【映画】「ブルーボーイ事件」感想・レビュー・解説
なるほど、これは実に面白い作品だった。ストーリーそのものは実話ではないそうだが、本作はベースとなる設定がそもそも「フィクションのために作ったみたいなもの」であり、「こんなことがかつてあったんだな」と驚かされた。
ちなみにだが、公式HPに「製作者からのお知らせ」として、以下のような文章が掲載されていた。
【本作の制作過程において、登場人物のモデルとなった一部関係者のご遺族より『メディアからの取材依頼で身内が「実際のブルーボーイ事件」に関わり、作中にそれをモデルにした人物が登場している事、更には事前に何も知らされないまま映画が完成した事を初めて知り、非常に困惑している』とのご連絡を頂きました。
本作の制作過程におきましてご遺族への連絡と確認を怠った事、制作者として心よりお詫び申し上げます。
本作は1960年代に実際に起きた「ブルーボーイ事件」をモチーフとし、映画独自の解釈を加えたフィクションとして制作いたしましたが、今回のご指摘を受け、一部関係者ご遺族への配慮が十分でなかったことに気づかされました。
ご連絡をいただいたご遺族の方に対し、配慮が至りませんでしたことをお詫び申し上げますとともに、映画をご覧いただき、本作の創作上の意図をご理解いただきましたことに感謝いたします。
本作をご覧いただいた全ての方が、ありのままの自分として存在し生きていくことについて、勇気や自己肯定感を持てることを心から願って、微力を尽くして本作を創りました。何卒ご理解いただけますと幸甚です。】
恐らくだが、当時からのこの事件は「ブルーボーイ事件」として知られていたのだろうし、その名称をそのまま使ったのに関係者への連絡をしなかったことでこういう状況になってしまったのだろう。そしてさらに言えば、こういう状況だからこそ、「フィクションだ」ということが強調されているんだろうな、という気もする。まあ、フィクションにしたって、関係者には声を掛けておく必要はあるよなと個人的には思うので、大きな不手際だなという感じである。
というわけで、本作において中心に存在するある裁判について、その前後の状況を踏まえつつ、「何が焦点にされていたのか」を説明しておこうと思う。
本作の物語は1965年を舞台にしているが、描かれている状況は1960年代全般に通じるものだそうだ。で、まずそもそも僕がまったく知らなかった事実として、「当時は日本でも性転換手術が行われていた」ということだ。何となく「性転換手術は海外に行かないと出来ない」みたいなイメージがあって、ただ当事者ではない僕はさほどその点に疑問を抱くことがなかった。どうやら、「以前は行われていた性転換手術が、『ブルーボーイ事件』を境に日本では行われなくなった」ということのようだ。映画の最後に、「1969年の判決以来、日本では性転換手術はタブーとなり、公に行われたのは1998年、判決から実に29年後のことである」みたいな字幕が表記された。そういう、転換点となった事件である。
さて、1960年代の新宿では街中で客を取る売春が横行しており、警察が度々手入れを行っていた。オリンピックや万博を前に、永田町が「風紀を整えろ」と圧力を掛けてくるからだ
しかし警察にはどうにも出来ない問題があった。それが「性転換手術を行った男娼」の存在である。売春防止法はどうやら「女性」を対象にした法律のようで(現在はどうか知らないが)、見た目や性機能は女性でありながら戸籍上は男性である彼らは、「売春をしても罪には問えない存在」だったのである。
とはいえ、永田町からせっつかれている警察としては手をこまねいているわけにはいかない。そこで警察は検事と手を組み、ある医師に逮捕状を請求した。赤城という医師には、「友人に薬物を横流ししていた」という麻薬取締法違反の罪も課せられたのだが、本丸はそちらではない。なんと「優生保護法違反」の容疑でも逮捕されたのだ。
優生保護法は1996年まで存在していた法律で、法律が制定された当初の目的としては、「障害者らが子どもを作れないようにするために強制不妊手術を行うこと」を認めるものだった。かつてのナチスドイツのような発想であり、なかなか凄まじい発想だなと思う。
