【映画】「アルマジロ」感想・レビュー・解説
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この映画を観て感じたことは、同じ映像は自衛隊では撮れないだろう、ということだ。
戦闘シーンのことを指しているのではない。
お行儀の悪さだ。
この映画は、デンマークの兵士が国際平和活動(PSO)として、アフガニスタンのヘルマンド州にある最前線基地「アルマジロ」に半年間駐屯する様を映し出したものだ。多分に違う部分は多いだろうが、PSOというのは日本のPKOみたいなものだろう(日本の自衛隊は、戦闘行為はしないんだろうけど)。そういう意味で、この映画を自衛隊を比較して捉えてしまったのだけど、自衛隊ではまず撮影の許可は下りないだろう。
冒頭からなかなか凄いシーンから始まる。彼ら兵士は、国際治安支援部隊(ISAF)に所属しているが、出発前からカメラが密着する。仲間内で壮行会が開かれたのだけど、そこにデリヘル嬢みたいな人がいて、裸で踊ったり抱き合ったりしている場面が冒頭にある。もちろんデンマーク軍の手配じゃなくて、彼らが個人的に頼んだものだろうけど、凄いな、と感じた。
日本の自衛隊だったら、圧倒的な「品行方正」が求められるだろう。自衛隊のメンバーが、彼らと同じようにアフガニスタンに派遣されるとして、同じようにデリヘル嬢を呼んで壮行会を個人的に開いていたとしよう。しかし、そこにカメラは入れられないはずだ。自衛隊員がそんなことをしていたら、まず間違いなく国民からバッシングされるだろう(僕は別に自由にすればいいと思うけど)。
同じことは、アフガニスタンに着いてからも感じた。彼らは、余暇の時間にネットでポルノを観て、また戦場で戦闘ゲームに興じる。パトロールはつまらないと愚痴を言い、「早くジェットコースターに乗りたい」「最初の戦闘は凄くド派手に感じるんだろうな」と、戦闘に対する「期待」を口にする。
自衛隊員が同じような振る舞いをしていたら、国民からボロクソに叩かれることだろう。
さらに凄いなと思ったのは、映画の後半だ。彼らは、タリバン兵とのギリギリの戦闘を行った。一瞬の判断ミスで死者が出てもおかしくないような、突発的で危険度の高い戦闘だった。その戦闘について、反省会が開かれ(反省会は日々行われている)、彼らは、自分たちがどう動き、敵とどんな戦闘をしたのか確認し合う。同士撃ちなどの致命的なミスを起こさないために必要だ。
さてその後、問題が発生する。その戦闘に参加していた兵士の一人が、母親に電話で、ちょっと盛った話を吹聴したらしいのだ。その母親は軍の司令官だかに直接連絡を取り、文句を言った。そのせいで憲兵隊が動き、調査が始まっているという。
その後、カメラの前で、「憲兵隊の調査が始まっているが、軍内部で収まるように今火消しをしている」なんてことを平然と話している。
いいのか、そんな話しちゃって。
しかし、この映画を観ていて感じるのは、こういう世の中の方がいいよな、ということだ。
話は突然変わるが、アメリカでは、機密文書は一定期間過ぎたら公開されるという。一切の黒塗りなしですべての情報が出てくるのかはちゃんと知らないけど、しかしそもそも、機密文書として保管されているものが表に出てくる、ということ自体に驚いた記憶がある。日本では、一旦機密文書に指定されたら、どうやっても表に出ないように画策するだろう。
すべての他国がそうだとは思わないが、より洗練された国というのは、間違いやミスなどを含めた「マズイ部分」を隠さない印象がある。少なくとも、日本ほどには隠さないだろう。最近呼んだ、「理不尽な国ニッポン」という本に、「日本は善悪の判断を社会が決める」と書かれていて、その通りだと感じた。日本では、ある状況が正しいか間違っているかは、社会の空気がなんとなく決める。同じ状況でも、社会から許される場合もあれば、そうでない場合もある。だから国民は、「こんなことをしたらバッシングされるかもしれない」と思い、悪いことをしないか、悪いことをしたら徹底的に隠す。
