能性はあるんじゃないかなと思う。もちろん、NPOなんかがそういうチャレンジをしてたりするとは思うんだけど、もうちょっと大きな規模でそれが実現してもいいんじゃないかな、と。

ちょっと話は違うかもしれないが、ヨーロッパでは売春が合法化されるようになっているみたいな話があるし、大麻にも似たような話があるだろう。「法律で規制しても結局地下に潜って一層悪くなるから、だったら合法化して法律の範囲内で管理した方がいいのでは?」という判断だったと思う。で、同じようなニュアンスで、「トー横広場に集まるような若者をもっと緩く縛る」みたいなやり方があってもいいんじゃないかな、と。

本作では「一時保護所」が出てくるが、もちろんそこは「トー横広場」とは全然違う空間であり、トー横広場に相性の良さを感じている人間が馴染めるような空間ではないだろう。そうではなく、「絶対にダメなこと」を指定して、「それをしない」という範囲内でなら何をしててもいい、みたいな自由度をもたせた場とかあったら、少なくとも現状よりマシだったりしないかな、と思ったりする。

みたいなことを書くと、「仕事もしないし、税金も払ってない、社会に貢献していない奴らを手助けしてどうするんだ」みたいな意見が出たりもするかもしれないけど、個人的には「順番、逆だろ」と思う。社会よりも前に人間の存在があったわけだから、「社会のために人間が生きる」のではなく、「人間が生きるために社会が存在する」べきだろう。

それに、トー横広場に集まる若者にしたって、完全に本人のせいみたいなことは少ないだろう。じゅじゅは妹と一緒に両親から暴力を受けていたし、三ツ葉は誰かがイタズラで仕掛けた害獣用の罠のせいで足を怪我した。トー横キッズではないが、あるホスト(清水尋也が演じててビックリした)は「両親の借金が莫大で」と、ガチ恋させて金を稼ぐ自身のやり方の理由を説明していた。

だから本質的な問題は、「両親を含む他者からの被害を子たちが受けずに済むようにすること」のはずである。しかしそうではなく、「トー横キッズを排除する」みたいなやり方をしてしまうし、それでは何も解決しない。

誰になんと言われようと「ここが居場所だ」と感じられる「場」が存在するなら、やはりそれは守られるべきだし、それが無理な場合でも可能な限り近い雰囲気の「場」が実現できるように努力した方がいいんじゃないかと思う。世の中には「家族といると幸せを感じられる」みたいな人ももちろんいるだろうし、そういう人は「家庭」が居場所として機能する。しかし、そう感じられない人も当然いるし、僕もその1人だ。そういう人が「ここが居場所だ」と感じられる「場」が見つかる社会こそ「多様性」が実現していると言っていいと思う。

もちろん、犯罪行為は許容されるべきではないし、トー横広場にずっとたむろしている状態もそりゃあ好ましくはないだろう。だから僕らは、「そこに集まってしまうような人たちが『ここが居場所だ』と感じられるような『場』を社会にどう作っていくか?」みたいなことを真剣に考えなければいけないんだと思う。「山ほど死にたい理由がある」中で、「それでも死なないぞ」と思えるような何かがそこにあるなら、その「場」は「居場所」になり得る。

誰かから押し付けられるわけではない、そういう「本当の居場所」みたいなものを、切実に欲している人に、社会は一体何が出来るだろうか。観ながら割とホントに、そんなようなことを考えていた。

内容に入ろうと思います。

小林樹理恵は、カルト宗教を信じる両親の元で妹と共に厳しく育てられた。樹理恵は吃音が酷く、それもあって「連帯責任だ」ということで妹と一緒に日々父親に殴られている。2人は布団の中で「父親が死にますように」と祈り続け、10年後その願いは果たされる。が、今度は母親が娘2人に暴力を振るうようになっただけで、何も変わらなかった。

