【映画】「大統領暗殺裁判 16日間の真実」感想・レビュー・解説
『KCIA 南山の部長たち』も『ソウルの春』も観ている僕としては、本作は観ないわけにはいかない。しかしホント、この時代の韓国には、言い方は良くないが「映画の題材」が転がってるなぁ。ホロコーストも様々な物語になっているが、韓国の軍事クーデターもまた様々な物語を生んでいる。
さて、映画『KCIA 南山の部長たち』は、「情報部の部長らが大統領を暗殺するまで」を描く物語であり、映画『ソウルの春』は、その「大統領暗殺事件」に乗じて暴走した軍部が権力を掌握するまでを描く物語である。そしてその間を繋ぐ本作は、「大統領暗殺事件の首謀者たちを裁く裁判」に焦点が当てられている。
つまり時期的には、「ギリギリ軍事独裁政権になる前」に始まった裁判、と言っていいだろう。
しかし、『ソウルの春』を観ていたから色々と分かることもあるのだけど、本作で描かれる時系列にはちょっと驚かされた。そうか、『ソウルの春』で起こっていたあの出来事が、大統領暗殺事件の裁判にかなりの影響を与えることになったのである。凄いタイミングである。
と思うのだけど、ただ、本作は「事実の捉え方」が難しい。というのも、映画の冒頭で、「本作は大統領暗殺事件を基にしたフィクションです」と表記されるからだ。普通このような史実を基にした作品の場合、「史実に基づく」みたいな表記であることが多い。もちろん、「史実に基づく」と表記しても、「フィクションが含まれていること」はある種前提と言えるので、「史実に基づく」と書かれていても「すべてが事実なわけじゃないだろう」と思いながら観ることになる。
のだが、本作の場合、「フィクションです」と表記されるので、「あれ?」と思ってしまったのだ。ただ、公式HPには、「一部フィクションを交えて史実に基づき描いた作品」と書かれているので、概ね事実に沿っているのだろう。
と思ったのだけど、同じ公式HPには、「映画オリジナルのキャラクターであり、勝つためには手段を選ばない主人公の弁護士チョン・インフ」という表記があり、本作の主人公は実在の人物ではないようだ。なるほど、だとするとやはり、「外枠の事実」は史実に沿っているけれども、物語全体はフィクションと捉えておくのがいいのだろう。
まあそうだとしても、先程書いた「本作で描かれる時系列にはちょっと驚かされた」という点はさすがに事実だと思うので、驚きに変わりはない。なんとも凄まじいタイミングで事態が進んだものである。
さて、この裁判は「大統領暗殺事件の首謀者8人」を裁くものであり、さらに、後に起こる軍事クーデター以前から軍部の力がかなり強くなっており、裁判にも軍部が介入していることから、「被告人に不利な状況」で進んでいくということは明白である。そのままだと正直なところ、ちょっと物語として展開しにくいようにも思うが(恐らくそういう理由もあって、架空の弁護士を主人公にしたのだろう)、ただ本作で描かれる裁判には1点、実に特殊な点があった。そして本作は、その点に焦点を当てて展開されるのである。
それは、「8人の被告の内、1人だけ軍人だった」という点だ。
それがどう物語に影響するのかと言えば、「軍人は軍法会議にかけられ、軍法会議は単審である」という話になるのだ。単審とは、「1度の裁判で判決が下る」という意味だ。韓国でも、通常は日本と同じ三審(日本で言うなら、地方裁判所、高等裁判所、最高裁判所)のようだが、軍法会議は単審と決まっているようなのだ(ただこの点も、法律的には「非常時は単審にすることが出来る」と書かれているだけで、必ず単審というわけではないようなのだが)。
さて、大統領が暗殺された当時の韓国は「民主化」とはほど遠く、ある種の独裁のような国だった。そしてそんな国を民主化に導きたいと思い、情報部部長ら8人は暗殺計画を実行したのだ。もちろん、市民も国政には不満を抱いており、だから大統領暗殺事件の首謀者たちにも賛同者が多く現れ、弁護団も結成されることになった。事件は10月26日に起こったのだが、1審の判決が出たのは恐らく12月中じゃないかと思う(作中では正確な表示はなかったのであくまでも予想)。本作のタイトルにもあるように、1審判決まではたったの16日しかなかったそうで、韓国では「性急裁判」と呼ばれているのだそうだ。
