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「論理的な言葉を口にする非論理的な存在」になりたい(東京藝術大学の卒展に行ってきた)

「意味が分からないもの」が好きだ。現代アートの展示を観に行くのも、「意味が分からないものに出会いたいから」というのが一番大きな理由だと思う。

東京藝術大学の卒展に行ってきた。今日からスタートで、2/1(日)まで。1/31(土)・2/1(日)は要予約で、もう予約は出来ないみたいなので(人気で埋まってしまうのだ)、行きたい方は是非1/30(金)までに。

僕は、東京藝術大学の学園祭にはここ数年毎年行っているのだけど、卒展の存在は去年初めて知り、だけど去年は予約が取れなかった。なので今年は、平日に有休を取って観に行くことにしたのである。会場は東京藝術大学の敷地内だけではなく、近くにある東京都美術館も使われていて、かなり大規模なものだった。さすが東京藝大。

で、これは東京藝大に限らず芸術系の大学の学園祭・卒展に共通していることだと言えるが、「メチャクチャ雑多な作品が並んでいるので、『どんなものに自分が惹かれるか』を確認しやすい」という意味で、凄く良い場だなと思う。美術館などで行われる展示は基本的に、「◯◯さんの作品」や「印象派の作品」「現代アートの作品」など、何らかの括りでまとめられている。そしてやはり、その「括り」が好きだと自覚出来ている人が足を運ぶことが多いと思う。しかしアートに触れる機会がないと、「自分がそもそもどんなものが好きなのか分からない」という状態であることが多いはずだ。だから、芸術系の大学の学園祭や卒展に行くのがオススメしたい。ありとあらゆるジャンルの作品が並んでいるので、「自分の琴線に触れるもの」が何か確認しやすいからだ。そしてそこをスタートにすれば、アートの世界にも入りやすくなるだろう。

で、僕はやはり「何だか分からないもの」が好きだなと毎回感じる。例えば、でっかいおにぎり。これは「『精米機』と書かれた外枠の中で、でっかいおにぎりが回転している」という展示で、説明書きには何か意図みたいなものが書かれていたが、正直「なんのこっちゃ」という感じだった。



他にもまあ、色んなものがありますよね。





説明はあったりなかったりするが、あってもなくても「なんだこりゃ?」という印象に大差はない。説明があったところで、その説明に「???」となるだけだからだ。

そして、こういう「意味が分からないもの」に触れる時間を、僕は大切にしている。

僕は割と論理的な人間で、理屈は結構得意だ。だから、「理屈で出来ているものには、時間さえかければ自力でどうにか辿り着けるんじゃないか」と思っている節がある。例えば、僕は「フェルマーの最終定理」の証明は出来ないし、恐らくその証明を読んでも理解できないと思うが、しかし「数学の証明」というのは「理屈で出来ているもの」だ。だから「時間さえかければ(それこそ、10回ぐらい生まれ変わるぐらいの時間は必要かもしれないが)、どうにか『フェルマーの最終定理』には辿り着けるんじゃないかな」とも思う。

でも、非論理的なものに対して同じようには感じられない。「どれだけ時間をかけても、僕には絶対にそこには辿り着けないだろうなぁ」と思えてしまうのだ。だから、「非論理的なよく分からないもの」に惹かれるんだろうなという気がする。「絶対的に理解できないものが自分の身近に存在している」という事実が、なんか嬉しくなるんだろう。「まだまだ世界は広いぞ」って感じてるのかな、たぶん。

で、学園祭や卒展を見ていて「意味不明なものが好き」と感じるのにはもう1つ理由がある。「僕はどうやら建築には興味がなさそうだ」と感じるのだ。

いや、僕は磯崎新や坂口恭平などの建築家(坂口恭平を建築家に含めてよいかは何とも言えないが)の本を読んだことがあるし、建築自体には関心が持てる。のだけど、それは僕の中で「論理的なもの」として区分されているようだ。何故なら、基本的に建築というのは「機能ありきでデザインなどが決まる」からである。徹底的に「理屈」の世界なのだと思う。だから、アートの文脈として建築が並んでいる場合、僕はどうしてもそれに興味が持てなくなる。そして逆説的に「機能など存在しないもの(よく分からないもの)が好きなんだろうなぁ」と感じるというわけだ。

ただ、今回の卒展には、「機能」という観点から1つ面白い展示があった。この記事のアイキャッチにもしているのだが、「パスタソースなどが飛び散ったデザインのフォーマルウェア」の展示である。


この展示の意図は割と明白だった。「フォーマルな場でパスタとか出てきた時、ソースが服に飛び散っちゃうことあるよね? だったら最初から、その飛び散りをデザインとして組み込んでおいたら良くない?」という発想なのだ。これは凄く面白い展示だなと感じた。

さて、この展示も「機能ありきでデザインしている」という意味では、建築に似たところがある。しかしそもそもだが、「ソースが飛び散っちゃうことをごまかす」という本作品で提示されている「機能」は、一般的に「必要とされているもの」とは言えないだろう。個人的には、実際にこういう服が売っていたら面白いなと思うし、値段次第ではワンチャン買うかもしれないと思ったが、そんな風に感じる人は少ないんじゃないかと思う。そんなわけで本展示は、「機能ありきでデザインが決まる」という論理的な要素を備えながらも、僕にとっては「意味不明なもの」と分類されるものであり、だからこそアートだと感じたし、面白いなとも思った。今回見た中で、結果として一番思考が刺激されたのがこの展示である。

そんなわけで僕は、「論理的な言葉を口にする非論理的な存在」になりたいなと思う。たぶんそうはなれないからこそ、ずっと憧れているんだろうな。







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