見出し画像

【本】松田青子「スタッキング可能」感想・レビュー・解説

『普通』というものへの、静かな、でも確かな、どっしりとした、揺るぎない、確固たる怒りが、この作品の中には閉じ込められている。
素敵だ。
ホントこの作品は、「自分は人とは違うんだ!」と思ってる、僕みたいなクソ野郎にはもの凄く共感されるだろう。

『それが当たり前だとどこでそう思ったのか知るよしもないが当たり前だと思い込んでいる男たち、そいつらに合わせてるんだかそうじゃないのかわかんないけど同じ思い込みの中にいる女たちの中で、そうしない女がいることを体現してやると心に決めた』

『こいつらはなんでいつも何の疑問もなく自分たちが普通だと、自分たちがデフォルトだと信じ込めているのか。ただの脈々と続いてきた空気でしかないものを分厚い百科事典でもあるかのように鵜呑みにしていられるのか。ありもしない辞書を信じていられるのか。』

その通りだ。「その通りだ!」と叫んで歩きまわりたいぐらいその通りだ。僕が、昔から今に至るまで、どんな時間、どんな場所、どんな関係の中にいても連綿と永遠と常々感じてきたことが、この小説の中で様々な形で、断片がコラージュされるかのように、不思議な色合いと共に描き出されていく。
そう、その通りなのである。


僕自身、『普通』というものへの怒りは、常に保持し続けている。なんでそんなわけのわからんことが『普通』としてまかり通っているのか、理解できない場面が世の中には多すぎる。おかしいよね?普通じゃないよね?みんな狂っちゃってるのかな?なんか、そんな風にしか解釈できないような場面が、頻繁に、本当に頻繁にあるのだ。


それは、上司がオラウータンに見えてしまうぐらいの、すべての会話をコージーミステリーのセリフに書き換えてしまうぐらいの、意味不明な日常だ。脈絡がなく、繋がりは断たれ、論理も関係もなく、ただ「大勢がそう捉えているから」というだけの、「なんだそりゃ!」と突っ込みたくなるような理由だけで、あらゆる『普通』が決まっていく。

『「わたし」はいつか自分はがっかりしない男の人に出会えるんだろうかと想像してみた。望み薄だな』

そう、望み薄だ。

『こんなにみんな同じだと思わなかった』

そう、思わなかった。

『どうも自分はうまくやれない。この世界が居具合が悪い。理由なんて別にない。もう幼稚園からわかっていた。友達の、同級生の、周りにいる人たちの、話している内容が理解できない、意味がわからない、面白いと思えない。なぜどうでもいいことをいちいちずっとしゃべっているのか。それに合わせるとすごく疲れる。本を読んでる方が、映画を見てる方が面白いよ。だから学生時代はとにかくずっと地獄だった。こんなに惨めで逃げ場がなくて、これは本当に、冗談じゃなく、バトルロワイヤルだった』

まったく同じ気持ちで子供時代を過ごしてきたという自覚が僕にもある。あぁ、わかるわー、って感じ。そうそう、バトルロワイヤルだった。すげぇ大変だった。それはもう大変だった。だって、意味わかんなかったもんなぁ。色々。とにかく。何もかも。僕は何よりも、みんなが「おかしいと思っていないこと」に驚愕していたような気がする。昔は自分だけがおかしいのかと思ってビクビクしてた。今は、僕も含めたみんながおかしいんだなと思えるようになって、昔よりは穏やかでいられる。

『彼らより、誰より、私が一番ここにいない』

そう。僕もいない。みんなの『普通』の中で生きていくためには、自分の存在をなくす以外の選択肢は、僕には取りようがなかった。「あなたがたに全面的に合わせますよ」というスタンスをいつ身につけたのか、それはもうわからないけど、もうそれが僕の個性になった。そうなる前の自分のことなど、もう思い出せない。「僕」は、その時に捨て去ったのだろう、きっと。それで良かったのかどうかは分からないけど、どうにか『普通』の中で生きていく術を見つけることに成功した。