しかしこれが赤城とどう関係するのか。赤城は性転換手術も行っていたのだが、なんとそれが「優生保護法違反」だというのだ。理屈はこうである。第28条に、「これら以外の理由で優生手術を行ってはならない」という規定がある。つまり「『障害者らが子どもを持てないようにする』という目的以外で、生殖機能を失わせるような手術等を行ってはならない」というわけだ。そして、「性転換手術」はまさにそのような行為であり、だから「優生保護法違反」だというのである。
もちろんこんなものはこじつけである。「優生保護法」自体がクソみたいな法律なのだが、そのクソみたいな法律の本来の目的と逸脱した解釈がなされているわけで、普通こんな主張は認められないだろう。赤城医師の弁護を担当した弁護士も、当初はそういう方針で弁護を考えていた。
しかしここには2つの問題があった。1つは、「これが国策による捜査だ」という点である。警察も検察も当然、これがムチャクチャな理屈だということは理解しているだろう。しかし彼らには、「男娼をどうにか取り締まる」という目的があった。そして、売春防止法ではどうにもならないのだから、だったら性転換手術を止めさせればいいと考えたわけだ。弁護士は赤城医師に、「国はその気になれば何でも出来る。この件は、想像以上に厄介ですよ」と話していた。
そしてもう1つが、「性転換手術を合法とする根拠がなかったこと」である。当時存在した法律では、性転換手術は合法でも違法でもなかった。だから警察と検察は「優生保護法」を持ち出してきて難癖をつけたわけだが、それに対して「こういう法的根拠があるから性転換手術は合法だ」と主張できるような法律が存在しなかったのだ。
だから弁護士は、「性転換手術は正当な治療である」と証明しようと奮闘するのだが……。
というような話です。
さて、ここまで書いてきたことが「物語の背景」であり、主人公は別にいる(錦戸亮演じる弁護士も主人公の1人だとは思うが)。それが、喫茶店でアルバイトをしているサチである。赤城医師は「3件の性転換手術を行った」という罪で起訴されたのだが(もちろん、実際の手術件数はもっと多いだろう)、その3件の内の1つがサチのケースなのである。
弁護士の狩野は、「性転換手術が合法である」ことを示すために、「性転換手術が適切な治療であった」ことを証明する必要に迫られていた。そのため、公訴事実になっている3件の性転換手術を受けた人たちに証人になってもらうことを考えたのだ(恐らくだが、この辺りからかなり実話から離れていくんじゃないかという気がしている)。
しかし、その内の2人は男娼(内1人は男娼から足を洗ってオカマバー的なのを開こうとしているようだが)として補導歴もある人物で、だからどうしても証人としての存在感は弱くなる。しかしサチは、婚約者もいて、社会では女性として生きている人物であり、だからサチが証言してくれれば裁判ではかなり有利に傾くはずだと狩野は考えたのだ。だから彼はサチに証人になってほしいと頼みに行く。
しかし、事はそう簡単ではない。サチには、「自分が男性である」と理解してくれる婚約者がいて、その婚約者は仕事で大きなプロジェクトに声を掛けてもらえた。高校も出ていない、足に障害を持つ身としては望外と言ってもいいような状況だ。またサチ自身も、女性として喫茶店で働いていて、自分が男性であることを打ち明けるつもりはない。とても幸せな生活を送っており、裁判で証言することは、そんな幸せを手放すことに繋がりかねないのである。
だから、簡単には決められずにいる。
しかし、サチの方にも「証言した方がいいのではないか」と思える事情がある。というのもサチは、睾丸と陰茎の切除はしたのだが、膣形成手術は受けていなかったからだ。婚約者にも、「ちゃんと女性になってから結婚したい」とプロポーズを一旦断っている。だが、赤城医師が逮捕・起訴されて以降、電話帳に名前が載っているような産婦人科では軒並み性転換手術を断られてしまった。赤城医師のようになりたくないからだろう。つまりサチはこのままでは、膣形成手術を受けられないままということになるかもしれないのだ。
