【映画】「ヒプノシス レコードジャケットの美学」感想・レビュー・解説
これはなかなか興味深い映画だった。相変わらず「ヒプノシス」がなにかも知らないまま観に行ったが、一応「レコードジャケット」の話だということは知っていた。とはいえ、別にレコードジャケットにもさほど興味はない。というか、音楽を聴く習慣もまったくないので、本作で取り上げられているバンドの曲も、自発的には聴いたことがないと思う(どこかで流れていて耳にした、みたいなことはもちろんあるが)。
そんな人間でも、なかなか面白く観られる作品だった。
まずは「ヒプノシス」について説明しておこう。これは、1960年代から80年代に掛けてレコードジャケットのデザインで他を圧倒し続けたデザイン事務所の名前である。創設者はストーム・トーガソンとオーブリー・”ポー”・パウエル。ストームは2013年に亡くなっているが、ポーはまだ健在のようで、そんなポーを中心に、ヒプノシスに関わっていたデザイナーやミュージシャンなどが様々な証言を積み重ねることで、当時の「熱狂」を明らかにしようとする作品である。
正直、本作で紹介されたレコードジャケットはすべて見たことないものだったが、しかし同時に、「うわっ、カッコいいかもこれ」と感じるようなデザインで、凄く良かった。色んなデザインがあったが、シンプルで挑発的なものとしては、「牛の写真だけを載せ、バンド名もアルバム名も載せない」というピンク・フロイド「原子心母」のジャケットデザイン。まあこれは、ヒプノシスもピンク・フロイドも「失敗だった」と捉えているようだが、「まあそういうこともあるさ」みたいな感じにも思っているようだ。
ストームとポーの役割分担は明白で、ストームのアイデアをポーが実現するという感じだった。ストームはとにかくアイデアに関しては天才的だったようで、ヒプノシスが絶頂期の頃には、あるアーティストに提案した「ボツ案」が数週間後には別のアーティストのジャケットになっている、なんてことも日常茶飯事だったようだ。多くの人が彼のことを、「本物の天才」「アイデアの宝庫」「1000万人に1人」と大絶賛していた。
しかし、人間的には相当問題児だったようで、「失礼」「攻撃的」「無愛想」「とにかく失礼」「迷惑」「口論好き」「見栄っ張り」「怒りっぽい」と散々な評価だった。とにかくアーティスティックな人間で、予算のことは無視して自分が求めるアイデアを具現化することに注力していたし、「ヒプノシスらしくないならやらない」とビートルズにさえNOと言ったりするような傍若無人っぷりだった。「広告」が大嫌いで、広告代理店が台頭するようになると揉めることも多くなったという。とにかく「より良いものを」という感覚がとにかく強く、その点に関して妥協することはなかったそうだ。
作中ではある人物が、「あれだけ素晴らしいものを長い間作り続けるのは、本当に特別な人間にしか出来ないことだ」と言っており、やはりその存在感は圧倒的だったようである。
ただ、80年代ぐらいからヒプノシスに翳りが見え始める。作中では、「10ccの『Look Hear』が、ヒプノシスが予算青天井でジャケットを制作できた最後だと思う」と話していた。「ARE YOU NORMAL?」と大きく書かれた中に小さく、浜辺に置かれたカウチに羊が載っている写真が置かれているデザインである。『Look Hear』の発売が1980年らしいその頃までということだろう。
この点に関しては、ヒプノシスの事務所の向かいにあったスタジオを使っていたSEX PISTOLSのメンバーが、「ヒプノシスは敵だった。時代遅れのバンドのジャケットをやっていたから」みたいに言っていたし、その後登場した人物は、「リアリティがあるかどうかが、パンク以前以後の大きな違いだ」「ピンクの豚を空に飛ばす(※そういうデザインのジャケットがある)なんてことをやっていたら、15歳の若者には響かない」みたいなことを言っていた。要するに、「時代が変わり、『カッコいい』の基準が変わっていった」みたいなことなのだと思う。ヒプノシスのデザインは確かに一世を風靡したが、時代の流れには逆らえなかったということらしい。
あと、詳しくは語られなかったが、レコードジャケットよりもMTV(MV)の方に重点が置かれるようになったこともまた、ヒプノシスにとっては大きな打撃になったようだ。