『同志がいるようで、D田はD山とすれ違うと少し嬉しかった。飲み屋で愚痴をこぼし合ったり、恋バナしているような関係よりも、もっとずっと同志みたいな気がしていた』

なんかそれは、わかるような気がする。つまり、「自分と理解し合える人」は、自分が関係している人の中にはほとんどいないのだ、という事実からの願望だ。自分が関係していない人の中に、「自分と理解し合える人」がいるのではないか、という期待。その期待が、すれ違う人間を「同志」と思わせる。

『どうしてただここにいられないの。どうしてずっと女だって、自分は女だって意識させられないといけないの。どうして仕事と関係ないところで、いつも居心地が悪い思いをしないといけないの。どうしてそれを含めて仕事みたいな部分があるの。どうしてありがたく思わないといけないの。少しもありがたくねえよ』

女性の方が、こういう『普通』という存在からの抑圧は強そうだろう。そう思うからこそ、女性というのは凄いなと僕は思う。男にも『普通』からの抑圧はあるが、きっと女性ほどではないだろう。女性には、当然同性からの圧力もあるが、同時に、社会からの圧力も強い。当然だ。社会は男が作ってきた、という残滓みたいなものが残っているから、その社会の中で生きる女性には、「男が作った社会」というものからの抑圧も含まれる。大変だ。ご苦労様である、女性のみなさん。

『なのに他人同士が同じ家に暮らすことになると、それらの行為の総体が急に家事になる。突然深刻味をもって目の前に立ち上がってくるのだ。家事は立体だ。その途端、分担だの負担だの考えなくてはいけなくなる。そのうちどちらかに自分の方が家事を多目にやっているなどという不満が芽生えはじめ、それが諍いの原因になり、二人とも疲れてしまうような、そんなの合っているのだろうか。結婚しなければ、皿を洗うという行為は純粋に皿を洗うという行為であるのではないか。私は皿を洗うという行為を家事になんてしたくない。私たちは皿洗いを家事にせずにどこまでやっていけるだろうか。いや、やっていけると思っているからこそ、もうすぐ結婚する女と結婚しようとしているのだが』

こういう男も、世の中のどこかにはいるはずだから、女性の皆さんはあまり絶望してはいけないと思いますですはい。

本書は、「スタッキング可能」という中編と、あといくつかの短編で構成されているのだけど、それらの内容を紹介することも、引用した文章がどこからのものなのかも書かなかった。たぶんこの作品の感想では、そういう感じが相応しいと思う。この作品は、「小説という枠」を外せる人向けだと僕は感じる。

小説らしい小説さを求める人には、きっと不向きだろう。内容紹介が向かない作品でもあるし、作品ごとに区切る特別な意味を見出すことにも意味がないかもしれない。どの作品も、始まりもなく終わりもないような描写の積み重ねであって、個人的には、どの話も、終わらないまま延々とそのテンションのまま物語が続いていってくれたらいいなと思った。小説という枠組みを物理的に外してしまえば、そういうことも出来るかもしれない。まあ、「本」という物理的な形に落としこむのであれば、始まりも終わりも必要になっちゃいますけどね。


「ウォータープルーフ嘘ばっかり!」というフレーズの見事さ、そして「自宅ネイル派」という単語と、それに対する違和感。「パンツ」や「マスカラ」への疑問など、日常を楽しくささやかに拡張してくれるその視点は見事だと思いました。「自宅ネイル派」は、いいなぁ。確かに、この単語には、ささやかな見栄とか意地が込められてるよなぁ。


小説としてどうかということは、僕には判断出来ませんが、読んでいるととにかく、書いている人に強い関心を抱くようになります。やっぱり著者も、『普通』というものに苛立ちを感じているのだろうか(そうじゃないと、こんな作品は書けないだろうけど)。もしそうなのだとしたら、勝手に著者のことを、「同志」と認定させていただきたいと思います。「小説」ではなく、「新鮮な視点」と「言語体験」を楽しむ作品だと捉えて手にとってみてください。


いいなと思ったら応援しよう!

長江貴士 サポートいただけると励みになります!