赤城医師が無罪になれば、性転換手術が日本でも再び行えるようになるかもしれない。であれば、自分が証言する価値もあるのではないか。
サチは、このような葛藤に放り込まれるのである。
物語は基本的に、サチはサチの周囲の人たちとの関わりをメインにしながら、その合間に裁判や弁護士・狩野の奮闘が描かれるという構成になっている。恐らく、サチのモデルとなった人物はいるのだと思うが、サチの描写に関しては大体フィクションなのだろう(「関係者に連絡を取っていなかった」という話からもそう推察される)。裁判での証言内容は裁判記録を元にしているんだと思うが、それ以外は概ねフィクションなんじゃないかなという気がする。
しかしそれはそれとして、1960年代に今で言うLGBTQだった人たちの苦悩や葛藤というのはきちんと掬い取っているのだと思うし、だから「サチのモデルの人物の人生そのものではないが、当時のオカマたちの生き様を切り取っている」と言えるんじゃないかと思う(ちなみに、作中では当時の世相を反映して「オカマ」という言葉が当たり前に使われているので、それに倣ってこの記事でも使う)。
その苦労は想像に余りあるが、本作を観ていて「なるほど、これは辛いだろうな」と感じたのが、裁判でのあるやり取りだ。この時には、サチではない人物が証人として出廷していたのだが、狩野とのやり取りにアー子というバーを開こうとしているオカマは怒りだしてしまったのだ(しかしこのやり取りを見ながら、「当時の裁判では、証人と事前の打ち合わせとかまったくしないのか?」と思ったりもしたのだが)。
さて、繰り返しになるが、狩野は赤城を無罪にするために「性転換手術は正当な治療だった」と主張することにした。しかし「治療」と主張するためには、「何らかの病気だった」という事実が必要になる。「病気だった患者を性転換手術という治療によって治した」というストーリーが必要だからだ。
そこで狩野は、「証人は精神障害だった」という方向性でやり取りを進めた。身体的には健康そのものだったわけで、狩野としてはそれしかないと考えたのだろう。しかし、そんなことを言われて、「はい、私は本当は男なのに女だと思っている精神異常者です」なんて認める人はまずいないし、っていうか普通キレるだろう。だから、証人とのやり取りは不発に終わってしまう。
そしてこの時のことも踏まえてだろう、狩野がある場面で、「自分はあなたがたのことが理解できないだろうと思っていた」みたいに口にする場面がある。大きな心変わりを示す場面であり、そしてそこからの弁護方針の転換に繋がっていくわけで、とても良かったなと思う。
そして、とにかく色んな出来事を経験しながら最後の最後証言台に立ったサチが語る言葉には、これまでの人生で深く深く考えてきたのだろうなという時間の堆積が感じられて、これもとても良かった。当時と比べれば大分社会的な理解が進んでいるだろう現在においてもやはり、最後にサチが語ったような感覚まで掴みきれている人はそういないだろう(僕ももちろんそうである)。裁判の中で狩野がサチに「手術を終えた後どう感じましたか?」と聞いた際、サチは「何も感じませんでした」と答える。そしてその真意を説明する言葉に、グッと来てしまった。
まったく知らなかった歴史が描かれる作品であり、現代の感覚を「当たり前」だと感じているだろう若い世代には特に衝撃的な世界観ではないかと思う。僕は、子どもの頃に観ていたバラエティ番組なんかで、オカマを揶揄するキャラクターが出てきたりしていたし、そういう存在が「見世物」的に扱われていた時代のことをリアルに知っている。そこから比べれば時代は大きく変わったなと思うが、当事者からすればまだまだなのだろう。しかし本作は、ある意味では時代の転換点となった事件を描く物語であり、「知られざる歴史」を知るという意味でかなり興味深く観られるのではないかと思う。
ちょっと残念だったのは、アー子を演じた役者があんまり上手くなかったこと。もう少し上手い演技だと作品としてのまとまりも良かったかなぁ、と思ってしまった。
いいなと思ったら応援しよう!
サポートいただけると励みになります!