日本以外の国は、善悪を社会が決めることはない。だからこそこんな風に、悪く見えてしまう部分も隠さずに表に出すことが出来るのだと思う。
そして、そういう社会の方が健全だな、と感じる。
先述した「理不尽な国ニッポン」には、「日本は全体的にはフランスより上手くやっているように見える」と書いている。著者がフランス人なので、フランスとの比較で日本について論じているのだ。確かに、個人の権利や正しさの主張が強すぎることが、社会全体にマイナスを与えることもあると思う。日本の、暗黙の了解で何かを抑制させていくような圧力が機能する方が、大枠で見れば上手くいくということもあるかもしれない。それでもやはり、「本当の姿」が覆い隠されるよりは、実際が見える方がいいと思う。
僕は、どんな理由であれ、戦争には反対だ。この映画では、「タリバン兵から住民を守る」という名目で派遣されているので、正確に認識しようとすれば「戦争」ではないのかもしれないが、銃器で人を殺さなければいけないのだから、戦争と変わりはあに。
さて、戦争には反対だが、しかし「戦争をやる」と決まってしまったのであれば、兵士がその能力を十全に発揮できるように環境を整えてほしいと思う。彼らは、命が奪われるかもしれない、という環境にいなければいけないのだから。
だから、ポルノを観ようが戦場で戦闘ゲームをしようが、「戦闘が楽しみだ」と発言しようが、自由にしてくれればいいと思う。何故か日本人は、そこに「品行方正さ」を求めてしまう。「品行方正さ」が求められることで、彼らが十全に能力を発揮できず、命を落としてしまったら本末転倒だ。
自衛隊が海外に派遣される際、その現場でどんな振る舞いをしているのか知らない。知らないが、しかし、「品行方正さ」なんてことは考えずに自由にやってくれていたらいいな、と思う。そういう意味で、日本の自衛隊にカメラは密着しないでほしい。カメラが入れば、必然的に「品行方正さ」が過剰に求められてしまうだろうからだ。
兵士たちは、家族の反対を押し切ってまで自ら志願する。兵士の一人は、「志願してまで、狭いベッドに寝て、マズい飯を食う」と自嘲していた。彼らが求めているのは、(全員ではないかもしれないが)「仲間と刺激」だという。この映画は、2009年に撮影されたが、2011年、この映画でメインで映し出されていた者の多くは、再びアフガニスタンに戻っているらしい。以前観た別の戦争ドキュメンタリーでも、やはり戦場に戻りたいと言う兵士が多かった。言い方は悪いかもしれないが、彼らはある意味で普通の社会には適応できなくて、戦場でこそ自由に息が吸えるのだろう。戦争には反対だが、やると決まってしまった戦争に対しては、戦場にしか適応できない人間の居場所があるという意味では悪くないんだろう、と思うようにしている。
映画では、戦場に住む住民たちもちらほら描かれる。兵士たちは彼らに協力を求める。タリバン兵と地元住民を見た目で区別することは不可能だ。だから住民たちの協力は不可欠だ。しかし、住民は簡単に首を縦には触れない。兵士たちに協力すれば、自分たちが狙われるからだ。「あんた方とタリバンは撃つだけ。殺されるのはわしらだ」という住民の声は切実だ。爆撃などによって、牛や家族が殺されたり怪我をしたと訴える者もいる。兵士は、埋め合わせはすると言って金を渡す他ない。住民のために行われているという建前だが、住民は兵士たちに出ていってほしいと感じている。この辺りのジレンマも、難しい問題だ。
地雷による負傷、家族との電話、休日だろう日に行われる川へのダイブなど、戦場における様々な場面を切り取っていく。タリバン兵の死体の映像も、顔にモザイクは掛けられているが映る。安全を確保しながらどうやって撮っているのか分からないが、唐突に戦闘が始まりカメラがブレブレになる場面もある。戦場の日常と非日常がどちらも描かれるドキュメンタリーだ。
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