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【本】桂川潤「装丁、あれこれ」感想・レビュー・解説

本を読む際には、出来るだけ先入観を持たないように、と意識しているつもりではある。とはいえ、常に100%となると、なかなか難しい。

仕事柄、自分で読もうと決めて買ったわけではない本を読む機会もある。それは、自分の読書の幅を広げるという意味で非常に助かっているのだけど、やはり自分では選んでいなかった本であることもあって、そういう本で自分的に当たりを引くという経験は決して多くはない(とはいえ僕は、当たりの本だけ読んでいればいい、と考える人間でもないので、当たりでなくてもそれもまた良し、と思うのだけど)。

さて、本書も、自分で読もうと思って買った本ではない。だから、やはりある程度は、(どうなんだろうなぁ)という先入観はあった。

でも、読み進めていく内に、あぁこれは面白い本だなぁ、とジワジワ感じられてきた。自分の仕事と関係する部分もある、という近さがそう思わせるという部分ももちろんあるのだろうけど、仕事でも考え方でも自身の立ち位置を決して固着させることなく、常に“遊び”(余裕という意味と、遊んでいるという意味を込めているつもり)をもたせながら思考し、作品を生み出し、そうした中で少しずつ塊になっていった想いや考えを丁寧に言語化している、という印象の作品で、予想していた以上に良い作品だった。

一応先にこれだけは書いておこう。本書は、確かに「装丁」というものに軸足を置いている作品なのだけど、両足を「装丁」の上に載せているのではない。片足は常に「装丁」の上にありながら、もう一方の足を縦横無尽に様々な領域へと伸ばしていく。電子書籍や出版社・書店の話に飛んでいくのは分かるが、社会批評や、ある種の芸術論的な部分にまで話が展開していくので、「装丁」というものに殊更興味のない人(実は僕もそうだ)にも楽しんで読める作品である。


自分の仕事と関係する、と書いたのは、単純に僕が書店員だから、というだけではない。ここでは具体的には書かないが、僕が本を売る際に行ってきた企画やアイデアなどは、広く括れば「装丁」という枠組みに入れてもらえるのではないか、と感じたからそう書いたのだ。

『装丁という仕事の本質は、結局のところ「予感」に尽きるのだ』

本書の中で著者は繰り返し、「装丁」の役割を書く。要約すれば「予感」を与える、ということになるのだが、本に触れる者はまずテキストに出会うのではなく装丁と出会う。だから装丁が作品の中身を予感させるような佇まいをしていなければならないのだ、と繰り返し語る。

そして、僕の本の売り方も、似たような部分がある。本には様々な面があり、様々な切り取られ方がある。それは読む者個人個人がそれぞれで切り取っていけばいいのだが、最近は特に、こちらがあらかじめ切れ込みを入れてあげないといけない、と感じるようになってきた。書店に送られ、店頭に並べられる本は、著者・編集者・装丁家など様々な人の手を経て、作品として完璧なものに仕上げられる。一昔前であれば、その状態から本の「予感」を感じ取ることが出来る人がたくさんいた。しかし今の時代は、完璧に仕上げられたものに切れ込みを入れて、中の匂いを少し出してあげないと、その「予感」を感じ取ることが出来ない人が増えている印象がある。

だから、僕がしていることは、その本が持つ「予感」を増幅させることだ。そう捉えると、僕がしていることは、広義の「装丁」という枠組みに入る可能性がある。

しかし難しいのが、切れ込みを入れ「予感」を増幅させる過程で、僕は本来の「装丁」を否定する手法を取ることが多い。「どのように届くのか」を一番に考えて装丁がなされているとして、僕がしていることは、「どのように」を削ってでもとにかく「届ける」ことを最優先にする、というものだ。もしかしたらそれは、「装丁」が目指すものの対極にあるのかもしれない、とも思う自分もいて、自分の売り方に迷うことはないものの、「どのように」を削ぎ落としてしまうことで本来の価値を減じた形で本を届けることになってはいないか、と考えてしまう瞬間はある。

とはいえ、やはり本は、売れなければどうにもならない。

『売れた本は、企画、内容、装丁・造本がぴたりと一致したものばかり』

これは僕も同じ感覚を持っている。本を売り出す際のアイデアが、本そのものやその周辺の状況とピタッとハマった時、あぁこれは売れるな、という感覚を持てることがある(常にではない)。本書を読むと、作品にピタッと合う装丁を仕上げることの難しさをひしひしと感じることが出来る。

僕は、絵やデザインと言ったものにまったく造詣がない。そもそも僕は、恐らくこれは脳の機能障害だと自分では思っているのだけど、映像的な記憶がまったく出来ない。例えば、目の前にリンゴを置くとする。それをじっと見つめて、その後目を瞑って、頭の中にリンゴを思い浮かべてください、と言われても、僕には出来ない。頭の中に映像やイメージを浮かべる、という感覚が、何を言っているのか全然分からないので、視覚的な記憶は脳に全然残らないし、そういう意味で、装丁というものへの関心も低い。

