【映画】「ミッドナイトスワン」感想・レビュー・解説
世の中の人を「生きづらい」か「生きづらくない」かで分けるとすれば、僕は「生きづらい」側に入ると思う。
でも、「生きづらい」側の中では、全然、穏やかなものだ。
ということは、いつも考えている。「世の中には自分よりも大変な人がたくさんいる」と、本当に大変な人が言っているのを聞いて頭が下がることがあるが、僕は本当に、言うほど大した大変さじゃない。お金がないわけじゃない、身体が動かないわけじゃない、精神的な病に冒されているわけでも、何か暴力にさらされているわけでも、抜け出せない何かにはまり込んでいるわけでも、何らかのマイノリティ的な立場で苦しんでいるわけでも、逆にあらゆることに恵まれすぎていて倦んでいるとかいうこともない。
ただ、これと言って生きる気力が湧いてこないだけだ。
だから、必死で生きている人を見ると、凄いなといつも思う。僕はまだありがたいことに、先程挙げたような「具体的なしんどさの原因」みたいなものはない。でも、もしそういう何かが自分の身に振りかかってきたとして、それでも生きていこうと思える自信がない。今は、「生きる気力はないけど、まあそれほどしんどくない感じでやれているからまあいいか」とごまかせている。けど、日々普通に生きていくだけでもしんどい状況に陥った時、自分の気力を維持できるか分からない。
凪沙は、心と身体の性が一致しないことに苦しんでいる。一果は碌でもない母親との生活に苦しんでいる。どちらも、自分の意思で背負ったものではない。自分で望んでそうなったわけではない。そういう境遇を生きざるを得ない現実は、僕にはあまりにも恐ろしく、深く深く遠い。
自分はどうしてこうなんだと、誰かを責めるわけでもなく嘆きながら、苦しい道を歩いていく。そういう現実を、丁寧に描き出していく。
内容に入ろうと思います。
ニューハーフショークラブで働く凪沙は、幼い頃から心と身体の性の不一致に悩み、ホルモン注射を毎週打っているが、まだ手術には踏み切れないでいる。広島の実家にはそのことを隠しており、新宿で一人で生きている。
そんなある日、実家から連絡がくる。従姉妹の早織の一人娘である一果を預かってくれないか、というのだ。早織が育児放棄に近い形で、行政が介入して母娘を一度離すことにしたのだ。子どもが好きではない凪沙からすればいい迷惑だが、子どもは嫌いだと一果に釘を刺しながらとりあえず二人の生活が始まる。
学校帰り、バレエ教室を覗き見していた一果は、体験入学をする。しかしお金がないから通えない。そこで仲良くなった友人とちょっとしたことでお金を作ったのだが、そのことで大事になってしまう。
お互いに心を開こうとしない凪沙と一果だが、ともに生きるのに苦しんでいることを理解するようになり、少しずつ歩み寄っていく…。
というような話です。
じんわりと来る、良い話でした。凪沙と一果の関係はなかなか歪で、僕はそれが凄く好きでした。
これは意識してそう思わないようにしていることなのだけど、あまり深く考えないと、「マイノリティ同士は仲良くなれるのではないか」と勝手に考えてしまいます。でも、そんなことはない。マイノリティにだってそれぞれの事情があって、マイノリティだからという”だけ”の理由では共感は難しい。まずそのことを、この二人の関係は示していると思いました。
それは、凪沙が働くニューハーフショークラブでの人間関係も同じです。ここはそこまでメインで描かれる舞台ではないのだけど、同じ境遇の者同士であっても、やはり様々な問題を孕んでいるということが分かる場面がある。
しかしその一方で、やはりマイノリティ同士だからこそ、言葉をあまり積み重ねなくても通じるものもある。この映画ではバレエが強く描かれるのだけど、踊りもまた言葉を介さずにコミュニケーションを取るという形の現れだと思う。
この映画では、セリフはかなり限られていて、特に一果は最初の内ほとんど喋らない。言葉でお互いのことを理解しよう、という雰囲気ではない。言葉ではない部分で、何か通じ合うものがあり、それによって、当初はバラバラだった凪沙と一果の関係は、様々な凸凹を乗り越えながらもフラットになっていく。
その過程は、とても丁寧で穏やかで、しかしダイナミックで素敵に描かれていると感じました。
凪沙と一果の関係性については、もちろんこの作品のメインであり、きちんと描かれていくのだけど、僕が気になったのは、一果の友人になるりんだ。
りんこそ、かなりの闇を抱えた人物だと感じられる。
「何不自由のないお金持ち」の家に生まれたからこその鬱屈は、僕自身がそれを人生のどこかで体験したわけではないけれども、すごくよく分かる。分かるような気がする。りんの物語はまた別のものとして描くことができそうだ。あのシーンには驚いたけど、なるほど、そういう振る舞いも分かる気がするな、と思いながら見ていた。
これは映画だから、一果がああいう展開を迎えて良かったと思うし、物語に不満はない。しかし一方で、一果のようになれずに、長い長い人生を歩んでいかなければならない人も世の中には山程いるだろう。映画が何か答えを導かなければならない理由などないのだけど、「一果になれない人間」への希望みたいなのものあったらいいと思う。この映画でじゃなくても、何か別の形で、「一果になれない人間」への可能性が、見える社会であってほしいと思う。
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