【映画】「Arc アーク」感想・レビュー・解説

これは良い映画だったなぁ。


不老不死を望む人の気持ちが、僕にはまったく理解できない。何がいいんだろうか?

もちろん、今人生が楽しいと思っている人は、それがずっと続くと期待しているのだろう。しかし、本当にそんなことあるだろうか?僕には、想像力が足りないように感じられてしまう。

よく昔の権力者が不老不死を望んでいた、という話を聞く。それが、「自分以外の人間は不老不死にはなれず、自分だけが不老不死になる」ことを目論んでいるなら、まあ理解できなくもない。権力の誇示というやつだろう。しかし、全員ではないにせよ、「不老不死」の技術が多くの人に適用されるようになるとすれば、「自分だけが不老不死だ」という権力の誇示もできない。

大学時代の友人が昔、「自分が死んだ後も世界が続いていくことが許せない」みたいなことを言っていた。彼は、だから死にたくないんだ、と言っていたが、全然意味が分からなかった。

【生の対局に死があるのではないの。生の中に、死が内包されているのよ】

この映画では、そこまで難しい議論が展開されるわけではないが、「死とは何か」や「死生観」について様々な人物が語る。他にも、

【もはや死は不要です】

【死があるから、生が輝くのではないですか?】

【死があるから生が輝くというのは、それしか選択肢がなかった人類が自分たちを慰めるために生み出したプロパガンダに過ぎません】

【死なないことは、死ぬことよりも人々の恐怖を掻き立てるようだ】

どれも「なるほど」という感じでもあり、同時に「うーん」とも感じる。

映画の中では「クラゲなど一部の生物には、死という概念さえない」みたいな発言が出てくる。確かにクラゲは、「死」というサイクルを経ずに、まるで循環しているような生命活動であると、以前何かで聞いたことがある。

しかし、ほとんどの生物には「死」が備わっている。遺伝学的にはこれは、「外的環境の急激な変化に適応する個体を存続させるため」と説明されるみたいな記述を何かで読んだことがある。

生命は、子どもを生むことで新しい遺伝子配列を作り出す。そして、その多様な遺伝子の中で、大災害や気候変動などに耐えられる個体が一部でも残れば、種は存続する。

ただこれだけであれば、「死」が組み込まれている理由にはならないだろう。生命は死なないまま、子どもを生み続ければいい。しかしそれだと、生命の数はひたすら増えすぎて、地球という星で溢れてしまう。だから、古い遺伝子には退場してもらうしかない。

それが生命の「死」であり、僕はこの説明に納得している。

映画の中で、恐らくラジオ番組だろう音声が流れる場面がある。そこで、「全世界の出生率はなんと0.2まで落ち込みました」と言っていた。出生率は確か2以下だと人口が減っていくはずだ(夫婦2人から2人の子どもが生まれれば、プラマイゼロで人口は減らない、ということ)。2020年の日本の出生率は1.34、これでも相当低いと言われているが、映画の中では0.2だった。

これは、当然そうなる。老化しないということは、妊娠・出産が可能な年齢で老化抑制手術を受けていれば、いつだって子どもを産める。40歳を超えたら厳しい、というような年齢制限はなくなるのだ。だとすれば、急いで子どもを作ろうという人は少なくなるだろうし、いつかいつかと思っている内に0.2まで下がってしまった、ということだろう。

そしてこうなると、人類の遺伝子の多様性は著しく低下する。それによって、外的要因で人類が絶滅する可能性も高くなるだろう。

ただ、「そんな人類全体のことだってどうでもいい」という意見は当然あると思う。人類がどうなろうが、私は私の希望として不老不死になりたい、ということであれば、それを選択すればいい。

しかし、本当に良いものなのだろうか、不老不死なんてものが。この映画では、直接的にそう突きつけてくるわけではないが、最初から最後まで、その問いに貫かれているように思う。

ちなみに、映画に登場する老化抑制技術がもし存在するなら、僕は、若い体のままで寿命で死にたいと思う。不老不死にはなりたくないが、身体にガタが来るのは嫌だ。長生きしたくはないが、死ぬ直前まで健康でいたいと思っているので、そういう使い方が許されるなら、それはお願いしたいものだと思う。