それで、首謀者8人は同時に裁判が進行する(というか、同じ法廷で行われている)のだが、「1審」という表記に意味があるのは軍人以外の7人だけだ。彼らは、1審判決後に控訴し、2審3審も戦えるのだが、軍人だけは1審で結審、つまり最終的な判決が決まってしまうのである。
弁護団は基本的に、「世論の力を借りる」つもりで、2審3審まで長引かせて世間からの同情を集めるつもりでいた。そしてそこには、「民主化の流れを作る」という目的もあった。裁判の争点は「内乱罪だったか否か」に集約されるのだが、弁護団は「独裁政権だったから、彼らの行為は内乱罪に当たらない」という方針を固める。つまり、首謀者たちの行動を「民主化のための行動だ」と訴え続けることで世論を動かし、彼らを救おうと考えていたのである。
もしも被告の中に軍人がいなければ、その戦略で問題なかっただろう。しかし、単審で終わったしまう者がいる含まれているため、「時間をかけて世論を動かす」というやり方ではその軍人を救えない可能性があるのだ。
そしてその可能性は、どんどんと高まっていく。というのも、被告の中で唯一の軍人であるパク・テジュ(これも実際の名前ではなく、本当はパク・フンジュと言うらしい)がまったく融通の利かないバカ正直者だったからだ。
彼の弁護を行うチョン・インフは映画冒頭で、別の裁判のための準備をしていた。裁判所の一室に被告人を座らせ、答弁の練習をさせていたのだ。被告人には「偽のギプス」をはめさせ、証言も大げさに言わせることにした。すべては、裁判に勝つためである。
チョンは作中で2度もこんなことを言っていた。
【裁判は善悪を決める場所じゃない。勝敗を決める場所なんだ】
チョンからすれば、勝つためには嘘でもなんでもついて勝利をもぎ取る必要があるし、それが裁判だと思っているというわけだ。
しかし軍人のパクはその考えを良しとしない。そもそも彼は、チョンと初めて対面した際も、「軍法会議を避けましょう」と提案したチョンに「軍法会議を避けるつもりはない」と断言するのだ。軍人には守らなければならないルールがあり、裁判に勝つためだとしてもそのルールは曲げるべきではない、と考えているからだ。
パクは本当に優秀な軍人だったようで、多くの人が「参謀総長の器だった」と評しているという。そしてそれ故に、「軍人らしさ」も圧巻で、とにかく弁護士のチョンがイライラするほど融通が利かないのである。
そしてそんなパクは、裁判の中でも、検察官の質問に答える形で、どう考えても不利になるような証言を口にする。パクは、自分の裁判結果に悪い影響をもたらすと分かっていても、嘘をついたり誰かを裏切ったりすることが出来ないのである。
そんなパクを見て、チョンは父のことを思い出す。牧師である父は、「妻子が飢えているのに困っている人に手を差し伸べるような人」であり、だから、デモに関わった学生を匿ったりして逮捕されてしまった。体調が優れない中、もう長いこと獄中にいるようだ。ある場面でチョンが父親の面会に訪れた際、「ハンコ1つで出てこれるだろうに」みたいなことを言うのだが、そこで父親は「彼らを犠牲にしてまで助かりたくないよ」と口にする。そんな融通の利かない父親に苛立ちを覚えているわけだが、同じようなことをパクに対しても感じたというわけだ。
そんな2人は当然、最初はまったく相容れないわけだが、それぞれが怒涛の日々に振り回されていく中で、少しずつ歩み寄りを見せていくことになる。その変化もなかなか面白く観られるだろう。
さて、本作で描かれる裁判では、後に軍事クーデターを起こすチョン・サンドゥ(これも実際にはチョン・ドゥファン)が裁判を盗聴し、裏から裁判長にメモで指示を渡しており(だから「メモ裁判」とも呼ばれているそうだ)、とてもじゃないが「公正な裁判」とは言えないだろう(しかし、チョン・サンドゥがいるんだから、弁護士の名前はチョンにしなきゃいいのにと思うけど、「この2人が主人公なんだぞ」ということを明白にするみたいな意図があるんだろうか?)。では、仮に公正な裁判が行われたとして、果たしてパクはどのような判決が下されただろうか?
