お金があっても楽しくない
昔からずっと、「お金があっても楽しくないよなぁ」と思っていた。
さて、そもそも大前提の話として、「お金」には「能力評価」と「使用」の2つの要素が含まれていると思っている(他にもあるだろうか?)。「能力評価」というのは要するに、「お金を稼げる=社会における能力が高い」みたいな意味である。世の中には、「お金を使うこと」よりもこちらの「能力があると示すこと」を重視する人もいるだろうし、それはそれで良いと思う。が、僕にはあまりその点に意味を見出せない。自分にも他人にも、「お金を稼げる能力」に魅力を感じることがないからだ。
というわけで僕にとっての価値は「使用」ということになるのだが、こちらについては「生活」と「それ以外」に分けて考えてみることにしよう。あるいは、「使わなければならないお金」と「使う必要がないお金」という捉え方でも良いだろう。
で、もちろん「生活」のためのお金は必要である。とはいえ僕は「生活レベルを高くすること」にさほど興味はない。「良い家に住みたい」とか「毎日食べるものはより美味しいものの方がいい」みたいには思っていないのだ。「生活」なんか正直、「それなりに成り立っていれば十分」である。また、今のところ結婚するつもりもないので、そういう意味でも別にお金は必要ではない。というわけで、「そこそこ生活が成り立つ」に加え、「将来の安心を得る」みたいな部分がクリアされていれば十分ということになる。
一方「それ以外」というのは、要するに「娯楽」みたいなイメージでいいが、僕は基本的に「お金がかかる娯楽」にさほど興味がない。「映画館で映画を観る」「美術館の展示に足を運ぶ」「仲の良い人と飲みに行く」ぐらいが不自由なく出来れば十分である。「車・バイクをカスタムしたい」とか「ファッションにこだわりたい」みたいなことは全然ないので、「それ以外」の方でも「お金がたくさんあればあるほどやりたいことが増えて満足度が上がる」みたいなことにはならないのだ。
なので僕にとって「お金」というのは、「生活・娯楽がそこそこ満足出来る状態」「将来のための安心」のために必要だと言える。で、「将来」に何が起こるかは誰にも分からないので、「安心」のためにはお金はいくらあってもいいだろうと思う。ただ当然のことながら、「安心」が増えたところで「楽しさ」が増すわけではない。
また、「娯楽」については先述した通りだが、「生活」に関しては、僕は「東京にしか住めない」と思っているので(「アートが充実している」「車に乗りたくない」「僕が面白いと思う人が多そう」など色んな理由がある)、多少コストは高くなると言えるだろう。それでも僕は、42歳の現在に至るまでずっと、社会人の初任給ぐらい(かそれ以下)の給料で生活してきたので、正直全然問題ないなと思う。
このような理由から僕の中には、「お金があっても『楽しさ』『幸せ』は大して増えないなぁ」という感覚がずっとある。「お金」にはもちろん、「楽しい人生を過ごすための基盤」という意味での重要性はあると思うが、とはいえ結局のところ「あるに越したことはない」程度のものにしか感じられない。そしてだからこそ当然、「お金を稼ぐこと(=働くこと)」にも「頑張れないなぁ」という感覚が強くなってしまうのだ。
正直僕は、「お金」よりも圧倒的に「時間」の方がほしい。「あー、お金がほしい」と思うことなんて人生でほとんどなかったが、「あー、時間がほしい」とは日々常に考えている。自分で勝手に忙しくしているだけだが、とにかく時間がなさすぎて、日々あわあわと生きているからだ。あー、忙しい。
もちろん、「経済的自由を達成して仕事を辞めれば(いわゆる『FIRE』)自由な時間は増える」だろうし、それは「お金」に関して積極的に目指したいと思える1つの要素ではある。が、「死ぬまで使い切れないお金を手に入れる」とかでもない限り、「いくらあれば『働かなくても問題ない』と信じられるのか」はよく分からないし、結局「働くこと」から離れるのは難しいように思えてしまう。理想ではあるが、「FIREを決断する」という点の難しさを考えると、あまり現実的な選択肢とは思えない。
それに、「『お金』を追い求めるような生き方」は、それ自体が僕にとっては「不幸せ」に感じられるような気もしてしまう。というかむしろ、「『お金』がなくても楽しそうな方が、より本質的に『楽しさ』に触れている」みたいな感覚さえあるぐらいだ。「『お金』がもたらす『楽しさ』」は「『お金』に楽しいと思わされている」みたいな気がしてしまうのである。そう考えるとホント、去年から行き始めた「哲学カフェ」は僕にとってはプライスレス過ぎる場だなと思う。ほとんどお金は掛からないのに、最大級クラスの楽しさが感じられる場だからだ。
さて、そんな僕にも実は、「死ぬまでに使い切れないぐらいの『お金』があったらやりたいこと」はある。「数学者・科学者の支援」だ。研究所を作るのか、あるいは金銭的な支援をするのか、その辺りは何でもいいが、「数学者・科学者が『社会のどうでも良いこと』に縛られずに研究が行える環境」を作り、その状況に多少なりとも自分が関われたら素敵だな、と思っている。まあ、今世ではまず実現しなそうだが(笑)。
「お金=幸せ」という図式は分かりやすいし、分かりやすいが故に誰もがそれを追い求めたくなってしまうだろう。しかし、その場合の「幸せ」とは一体何を指すのか、冷静に考えてみてもいいのかもしれない。「お金を保有していることの幸せ」なのか、「お金を使えることの幸せ」なのか、「『不自由なくお金を使える』と他者から認識してもらえることの幸せ」なのか、「お金を稼げる能力を有していることの幸せ」なのか、あるいはそれ以外なのか。どの「幸せ」を求めているかによって、「お金」との距離感を適切に見極めるのが良いのではないかと思う。
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