内容に入ろうと思います。
物語は、主人公のリナが17歳から始まる。最後は、135歳だ。
17歳で子どもを産んだリナは、その後、息子とは離れて生活をしている。家も無く、ダンサーとして踊りながらその日暮らしをしているような彼女は「ボディワークス」という会社のエマという女性から、気が向いたらここに来なさいと名刺を渡される。
そこは、亡くなった人に「プラスティネーション」という処理を施し、生前と同じような姿を保つというサービスを行う会社だった。「プラスティネーション」とは、血液や死亡をプラスチックに置き換えることで腐敗を防ぎ、脳や内臓を残したままで死の形を留めておけるものだ。リナはここで見習いとして働き始め、誰かの死に触れ、またそれが形として残ることの意味を考える。
時を経てリナは、「ボディワークス」で注目される存在となり、彼女自身も仕事へのやりがいを感じている。一方、エマの弟である天音は、「死」に関して姉とはまったく違う考えを持っており、かねてより準備していた計画をようやく厚労省に認可させるまでに至った。
それが、老化抑制技術だ。「プラスティネーション」の技法を使って、体内の血液や死亡をある液体で入れ替えることによって、永遠に若さを保ったまま生きることができる、というものだ。
天音に見初められたリナは、人類で初めて老化抑制手術を受けることになったが…。

というような話です。

非常に面白い作品でした。映画の中心はもちろん「不老不死」であり、中盤から最後までそれが作品の核となるのだけど、そのテーマ的な部分だけが面白い、というわけではありません。リナの生い立ち、「ボディワークス」の理念と実践、エマと天音の対立、不老化してからの生活、まさかの展開、そしてまたまさかの展開、などなど、非常に盛りだくさんの魅力的な映画でした。

とても良かったと感じるのは、「不老不死」という縦軸に対して、それぞれの年齢におけるリナが横軸となる何かを抱えている、ということです。

「ボディワークス」に入社した頃のリナであれば、「普通の生活ができない」「当たり前の環境にいられない」ということが問題になります。この頃のリナはほとんど喋らず、笑顔もあまり見せず、猫背で首だけ曲げてお辞儀するような、人間としてちょっと難ありという状態でした。

しかしその後、「ボディワークス」での立場が確立されると、今度は天音との関わりが問題になってきます。老化抑制技術の提唱者であり、求婚者でもある天音とどう関わっていくか、という状況に対峙するわけです。

というように、リナには常に何か直面するものがあり、それが「不老不死」の問題と絡まって複雑な問題として立ち上がってきます。

その複雑さは、後半になればなるほど顕著で、ここでは触れませんが、「なるほど、まさかそういう展開になるのか」という後半でのある展開は、画面で観ていても「この人この人がこうで…」とちょっと頭が混乱します(笑)

また映画を観ながらずっと頭に浮かんでいたのは、現在のコロナワクチンに対する反応です。若い世代ほど「ワクチンは怖いという情報がネットで回っている」「だから打ちたくない」と感じる人が多いようです。

映画を観ていて非常に印象的だったのは、後半の方で「老化抑制手術を受けない人の方が稀」という話が出てくることです。詳しくは書きませんが、この映画で描かれている設定から考えると、「私は老化抑制手術を受けたくない」と考える人が続出してもおかしくないような気がしました。実際、今の世の中のコロナワクチンに対する反応を考えると、なおさらそう感じます。

現実に老化抑制技術が開発されたらどういう反応になるか分からないけれども、この映画で分かっている情報から判断すると、「それでも不老不死が魅力的だと感じる人が多い」ということになるのだろうかと思います。まあこの辺りは、実際どうなるのかなんて誰にも分かりませんけどね。

映画のような老化抑制技術は、実現するかもしれません。そして、実用化される可能性もあるだろうな、と思っています。というのも、地球がもはや人類が住めない環境になってしまった場合、移住できる星を探す長旅に出なければならないからです。その際、老化抑制技術を使っていれば、寿命を気にすることなく、移住先を見つける長旅ができるでしょう。そういう未来は、現実的にあり得るんじゃないか、という気はします。

もしそんな未来に生きていれば、僕も別の惑星に移住するために老化抑制手術を受けるでしょう。しかし、あくまでも地球上で生きて死ぬというレベルに留まっているのであれば、僕は老化抑制手術は受けないでしょう。

そんな風に、改めて「自分はどんな風に死にたいか」を考えるきっかけになるし、それはつまり「自分はどんな風に生きたいか」を考えるということでもあります。

エンドロールを観ていて意外だったのは、この映画の原作者であるケン・リュウが、エグゼクティブプロデューサーとして名を連ねていたこと。詳しくは知らないけど、作家がエグゼクティブプロデューサーとして名を連ねるっていうのは珍しい気がしました。

あと、エンドロール見るまで、小林薫だって気づかなかったなぁ……(笑)


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