【映画】「ローマの休日 4Kレストア版」感想・レビュー・解説
いやー、面白かった!『ローマの休日』、初めて観たけど、これは全然、今でも新鮮に観れる感じの映画だなぁ、凄く良かった。
あまり別の作品と比較するのも良くないかもだけど、僕は以前『七人の侍』を観て、「何が面白いのかさっぱり分からん」となったことがある。まあ、後で調べてみると、「僕らが知っているような『物語』や『映画』の原型みたいなものを作った作品」らしく、僕らにとっては「当たり前」に思えることばかりなので、だからあまり面白く感じられなかったのだろう、と思う。
というわけで、『ローマの休日』もそういう感じになるかもなぁ、と思いながら観に行ったのだけど、全然そんなことはなかった。
理由の1つは、この作品の物語が「王道中の王道」だからだろう。言ってしまえば『ローマの休日』って、「道に迷ってる人を助けたら実はアラブの王様だった」的な導入だし、それはやっぱり今だって妄想的に憧れる人が多かったりするシチュエーションだと思う。そういう、現代においても物語の類型として大いに求められているものであることが、この作品が古びない理由だろうなぁ、と思う。
しかも、今回観て初めて知ったけど、王室を抜け出したアン王女とあーだこーだする新聞記者のジョーは、元々は「アン王女の特ダネを手に入れる」という、割と邪な理由でアン王女と関わっていたわけだ。この辺りも物語の展開としてはとても良いだろう。例えば、ジョーがアン王女を見てすぐさま一目惚れした、みたいな話だったら、たぶんこれほどの名作にはなっていないよなぁ、と思う。世間のことなど何も知らない純真なアン王女を、自身の思惑につけこむようにして邪に関わっていくジョー、という関係が少しずつ変化していくというのも、物語の類型として王道な感じがするし、多くの人が求めているものだろうと思う。
さらに、やはりこれが一番の理由だと思うが、オードリー・ヘップバーンの美しさがとても「現代的」であることが大きいと思う。
「美」の基準は、洋の東西でも変わるし、時代によっても変わる。極端なことを言えば、江戸時代とかは「お歯黒をしている女性が美人」という、現代人には理解不能な「美」の基準があったぐらいだ。
だから、案外僕は「美」は時代を超えないと思っている。
以前、オードリー・ヘップバーンのドキュメンタリー映画を観たことがあるのだが、その中でも彼女の美しさについて書いたことがある。オードリー・ヘップバーンが活躍していた当時、マリリン・モンローも「美」のアイコンとして人気を集めていたと思うが、正直僕は、マリリン・モンローの美しさは、時代を超えられていないんじゃないか、と思っている。その時代のその雰囲気の中で瞬間的にもてはやされた「美」であるという印象が強いのだ。もちろん、今の時代にも、マリリン・モンローを「美しい」と感じる人はたくさんいると思うが、しかし、全盛期のマリリン・モンローが現代で芸能活動的なことをしても、当時と同じほどの人気は得られないんじゃないかと勝手に思っている。
ただ、オードリー・ヘップバーンはかなり例外的な人物であるように感じられる。全盛期のオードリー・ヘップバーンが現代にあらわれたら、やはり現代においても「美」のアイコンとして凄まじい人気を得るような気がするのだ。
決してオードリー・ヘップバーンだけではないだろうが、彼女は、時代を超えて「美しい」と受け入れられる人であるように思うし、だからこそ、彼女が演じた「アン王女」も、画面の中で、現代と比較してもまったく遜色のない美しさを放っているのではないか、という気がする。
そして、そんなオードリー・ヘップバーンが、まだまったくの無名だったという事実も、アン王女の「無邪気さ」みたいなものを一層新鮮に放たせる要因になっているような気がした。実際の役柄は、「日々の退屈な公務に疲れて嫌気が差したから宮殿を抜け出した」という人物であり、むしろ後のオードリー・ヘップバーンの方に当てはまるかもしれない(『ローマの休日』で一躍有名になった彼女は、パパラッチに追われ続けるなど日常生活は大変だった)。しかし、「宮殿を抜け出した開放感に溢れているアン王女」と、「まだ何者でもない女優であるオードリー・ヘップバーン」が上手く重なったのだろう。アン王女の、地上から数センチぐらい浮き上がってるんじゃないかと思うぐらいのウキウキ感みたいなものを、オードリー・ヘップバーンが実に見事に表現できていたように思う。
しかしビックリしたのは、これもオードリー・ヘップバーンがまだ無名だったからあり得たことなんだと思うけど、エキストラだろう、一瞬しか出てこないおじさんが、オードリー・ヘップバーンの口にキスしてるシーンがあって、そんなんアリなんだ、ってちょっとビックリした。
映画は全体的に「ロードムービー」的な部分に焦点が当てられていて、細部の細かな部分は深掘りされない。その設定は、この作品が「不朽の名作」として残る上では重要だったと思う。とにかく、ローマの街中を楽しく案内しているシーンで映画全体を埋め尽くしたのはよかったと思う。
本当であれば、「アン王女が抱えている悩み」とか「ジョーの新聞記者としての葛藤」みたいなものが描かれていないと不自然になってしまうように思うが、この映画の場合は、「お互いがお互いに素性を隠している」という設定が実に見事に効いている。相手が誰なのか知らない(知らないフリをしている)という設定のお陰で、ロードムービー的な部分が際立つことになったのはとても良かったと思う。上手い構成だなぁ。
そして、「素性を隠していた」という事実が、最後の記者会見の場で効いてくるのもまた上手い。昨日の楽しかった日々のことは忘れ「王女」に戻らなければならない彼女は、しかしそれでも、ジョーに感謝やらなんやらの気持ちを伝えたいと思い、「アン王女」という立場の範囲内でギリギリを攻めていく。その感じも凄く良かったなぁ。
映画を観ながら、この感じならずっと観ていられるなぁ、と感じた。それぐらい、心地よい映画だった。まさに「不朽の名作」と言えるだろう。オードリー・ヘップバーンの美しさは別格という感じだったし、徹底してシンプルな物語と王道中の王道の展開は、誰が観ても心惹かれるんじゃないかと思う。
映画の前後には、淀川長治の解説がついていた。久々に、「さよなら さよなら さよなら」ってやつ、聞いたなぁ。
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