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【本】十市社「ゴースト≠ノイズ(リダクション)」感想・レビュー・解説

子供の頃、子供でいることがとても苦痛だった。

『彼女の言葉は子供なら誰もが漠然と抱く大人への疑念の一部を的確に言い表している気がした。大人たちがつくばればれの嘘―ばればれなのに、こちらの未熟さのために論破するすべのない嘘。論破できないことを見透かしてぞんざいに放たれる、羊を追いたてる牧羊犬みたいに子供を柵の中へ押し戻そうとする嘘。かつては同じ疑念を抱いていたはずの大人たちはどうして、いつからそんな嘘を億面もなくつきはじめるのだろう、と前々から僕は思っていた』

大人の世界から逃れる術がない、という事実が苦痛で仕方なかった。大人の庇護下にいなければならない、という事実が嫌でたまらなかった。

『「子供はさ、親に感謝するべきだよ」新しい付箋をカラー写真のページに貼りつけながら、高町は柔らかい声でぼくを諭した。「好きでも嫌いでも、たとえば尊敬できなかったとしても…優しくても厳しくても、一つくらいだめなところがあったとしても、足が臭くても―大抵のことには目をつぶってさ・なにしろ、育ててもらってるんだから」たった今貼った付箋を剥がし、隣のページに貼りなおして、弱まった接着面を親指でそっと押さえた。「そうでなきゃ、せっかく一緒に暮らしてるのに、あんまり悲しいじゃん」』

親に守られているから自分が生きているのだ、という自覚はきちんとあった。子供の頃の僕は、引っ込み思案で優柔不断で、自分で決断して行動するなんてことはほとんど出来なかった。どれほどそれなりの環境が用意されようとも、僕が親の庇護下から離れて生きていける可能性はほとんどなかっただろう。


だとしても僕は、実際にそういう行動に移すかどうかはともかくとして、親の庇護下から逃れる手段がないという事実に絶望していた。

『父のようにはなりたくない。
今まで、そんな感情は全く自覚したことがなかった。』

子供の頃に戻りたい、という意見を聞くことがあるけど、僕にはまるで理解できない。大学進学で実家を出るまでの期間が、一番しんどかった。別に、虐待とか育児放棄とか、そういうはっきりとした分かりやすい何かがあったわけではない。妹と弟に聞いても、僕が感じていたことはきっと理解できないだろう。

『今はちょっと、それもわかる気がする。誇りも希望も失ったあとで生きていくのは大変なんだってことが』

僕はたぶん、どんな環境に生まれたとしても、その場その場に応じた葛藤にさいなまれただろう。今なら、そんな風に思える。子供の頃は違った。両親が、家族の雰囲気が悪いんだ、と思っていた。だから自分はこんな風に苦しいんだ、と。すべてを他人のせいにしていた。そして、ここから抜け出せれば、問題はすべて解決するはずなんだ、と思っていた。

『息継ぎの苦手な生き物が海で生きるのを諦めることがそんなに悪いことだろうか?』

僕はこの社会に適合するには色々と欠陥があるようだ。そう自覚するようになってから、考え方を変えた。悪いのは周りではなくて僕だ。だから、僕の振る舞いを変えれば問題は解決するし、どうしても振る舞いを変えられないなら諦めよう。

『「もし本当に、相手を巣の外に追い落としたとしたら」と、興味深そうにぼくの話を聞いたあと、高町は言った。「その最初の生存競争には勝てたとしても、そうする前の自分にはさ、きっともう二度と戻れないんだろうね」』

幸運だったことに、僕は自分の振る舞いを変えることが出来た。周りが悪いわけではなく、そして周りが変わらないのだとすれば、じゃあ自分が変わろう―そうやって僕は、どんな場所にでも瞬時に適応する力を磨いていった。今では、どこに行っても驚かれる。僕があまりにも、どんな環境や状況にもすんなり馴染んでしまうことに。

でもそれは、自分を見失ったからこそ出来ることだ。
もう僕は、昔の自分―本当の自分のことを忘れてしまった。誰かといる時の僕は、基本的には嘘つきだ。その場に適応するために自分自身をどんなピースに作り変えればいいのかばかり考えているモンスターだ。一人でいる時の僕は…どんな顔をしてるんだろう?

