【映画】「コンセント/同意」感想・レビュー・解説
本作は実話を基にした物語だ。そのことは、冒頭で記される。それはこんな文章だった。
『本作は、ヴァネッサ・スプリンゴラの著書『同意』を基に、若干のフィクションを混じえて映画化された。
著者の想いを届けたい。それだけを願って制作された。』
そんな作品で描かれるのは、50歳の小説家と14歳の少女の”恋愛”である。原作のタイトルが「同意」となっているように、14歳の少女だったヴァネッサもまた、50歳の国民的小説家ガブリエル・マツネフを”愛していた”のだ。
最初は。
さて、そんな話は「キモっ!」の一言で両断すればいいと感じるかもしれない。まあ、それはその通りなのだが、しかし、決してそれだけで片付けられない作品である。
50歳の男と14歳の少女の恋愛と聞いて、どんなイメージを持つだろうか? もう少し具体的に言えば「どんなデートをしていると思うだろうか?」ということだ。ごく一般的に考えれば、「人目につかないようにこそこそと会う」という感じになるだろう。普通に考えて、そんな”恋愛”は許容されるはずがないからだ。
しかし本作では、2人は大っぴらに会い、ガブリエルの仕事仲間(編集者や評論家だろう)にも彼女を会わせている。実に大っぴらな関係なのである。ガブリエル・マツネフというのは熱狂的なファンを持つ作家で、本人曰く「ミッテラン大統領も私のファンだ」という。そして「そんな偉大な作家だから誰も指摘できなかった」みたいなことなのかもしれないのだが、しかしそれだけではない要素がある。
それが明らかになるのは、テレビ番組にガブリエルが出演している様子を、ヴァネッサとその母親がテレビで観ている場面のことだ。出演者の一人がこんな風に口にするのだ。
『この国は「文学」と名前が付けば、どんな悪徳でも許容される』
そう、本作で描かれる最大の問題点は、恐らくこれなのだ。もちろん「ガブリエルが生粋の小児性愛者である」という点も問題だ。しかし、それは個人に属する問題であり、他人がどうこう出来る領域にはない。もちろん、ガブリエルが「犯罪」を起こせば警察が動くことになるが(作中にも、若干そんな動きが描かれている)、本作のタイトルにもあるように、2人の関係は「同意」の下に始まっている(もちろん、この「同意」が問題なのだが、それは後で触れよう)。少なくとも外形的には「犯罪の要件」は満たされないだろうし、となれば、「ガブリエルが小児性愛者である」という事実には対処しようがない。
しかし、「『文学』ならすべてが許される」というのは違う。これは「システム」の問題であり、つまり社会の問題だ。「ガブリエルが小児性愛者である」という事実には何も出来ないが、「そんな男をのさばらせないようにする」ということぐらいは出来るはずだ。そしてそれが、「文学だから」という”だけ”の理由であっさりとスルーされてしまっているという現状にこそ問題があるのだ。
本作の公式HPには、「本国で異例の大ヒット。国家を動かした衝撃の告発。」と書かれている。それ以上具体的なことは記されていないので分からないが、2020年に発売された、本作の基になった告発本によって、法律が変わるなり、社会の雰囲気が変わるなりしたということだろう。そりゃあそうだ。こんな世の中が許容されていいはずがない。公式HPには、「特に若者たちの反応は凄まじく」とも書かれており、「そんな社会は許さない」という意見が、この作品によってより強く可視化されるようになったということかもしれない。
さてそれでは、本作のタイトルにもなっている「同意」について考えてみよう。とその前に、「そもそもなぜヴァネッサは、36歳も年上の男性に惹かれたのか?」という説明をしておきたいと思う。
ヴァネッサは、編集者である母親も驚くぐらいの読書家なのだ。本作では、ヴァネッサ14歳の誕生日パーティーの場面が描かれるが、その中で、文芸評論家として恐らく著名なのだろうJ=D・ヴォルフロムという人物がヴァネッサに「将来作家になる君へ」というメッセージを贈っているのだ。ヴァネッサ自身も作家になりたいという意思を持っており、当然、普通の中学生よりは「言葉」に対する感度は高いだろう。
だからこそヴァネッサは、「著名な作家」であり「熱烈なラブレター」を送ってくれるガブリエルを好きになっていくのである。