だから樹理恵は妹を置いて家を飛び出した。

どうにか歌舞伎町までやってきた彼女は、吃音で上手く自分の名前が言えず、それで「じゅじゅ」ということになった。ここでは名前なんて、何でもいいのだ。色んなものを抱えている面々に混じって息を吸っていると、「ここでなら生きていけそう」と思えるようになった。

その後、とある事情から補導され、一時保護所へと連れてこられたじゅじゅは、そこで片足に障害を持つ三ツ葉と出会う。出会いこそ最悪だったが、無二の親友になった2人は、やがて一時保護所を勝手に抜け出し……。

というような話です。

さて、冒頭で「映画後半の展開を一旦無視して」と書いたが、さすがに、後半の展開まで含めて考えると、トー横広場やトー横キッズのことは許容できなくなる。色んな意味で。後半の展開まで含めると、僕が長々書いてきた「居場所」の話も根底からひっくり返るんで、うーむって感じになるのだが。

しかしそれでも、「本作で描かれているような『誰も排除されないような環境』」はやっぱりあってほしいなと思う。それが「搾取」みたいな構造と結びついてしまうから問題なわけで、どうにかそんな風にはならないような状況が実現出来ないものなぁ、と思う。

なんか、全然違う話をするし、もしかしたら全然本作と繋がらないかもしれないが、僕が職場へと向かう途中に結構広めのグラウンドがある。そしてそこには、「ゴルフ、サッカー禁止」と書かれているのだ。で、僕は、「えっ? 野球は?」と毎回感じる。サッカーがダメなら、野球だってダメだろ、と。ボールの威力とか大きさを考えると、サッカーよりも野球こそ禁止すべきではないかとさえ感じる。

で、「どうして野球はOKということになっているのか?」について僕なりに想像すると、結局それは「ルールを決めているオジサンが野球好きだから」というところに落ち着くんじゃないかと思う。そうとでも考えなければ、サッカーがダメで野球がOKな理由を僕には想像することが出来ない。

で、同じような感じで、世の中のルールの多くは結局、「そのルールを作った人の都合」でしかないことも多いと思う。本来的には不要なルールも、他と矛盾したルールも世の中には色々あるし、結局それは誰かの都合でしかない。そして、そういう「不必要なルール」の狭間に押し流されるようにしてトー横広場に若者は集まってくるんだろうし、ホントにそういう状況は不毛だよな、と思う。

さて、物語の展開としては「まあ、そんな感じだよね」という印象で特別どうこうということはなかったが、映像が結構面白かったなと思う。特に、言葉では上手く表現できないが、「静止画を360度回転させる」みたいなニュアンスの映像が結構随所にあって、そしてその表現が、じゅじゅや他のトー横キッズたちの「止まってしまった時間」みたいなものを表現している感じもあって良かったなと思う。

また、ところどころで「文字のナレーションベースで物語が進む」みたいな感じになってるのもあんまり見ないスタイルで興味深かった。特にラストの方では、「しばし文字だけ」みたいな部分があったりして、これはこれで面白いなと思ったりした。

あと、エンドロールを見て「アオイヤマダか!」とびっくりした。全然気づかなかったなぁ。『PERFECT DAYS』とか『禍禍女』とか出てて、その度に印象が違うから全然分からない。ってか、三ツ葉がアオイヤマダかぁ。これは分からん。

あと、公式HPの登場人物紹介を見てたら、「どこでもおしっこしちゃうハク役」が川上さわってなってて、「えっ、映画『地獄のSE』の監督の人!?」ってなった。同姓同名なだけかもしれないけど、どうなんだろう。いや、たぶん『地獄のSE』の監督だな。

あと、じゅじゅの妹役は新津ちせだそうだ。マジか。全然気づかなかった。などなど、出演者情報にも色々驚きがあったりした。

しかし、エンドロールで流れてた曲がなかなかふざけ倒した感じで、それも作品に合ってる気がして良かったなぁ。というわけで、全体的に結構好きな作品だった。


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