ただ、最近レコードの人気がまた高まっているようだし、だとすれば恐らく、ヒプノシスのデザインの再評価みたいなものがなされているんじゃないかと思う。本作も、そういった流れの中で制作されたということだろうか。先ほども書いた通り、個人的には凄く良いデザインだなと感じるものが多かったので、現代的な視点でも受け入れられると思うし、これをフォトショップとかがない時代に切り貼りで作り上げたんだ、みたいなことも、やはり驚きに値するんじゃないかと思う。
そういう意味で言うと、ピンク・フロイドの「炎〜あなたがここにいてほしい」はかなりインパクトがある。スーツ姿の男性が、同じくスーツ姿ながら背中が燃えている男性と握手している写真のジャケットである。もちろん、CGなどない時代だから、本物の火を使っている。静止したまま火をつけられるのはかなり危険だそうで、しかしそれでも、スタントマンが「もうやらないからな!」とキレるまで、「あともう1回」と粘りに粘ったそうだ。
また、レッド・ツェッペリン「線なる館」のジャケットもなかなか大変だったようだ。北アイルランドのジャイアンツ・コーズウェイで撮影されたのだが、不幸なことに雨続きだったようで、思うような写真が撮れなかった。しかし、その場で起点を利かせ、「あとでコラージュすればいい」という判断で撮影を切り替えたところ、30分で終わったそうだ。このジャケットも、何とも言えない妖しげな雰囲気が漂い、凄く良かったなと思う。
また、ポール・マッカトニーの発案で、オークションで落としたデカい像を雪山の上まで運んで撮影した「Wings Greatest」もなかなか凄い。居間ぐらいの面積しかない場所にヘリで降ろされ、ポーは高所恐怖症にも拘らず6時間もそこにいたという。ポーは、「作品のためなら地の果てだって行く」と、作品づくりに懸ける想いを語っていた。
しかしヒプノシスを何よりも有名にしたのは、ピンク・フロイドの「狂気」のジャケットだそうだ。理科の教科書に載っているようなプリズムをデザインしたもので、このアルバムは全世界で6500万枚も売れたそうだ。ヒプノシスがいくつか案を提案した際、ピンク・フロイドのメンバーは、「違う 違う 違う これだ!」と全員一致でプリズムの案に賛成し、ストームに「他の案のことなんかいいからこれで進めてくれ」と言ったそうだ。ストームはどうやら、その言い方に苛ついたようなのだが、とにかくデザインはすぐに決定、そして世界的な大ヒットに繋がったのである。
そんなわけで、ストームとポーのコンビは、色んな衝突もありながらも凄まじいアートワークを生み出し続け、歴史に名を残した。ストームについてある人物は、「先駆者ではなくオリジナルだった」と言い、また別の人物はポーについて、「ポーはストームにとってロケットのような懐刀だった」と評していた。「罵り合う兄弟みたいな関係性」だったようで、もちろん、かなりぶっ飛んだ存在であるストームに振り回される面々(特にポー)は大変だったようだが、なんやかんやで一時代を築き上げるとんでもない存在になっていったというわけだ。
というわけで最後に、そんな彼らがどんな風にレコードジャケットのデザインの道へと入っていったのか、その来歴に触れて終わりにしよう。本作は基本的に時系列順に話が進んでいくので、映画的には冒頭からしばらくの間語られる話である。
ケンブリッジに通っていたポーは、何があったか学校から追い出されてしまい、両親も海外にいたこともあり、面白そうな人たちが出入りしている建物を見つけ、そこにいる人たちと仲良くならなきゃと考えるようになった。色んな人が出入りしていたが、その中心がストームだった。まだピンク・フロイドと呼ばれる前のメンバーも出入りしており、この頃の関係性から、彼らは後にレコードジャケットのデザインに関わるようになる。
人々が出入りしていたのはストームの実家で、リベラルな母親は何をしていても気にしなかった。だからマリファナなんかを当たり前のようにやっていたのだが、そこにある日警察がやってきた。部屋にいた仲間の多くが、マリファナなどを持って裏口から逃げたのだが、ポーは逃げずに残った。後でストームから「どうして逃げなかったんだ?」と聞かれた彼は、「沈みゆく船から逃げずに最後まで闘う質なんだ」と言ったそうだ。その時から2人は一緒になり、2度と離れなかったという。
その後、ストームが王立芸術院に入学するという話になり、さらにポーにも入れと言ってきた。写真学科だという。写真なんか撮ったことないというと、「俺が教えてやる」と言い、「合わせる 撮る 巻き取る その繰り返しだ」みたいな雑なアドバイスをもらう。しかしポーは撮った写真を自ら現像した際、30分前に撮影した写真が見事に浮かび上がり、鳥肌が立ったそうだ。そして、「これこそが自分のやるべきことだ」と直感、6ヶ月芸術院に通い、写真を学んだそうだ。