書店員として長く働いていて、「装丁」という観点から印象深く思い出せる本は二冊しかない。一つは、東野圭吾の「白夜行」。東野圭吾という作家がまださほど有名ではなく、僕自身もその名前を聞いたことがなかった頃に、表紙のインパクトだけで手に取り読んだ本だ。もう一冊は、森博嗣の「スカイ・クロラ」シリーズの単行本。本の本体に絵や文字を印刷し、その上から透明なカバーを掛ける、という装丁が斬新で、今でも憶えている。


そんな、絵心もデザイン力もない僕だが、仕事柄デザイン的なことを考えることもある。実際に僕がデザインをするわけではないのだが、そのアイデアを考える、ということは時々ある。

昔は自分にそんなことが出来るとは思っていなかったのだが、ある本の記述を読んで、デザインへの印象が変わった。

僕は乃木坂46が好きで、「別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46 Vol.1」というムックも買って読んだ。その中に、乃木坂46のCDなどのアートワークを分析するというようなコーナーがあって、その中にこんな文章があった。

『デザインにおいて、「ただなんとなく」は絶対に成立しません。少なくともデザインした人はあらゆることを考えているし、クライアントに理由をプレゼンしているはずですから』

要するに、商業デザインであればクライアントが必ずいて、プレゼンをしなければならないから、デザインの意図などを言葉で説明しているはずだ。つまり、デザインとは言葉で捉えられるものなのだ、という内容だった。

この記述を読んだ時、あぁそれなら僕にも出来る!と思えた。もちろん、すべての商業デザインが言語化出来るのかは僕には分からないのだけど、デザインは言葉で捉えうるのだ、という発想が僕の中には今までなかったから、この文章は僕に結構大きな影響を与えたと思う。その後僕は、問題をデザインで解決する、というような手法で色んな本の装いを変えてきたのだけど、その発想の大元には、デザインは言葉で捉えうる、という今まで知らなかった考え方がある。

本書を読んでいても、「装丁」における「ことば」の重要性が書かれている。

『しかし、杉浦さん(※建築家出身の装丁家・杉浦康平)と菊池さん(※広告界出身の装丁家・菊地信義)の対照もまた際立つ。杉浦イズムの核心を「批判=criticism」とするなら、菊池さんの方法論は「批評=review」だと考える』

『「“本は人の心をつくる道具”という気持ちで、本づくりに関わってきた」という菊池さんは、「本は物である」から、さらに進んで「ことばは物である」と述べる。「芸術性の高いことばは、物体のように表があって裏がある。表とは、世間に流通している額面どおりのことばであり、裏とは、なぜこのことばがここで使われているかという一人ひとりが考えることば。この裏のことばに“気づく”こと、自明の了解をひっくり返すこと、無意識のなかで迷子になることが、すなわち「読む」という行為であり、そこに批評性や批判性が生まれる」と、菊池デザインの核心へと迫る』

装丁というのは、綺麗な表紙を付ける、というような単純なものではなく、ことばによる「批判」や「批評」の上に成り立っている、という。完成された装丁から、その批判性・批評性を読み取れるかどうかは人それぞれだろうが、ビジュアルの背景にことばが存在している、ということが大事なのだ。

ここで語られているのは、著者自身の装丁観そのものではないのだろうが、著者のいう「予感」を孕ませるための装丁というのもまた、ことばは不可欠だろう。予感を感じる側は、それを言語化出来る必要はないが、予感を与える側は、やはりある程度その予感の正体をことばで捉えておかなければならないと思うからだ。

また、『書店の風景を一変させてしまった』というほどの影響力を持つ鈴木成一デザイン室(僕の記憶では、前述の「スカイ・クロラ」シリーズの装丁は、鈴木成一デザイン室のものだったはず)の鈴木成一は、『装丁とはテキストをビジュアル化し、物質化することである』と語っている。ここでもやはり、装丁の出発点は「テキスト」ということばだ。

ことばがどんな役割を担うのかという点は、何のデザインであるのかやデザイナーの個性に拠るのだろうが、デザインの背景にことばがある、ということは、やはり本書を通じて感じることができた。

「装丁」とは少し違うのだが、本書を読んで思い出した映画がある。「すばらしき映画音楽たち」という映画だ。これは、「スター・ウォーズ」「スーパーマン」「インディー・ジョーンズ」「ET」「ジュラシック・パーク」「パイレーツ・オブ・カリビアン」「JAWS」など、誰もが一度は聞いたことがある映画音楽がどのように生まれたのかを、様々な作曲家たちに話を聞きながら、映画における音楽というものの存在感を浮き彫りにする映画だった。