弁護士のチョンが焦点を当てたのは「命令された」という部分である。パクは命令に従って大統領暗殺に関わった。軍人にとって命令は絶対であり、守らなければならないものだ。それが正しいかどうかは、一介の軍人が判断すべきことではない。そんなことをしていたら、指揮命令系統が崩れてしまうからである。そしてこの点をチョンは訴え、「命令によって行ったことには違法性はない」と主張するのである。
また、仮に「内乱罪」だとしても、リーダー以外の罪は軽くなるのが通例のようだ。この点に関しては作中で、「五・一五事件」の話が出てきた。チョンがある場面で、「日本の五・一五事件でも、主犯格以外が軽い刑でした」みたいに言う場面があるのだ。
恐らく、「パクがキム部長の指示で暗殺計画に加わった」という事実は認定されているはずなので、だとすれば、上述のようなことを踏まえ、パクの罪は軽くなると考えてもいいように思う。もしも公正な裁判が行われていたらどうなっただろうか?
裁判の話で言えば、「検察官の追及は上手いなぁ」と感じた場面があった。弁護側の証人として、事件当日首謀者らを乗せた車を運転していた運転手が出廷した。そして車内の会話について細かく証言したのだが、その後検察が、「事件前日の車内での会話で何か印象に残ったことを教えてほしい」と質問する。そしてこれに対して運転手は、「運転に集中していたので覚えていない」と答えたのだ。
つまり、「事件当日の会話は覚えているのに、その前日の会話は覚えていない」というわけだ。恐らくこの証言は、事件から数週間経って行われたもののはずなので、そう考えると、「事件当日」と「事件前日」でそこまで記憶に差があるのも不自然だろう。
みたいな点を衝いて、「運転手は首謀者らと家族のような関係であり、恣意的な証言を行っている可能性がある」と指摘するのである。なるほどなぁ、という感じだった。観ながら僕も、「確かにこれは、説得力削られるなぁ」と感じてしまった。
また、これは恐らく実際にあったことなんじゃないかと思うが、弁護団から弁護士が少しずつ離脱していくのもリアルだった。飲みの席で「この中に脅迫されていない奴はいるか?」みたいな話が出たりしたので、「大統領を殺した連中を弁護してる」という理由で批判されているのだろう。
しかし恐らく、批判されているのが自分だけだったら耐えられただろう。ただ、家族にまで及んでしまうと難しい。ある弁護士は、「娘が学校に行きたいって泣いてる」と言って去っていった。小学1年生らしいが、学校で虐められているようなのだ。酷い話である。
しかし、韓国ではこういう「過去の恥」をエンタメとして昇華する作品が結構あり、これはとても健全だなという感じがする。韓国の軍事クーデターやホロコーストを扱った作品を観る度に感じることだが、こういう「過去の愚かさ」を引っ張り出してきて改めて認識させるみたいなことは必要だよなと思う。そして、何となく日本にはそういう方向性が薄い感じがして、そういうところが少し残念だなと感じる。
何にせよ、「フィクションだ」と銘打っているだけあって、重苦しいだけではない面白さもあるエンタメ作品に仕上がっているなと思う。ただやはり、『ソウルの春』の方が圧倒的に面白いけど。まあ、裁判ってのは題材的にどうしても地味になるから比較するのは申し訳ない感じもするけど。でも、なかなか面白く観られる映画だった。
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