さて、確かに「最初の一歩を自らの意思で踏み出した」という意味で、「ヴァネッサは36歳年上の男性との関係に『同意』していた」と考えることは可能である。しかし、初めてガブリエルと待ち合わせ、彼の家に行った日、ヴァネッサは「帰った方がいいかも」と口にしている。それに対してガブリエルは「君が嫌がることはしないから」と言う。僕は、まずこの言葉が絶妙に上手いと感じた。
その後ガブリエルは、ヴァネッサにキスをしたり、服を脱がせたりする。もちろん、ヴァネッサとしては嫌だった(あるいは想定していなかった)だろう。ただ、「自分の意思でガブリエルに会いにきたこと」、そして「大作家と関わりを持てる機会を失う怖さ」みたいなものもあって、仕方なく受け入れたのだと思う。しかしここで、ガブリエルの「君が嫌がることはしないから」という言葉が効いてくる。つまり2人の間で、「拒否しなかったんだから、嫌じゃないんだよね」という「同意」が成立したような格好になったのだ。
さらにしばらくすると、こんなことも言ってくる。彼らは普段から手紙のやり取りをしているのだが、ある日ヴァネッサがSEXを拒むと、ガブリエルはかつてヴァネッサが送ってきた手紙を読み上げて、「ここにこう書いてあるが、これは嘘なのか? お前は嘘つきだ」みたいな責め方をするのである。つまりガブリエルは、「拒否しなかったんだから、嫌じゃないんだよね」という「同意」を、いつの間にか、「拒否したら、私のことが嫌いってことだよな」という「同意」へと巧みにスライドさせていくのである。
こんな風にガブリエルは、常に「ヴァネッサ主体で物事が進んでいる」という風に状況を提示していく。別の場面でも、「君のために◯◯をした」「君のせいで△△になった」という言い方をする。小説家だから言葉も巧みで、とにかく常に、何が起ころうとも、「今この現状は、お前が引き起こしていることなんだぞ」という提示の仕方をするのである。
これは「同意」ではなく、「同意させられた」と解釈すべきだろう。「同意させられた」だけなのに、ガブリエルの巧みな話術によって「自らの意思で同意した」と思い込まされているだけだ。
最近、「性的同意」に関する議論が日本でも少しは進み始めた気がするが、そこには大きな断絶がある。男はどうしても、「NOじゃないならYES」と考えがちだと思う。昔からよくある話は、「男の家に行ったら、SEXをOKしていることになる」みたいなことだろう。僕には正直、その理屈はよく分からないのだが、年齢が上がれば上がるほどこのような判断が「普通」とされているように思う。
しかし「同意」というのは、「YESと言ったらYES」「NOと言ったらNO」が鉄則である。「嫌よ嫌よも好きのうち」とか「手を出してみて拒否されなければOK」みたいなことは、少なくとも「同意があった」とはみなせないと思う。
本作で描かれているのも、まさにそのような「同意」だ。確かにヴァネッサは、母親に対してもガブリエルへの愛を語るなど、「進んでガブリエルとの恋路に進んだ」ように見える。確かに、一歩目はそうだったかもしれない。しかしそれ以降は「同意させられた」と判断するのが妥当だと僕は思う。
このような状況は、特にネット社会ではあっさりと起こり得る。いくらでも年齢を偽れるオンラインの世界では、本作で描かれているようなラブレターのやり取りが当たり前のように行われている可能性があるだろう。時々、女の子が全然面識のない遠方の男性に殺されてしまうみたいなニュースが報じられるが、本作で描かれているのとそう遠くない世界が存在しているということなのだと思う。
さて、ガブリエルはさらに巧みに物事を進めようとする。これは詐欺の手口でよく聞く話だが、「孤立を促す」というやり方が上手い。手紙の中でガブリエルは、「子どもの世界から離れることは辛いかもしれないが、勇気を出してほしい」みたいなことを書いている。要するに、「学校の友達なんかと遊んでないで、自分と会う時間を多くしろ」ということだろう。
あるいは、ガブリエルと交際している件で母親と喧嘩になった話をした際には、「君は私じゃなくて母親をとるのか?」と聞いたりもする。こんな風に、ヴァネッサが周囲に向ける関心を少しずつ剥ぎ取り、ガブリエルだけに向けさせ、世界がそこにしか存在しないかのように錯覚させるのだ。孤立すればするほど相談する相手もいなくなり、唯一の存在であるガブリエルの意思から逃れにくくなる。そんな風にして一層、「自らの意思で同意した」と思わせるような環境を作り出していくのである。