受け入れられることは、同時に、拒絶される可能性を生み出す。受け入れられもしなかった相手から、拒絶されることはない。形の上で拒絶されることがあっても、そもそも受け入れられてはいなかったのだからさほどどうということもないだろう。しかし、一旦受け入れられれば、拒絶される可能性を永遠に内包することになる。

『夏帆ちゃんのことを知ったあとでは、あの三人と楽しそうに話しているときでさえ、無心で笑っているようには見えなかった。まるで感情のブレーキレバーに常に指をかけているみたいに』

それが人間関係なんだ、と言われたらそれまでだ。けど、だったら、受け入れられなくていい、と思ってしまうことは頻繁にある。結婚届を書くのと同時に離婚届にも記入しておくようなやり取りに、僕には見えてしまう。

『架は行き止まりだから。私がなんの気兼ねもなく、どんなことを口走っても、どこにも広まる心配がないでしょ?』

だから僕は、お互い受け入れ合わないまま、一緒にいられる関係というのが理想的に思えてしまう。そして、この物語の主人公二人、一居士架と玖波高町の関係は、そういうものであるように思えて、僕にはとても羨ましく思える。


一年A組の教室で、僕は存在しないものとして扱われている。入学してから一月。僕は見事に、クラス全員から存在を感知されない人間になった。席替えの度に僕の定位置になっている窓際の最後列の席で、ひたすら存在を消して椅子に座るだけの日々。周囲の会話や物音がノイズのように一体のものとしか聞こえなくなることが度々あって、そんなノイズに悩まされると、心を消して窓の外を眺め続ける。


また席替えが行われて、相変わらず僕は定位置のままだったのだけど、今度の席替えではどうやら何か起こったようだ。逃避のために屋上に行っていた間に何かがあったらしく、教室の雰囲気が微妙だ。そしてしばらくして、その原因が分かった。


僕の目の前の席になった少女。真っすぐの黒髪の少女は、玖波高町というようだ。何故かは分からないが、クラスの視線を集めているように思える。
しばらく後ろの席から高町を観察し続けたが、どうやら何か事情を抱えているらしい、ということ以外はっきりとしたことは分からなかった。しかしそんなある日、衝撃的な出来事が起こる。


高町が僕に話しかけてきたのだ。


クラスの誰からも存在を認められない立場に、否応無しに慣れたつもりではいた。しかし、高町から存在を認知され、声を掛けられた僕は、喜びが溢れ出るのを留めることが出来なかった。高町は、近づいてきた文化祭の準備と称して、ぼくを放課後の図書室に連れだした。
その日以来僕は、学校に行くのが楽しみになった。


ここで内容紹介を止めると、ただの学園小説に思えるだろう。色々あって作品の中身について具体的に触れることが難しいが、この物語は、家族の物語だ。

物語は、架の一人称で進んでいくが、物語の中心人物は高町の方だ。高町は一見、どこにでもいる女の子のように見える。友達がいて、友達と楽しそうに喋って、適度に授業を聞き流して。学校を頻繁に休む、という点を除けば、特に目立つような何かを持っているように見えはしない。

しかし高町は、その背中に、相当なものを背負い込んでいる。

非常に繊細に作られた物語なので、内容に具体的に踏み込まない。だから、高町が一体何を抱えているのか、それは基本的にここには書かない。

高町が背負ったものは、非常に重い。物語では、高町が背負ったものが少しずつ明らかにされていく構成になっているが、それらはすべて基本的に繋がっており、同じ根っこを持っている。

『「根っこをぎゅって握ってるみたいに」と高町は表現した。「それ以上のものになれるなんて勘違いしないように、自分で自分を限定しはじめるきっかけになった最初の出来事が、誰にでもあるはずなんだよ」』

高町は、自分の背負ったものに完全に囚われてしまっている。高町は、それを当然のものとして受け入れようとしている。そういう風にして生きるのが、自分の役目なのだと。そうするしかないのだと。それが高町の、生きていく上での基本原理になっている。

『自分の状況で精一杯なときでも、案外まだ、ほかの誰かに同情できちゃったりするんだよね』

そして架は、傍観者として物語に登場する。“幽霊”と呼ばれる彼は、突然高町と喋るようになるまで、教室の中でいないものとして扱われていた。親以外の他者と関わらない生活にあまりにも慣れていて、他者との距離の取り方や詰め方を忘れてしまっている。

だから、傍観者。そして傍観者だとわかっているからこそ、高町は架を選んだのだ。

同情や労りや、その他どんな好意的な感情も面倒だと感じる少女と、他者と関わらなすぎてまともな関係性を築けない少年は、お互いにとってピッタリくる存在だった。高町にとって架は、どんな姿でも見せられる気安い存在だ。架にどんな自分を見せても、架以外のどんな他者にも影響がない。そして架にとっては、たとえ高町が人目を気にしながら接しているとはいえ、あらゆる人間から感知されないまま過ごしていた日常を良い意味でぶち壊してくれた存在である高町は、涙が出るほど喜ばしい存在なのだ。