さてその後、ケンブリッジ時代に知り合いだったピンク・フロイドから「ジャケットのデザインをしてくれないか」と頼まれたことでこの世界に足を踏み入れる。写真をモンタージュして色付けしたデザインを完成させたポーは、「作りながら学んだ」と話していた。
さて、彼らが住んでいたのは、サウス・ケンジントンにあるアパート(「エジャートン・コート」みたいな名前だったと思うのだけど、検索しても出てこない)に住んでいた。ヒッピー革命の真っ最中で、サイケデリックな奴らが集まる巣窟みたいに見られていたのだが、このアパートは、ロマン・ポランスキーの映画『反撥』の撮影で使われたことでも知られているという。そして、その撮影の際に使われていた照明器具などが残されていたそうで、ヒプノシスの面々はそれをそのまま使っていたという。
またこの頃から皆LSDをやり始め、トリップして創造性を高めたという。しかし一方で、仲間内に亀裂が走ったり、ストームもポーも精神科に通うようになったりと色々大変だったという。ただ、ポーの述懐では、「LSDのお陰で常識を超えられ、ヒプノシスは成功した」のだそうだ。
そんな風にして次第にレコードジャケットの仕事が増えていった。そしてストームがある時ポーに、「この道で行こうと決めた」と言われたそうだ。ポーは、「ジャケットのデザインをやろうなんて思っていたか? No。そんなこと、決めたこともなかった」と言っており、ストームが何かのインタビューで話していたように「裏口から入り込む」みたいにしてこの世界にずっぽりと入り込んでいったのだ。
その後、デンマークストリート6番街に事務所を移す。ここにはトイレがなく、「シンクで用を足す」というクレイジーな環境だった。誰かが「ゴミ溜めみたいな場所」と評していたような場所である。しかし前の家主が置いていったピアノを査定してもらうとかなり高級なものだと分かり、そのお金でカメラや照明一式、そして暗室まで用意することが出来たそうだ。
しかし、「バスタブで印画紙を洗ったのが大きな失敗だった」とポーは語っていた。というのも、印画紙が詰まり、連休中に溢れ出し、階下の本屋を水浸しにしてしまったからだ。もちろん書店は大損害を被ったが、保険が利いて良かったとポーは話していた。
60年代のロンドンは「無法地帯」だったようで、「サイズが合わないソファーを窓から投げ落としタクシーの上に載ってしまってもお咎めなしだった」そうだ。そんなムチャクチャな時代にどうにか金策をして、ヒプノシスを継続させていた。
そんな頃、初めて大きな話題となったのが、1971年に発売されたThe Nice「Elegy」のジャケットだった。ストームがある時、彼らの曲を聴いていて「砂漠に赤いサッカーボール」というイメージが浮かんだそうで、そのイメージを実現するために、空気を抜いた60個の赤いサッカーボールをサハラ砂漠に持ち込んだ。現地で空気を入れるのに1個20分掛かったそうで、それを60個膨らませ、砂漠に並べ撮影を行った。
このジャケットはヒプノシスにとって大きな転換点になったという。というのも、「風景アートがジャケットとして売れる」ことが分かったからだ。突飛なものを作ったとしても、それをミュージシャンが気に入れば、それはジャケットとして成立する。そのことが実感できたことで、ヒプノシスは飛躍していく。
そしてその後、1973年にも大きな転換点があった。ポーが「神からの電話」と評したように、ビートルズから連絡があったのだ。ポール・マッカトニーが「刑務所からの脱獄」というアイデアを持ってきて、それをストームがブラッシュアップ、ポーが実現した。ビートルズの「バンド・オン・ザ・ラン」のジャケットである。こうして2人は、「ストームが悪団を落とし、ポーが欠片を拾って仕上げる」というスタイルを確立していくのだ。
こんな風にして、その圧倒的なクオリティによって名を挙げ、多くのアーティストから信頼され、その期待に応え続けたのである。全然知らない人たちの話だったが、実に興味深く感じられた。
配信で曲を聴くことが当たり前になった時代に「ジャケット」の価値は廃れているかもしれないが、先述した通り、レコード人気は高まっているわけで、恐らくジャケットも再評価されていくことだろう。そして、「レコードが全盛期だった時代にトップをひた走り続けたヒプノシス」にもきっと、再び光が当たることだろう。そんな驚くべき人たちの驚くべき人生を切り取ったドキュメンタリー映画である。
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