このようなやり方は概ね「グルーミング」と呼ばれているのだろうし、それに関しての言及は世の中にたくさんあると思うのでこれ以上書かないが、1つ明確に書いておきたいことは、「本作を観て『ガブリエルの何が悪いのか分からない』みたいに感じた人がいたらヤバいと自覚してほしい」ということだ。たぶん世の中にはいると思うのだ。「ヴァネッサは自らガブリエルとの恋愛を選択したのだし、その状況に対してガブリエルの一体何が悪いのか?」みたいに感じる人が。そういう人が、「最近の若い人には何をしても『セクハラ』って言われちゃうから困る」みたいな解像度の低い発言をしたりするのだと思う。マジで反省してほしい。
さて、本作を観て僕が最も理解できなかったのは、ヴァネッサの母親である。いや、最初は普通だった。14歳の娘が36歳も年上の男性と交際していると知った親として当然の振る舞いをしていた。しかししばらくすると、母親は2人の交際を受け入れたようだ。本作にはあまり母親は登場しないのだが、なんなら2人の交際を応援しているような雰囲気を感じさせる場面もあった。
確かに、フランスという国は個人の人権がかなり強く尊重される国だろうから、「娘の判断を尊重することにした」ということなのかもしれない。しかし当初母親は、ヴァネッサが「私の勝手でしょ」的な主旨の発言をしても、「親の私には責任がある」みたいな反論をしていた。だから「娘の判断を尊重することにした」のだとしたら、どのタイミングで切り替わったのかがよく分からない。
また本作では、「ガブリエルが警察から捜査される」という場面が映し出されるのだが、その事実を知った母親がヴァネッサに、「親権を取り上げられるかもしれない」と口にしていた。欧米の映画を観ていてよく感じることだが、公権力が親権を結構容易に奪える仕組みになっているようだ。日本とは大違いである。そして、「ロリコンとの交際を止めなかった母親」という点が問題視され、ヴァネッサの親権を失うかもしれないと考えていたのである。そんな結構深刻な状況を経験したにも拘らず、その後母親は2人の交際を認めている感じがした。これもまた不思議な話である。
もちろん、「母親の職業が編集者」ということも関係しているのかもしれない。ヴァネッサとガブリエルが出会ったのは、母親が編集者として出席していたあるパーティーであり、つまり母親は仕事でガブリエルと関わりがあるということなのだと思う。そしてガブリエルは人気作家であり、編集者としては機嫌を損ねるわけにはいかない。そういう事情もあって事を荒立てないことにしたのかもしれない。しかし仮にそうだとしても、一人娘がロリコンの餌食になっている状況を許容するだろうか?
というわけで、その辺りが僕にはちょっとなんとも受け取りづらい作品だった。
さて、色々書いたが、僕は個人的に、「本当にお互いが求めているのであれば、50歳と14歳が恋愛していてもいい」と思っている。他人がとやかく言うことではない。しかし「本当にお互いが求めている」という状態の判断はとても難しい。その難しさを本作は示していると言っていいだろう。「そこに『同意』が存在する」という判断は容易ではないのだ。というか、本作のように告発本が発売されたりすると、「かつてそこには『同意』が存在しなかった」と確定するという話であり、「そこに『同意』が存在する」という状態を示すことは不可能なのかもしれないとも思う。
そしてだとすれば、「50歳と14歳の間に恋愛が成り立つはずがない」という判断に押し切られてしまっても仕方ないだろう。
しかし、ガブリエルはシンプルにクズであることは間違いないが、「小児性愛者は一体どんな風に生きていくべきなのか?」については別途議論があってもいいように思う。これって別の話に喩えると、「毒キノコしか美味しいと感じない」みたいなものだと思う。毒キノコ以外のものを食べても全然美味しさを感じない。しかし、唯一美味しいと感じる毒キノコを食べると体調不良になるか最悪死に至ってしまう。そんな状況で生きなければならないのは大変だろうなぁ、と思う。ガブリエルを擁護するつもりは一切ないが、「小児性愛者の辛さ」についてはもう少し同情なり支援なりがあってもいいように思う。
まあ、ガブリエルはクズなのだが。
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