著者の言う「予感」という言葉を借りれば、本の「予感」を滲ませるのが「装丁」であり、映画の「予感」を滲ませるのが「音楽」と言えるだろう。装丁も映画音楽も、それを必要とする対象は既に存在していて、その作品世界をより良く見せるために機能するものとして存在する。そういう意味で両者は非常に近い存在だと感じる。

その映画の中で一番印象的だった言葉が、

『映画音楽のルールは一つだけだ。“ルールはない”』

である。これはまさに、本の装丁でも同じことが言えるのではないかと思う。

本書にも、様々な挑戦的な装丁の例が紹介されている。極限までコストカットさせられたが故に生まれた装丁や、世界初の手法を使った装丁など、決まったルールなど感じられないように思う。映画音楽家たちが様々な世界から業界にやってきたように、装丁家も、建築や広告など異業種からの参入も盛んだ。それは、本という長きに渡って存在してきた安定力抜群のメディアであるが故に、既存のルールや常識を打ち破ろうとはっちゃけても本という存在自体が揺るがない、という強さ故という可能性もあるかもしれない。

とはいえ、そんな物質としての本は、電子書籍の登場によって揺らぎを見せている。2012年に書かれた文章では、電子書籍の話題が非常に多いが、これは時代を反映したものだ。Amazonなどによる参入で電子書籍の流れが加速するという予測がなされていた時期であり、電子化が進めば進むほど装丁家としての仕事も細くなっていくだろうという危惧もあり、著者は電子書籍方面の話題を多く書いている。電子書籍業界についても逐次情報を仕入れていたり、自身でも電子化を手がけてみたりと、様々な形で電子化の流れの中に身を置いている。

著者は決して電子書籍を頭ごなしに否定しているわけではない。得意・不得意を見極め、電子化するメリットも十分に理解した上で、デバイスによって文字の大きさや組方向を変えられる方式の採用に不満を抱いたり、『だが、そんな現状を認めつつも、筆者はやはり“装丁”はモノから切り離せない、と考えている』など、本という存在そのものの有り様から出発して、装丁というものの役割を捉え直そうとする。自分の仕事が危ぶまれるから電子化には反対だ!というような立場であれば受け入れがたかっただろうが、現状をきちんと認識し、受け入れ、その上で理想と最善の間のどこで着地させるべきかという思考を常にしているような印象があって、そのスタンスが非常に好ましい。

電子書籍について僕自身のスタンスを少し書いてみようと思う。僕は賛成でも反対でもないのだが、「ツールの変化は、思考や行動に大きな影響を与える」という観点から電子書籍を捉えている。

それを僕は、「文字を書く」ということを通じて実感している。僕は普段、パソコンのキーボードで文字入力をしている。そして、僕にとって、「キーボードで文字入力するスピード」と「頭の中で思考するスピード」がかなり心地よい関係にあり、それ故にキーボードで文字入力することは、僕の思考そのものに影響を与えている、と考えている。

これが手書きになると、思考のスピードに対して文字入力が遅すぎてイライラするだろう。また、今以上に早く文字入力出来るツールが存在しても、思考のスピード以上の早さで文字入力出来るはずもないので意味がない。そういう意味で、僕にとっては、文字入力をするツールであるキーボードは、思考を司る脳の働きを拡張するような道具だと言えるのだ。

同じようなことは、文字を読むということについても起こりうるだろうと思う。紙の本とデバイスとでは、どんな影響差が出るのか、それは今の時点では想像出来ないのだけど、何らかの違いは出るだろう。それが良い影響なのか、悪い影響なのかも、今の僕にはまだ想像出来ないことだけど、もしもそれが悪い影響であったとして、それがデバイスの変化によるものだと判明するのには時間が掛かるだろうから、その間に紙の本がかなり衰退してしまっていれば、取り返しはつかなくなるな、という感覚を持っている。

僕自身は、本は紙で読みたいので、デバイスで読むことはないだろうが、デジタルネイティブと呼ばれる世代にとってはむしろ、デバイスで物語や情報に触れることの方が自然になるだろう。その大きな流れは変えようがないが、電子化によって失われるものが一体なんなのか(得られるものは分かりやすいからあまり気にしていない)、それを注視しておかないと怖いなぁと考えている。

そんなわけで、正直本書の内容にはほとんど触れていないような気もするのだけど、僕にとっては、読んだことで思考が様々に展開され、文章にしたいと思うことがたくさん浮かぶ本が良い本だという感覚があるので、そういう意味で本書はとても良い本だった。装丁というものを中心として、本周辺のことについて(あるいは社会や仕事について)、様々な情報や自身の体験、様々な人の考え方などを織り込みながら、今ある危機や未来への希望や可能性を浮かび上がらせる良書です。


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