受け入れられることは、拒絶を内包する。だから高町は、仲良くしている女子三人に対して、スイッチを入れるようにして自分の中の何かを切り替えながら接する。その三人は、高町の事情を知っており、その事情も含めて高町を受け入れようとする。しかし高町は、そんな彼女たちの好意を、バリアを張るようにしてやんわりと拒絶する。相手に、拒絶したことが伝わらないようなやり方で。それは、傍観者である架だからこそ気づくことが出来るものだ。


高町が架を選んだのは、架が何も知らないからだ。そして、“幽霊”だから、高町が抱える事情を知ったとしても、何もしないだろうと思えたからだろう。

『幽霊じゃなくなった架に友達でいる価値何てあると思ってるの?』

二人はもの凄く欠けていて、傷ついていた。でも、お互いの存在が、お互いの欠けた部分にぴったりとハマりこんだ。だから彼らは、関係を続けることが出来た。

物語が進む過程で、高町が抱える問題が徐々に明らかになっていく。そしてそれらが、高町という人格をどう蝕んでいったのかも。そして、それを知れば知るほど、そして高町の置かれた状況を想像すればするほど、架は傍観者ではいられなくなっていく。架に傍観者であることを望む高町と、高町のためになりたいと傍観者であることを捨てようとする架。欠けた部分にぴったりとハマり込んでいたはずの二人は、徐々に不協和音を奏でるようになる。

架の、そして高町の、それぞれの場面での選択が正しかったのか。それは、読者一人一人にとって答えは違うだろう。しかしながら、結果的に彼らが行き着いてしまった場所は、決してそこを目指していたわけではないにせよ結果的にそうなってしまった終着点は、彼らを“大人”へと引き上げていく。

『本物の大人なんてものがほんとにいると思う?』

高町の言う「本物の大人」が何を指すのか、はっきりとは分からないけど、彼らは、幾多の選択を繰り返した結果、結果的に“大人”へと一歩踏み出した。

『その最初の生存競争には勝てたとしても、そうする前の自分にはさ、きっともう二度と戻れないんだろうね』

それまでの自分には、もう戻ることが出来ない。

自分を支えてくれていた大人、あるいは反面教師としての大人の存在を、彼らは長い旅路の果てに振り落としていく。虚構を生み出し、それを維持し、その虚構の中に子供を閉じ込めようとする大人の存在から、彼らは自由になろうとする。そこにしかいられないのだ、いるしかないのだ、という思い込みから解放され、自分の意志で前に進もうとする。重いものを背負っていた少女も、ただの傍観者であった少年も、共にそういう一歩を踏み出すことになる。

『そのあいだ、ぼくはいつか高町がしていた想像力と経験の話を思い出していた。ぼくたちぐらいの年代は、まだ想像力と経験のどちらも選びとれる位置にいると高町は言った。もしかしたら、彼女はすでに選んでしまったのだろうか?クッキーの型抜きか音楽データの圧縮みたいに、経験によって想像力が秘める無限の広がりを―知覚はできなくても思考や人格形成に貴重な役割を果たしているかもしれない余白部分を切り捨ててしまうことがあると承知の上で、それでもなお経験がもつ圧倒的な優位性に―効率という利点に―大人がしかけた罠の甘い匂いに、危険なその魅力に―あらがえなかったのだろうか。』

彼らは、経験を通ってきてしまった。もう、想像するだけの世界には、戻れない。

生まれてきたこと、家族と関わること、生き続けること。高校生であれば、まだまだ背負わなくていいはずの重い現実に囚われながら、自分という今ある存在に踏ん張って留まり続けようとした少女。そして、自分の輪郭を見失ったことにさえ諦念していながらも、少女を守りたいという気持ちが膨らみ、それまでに自分の有り様を捨て去る決意をした少年。二人の関係性は、歪であり、健全である。高町と架の世界では、彼らの関係は破綻するしかなかった。出会った瞬間から、破綻が内包されていた。

『だけど、お願い。これで最後だから。あとすこしだけ―この家をでるまでのあいだだけでいいから、このまま―私の友達のままの架でいて』

破綻を乗り越えた先、彼らの関係は一体どうなるのだろうか?

『次に会うときまで』

再び会うことがあれば、彼らなら、破綻を内包しない関係性を作り出せるのかもしれない。

とてもとても、素晴らしい作品だった。


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