【映画】「原爆資料館 語り継ぐものたち」感想・レビュー・解説

本日2本目の鑑賞。というか、実際にはこっちを先に観たのだけど。

これはなかなか興味深い映画だった。ちなみに僕は原爆資料館には行ったことがない。きっといずれ行く機会はあるだろう。行くつもりではいる。

しかしホント、考えたことなかったなと思う。「原爆資料館は何故出来たのか?」なんて。いや、「考えたことなかった」はちょっと違うか。たぶん僕はなんとなく、「どこかのタイミングで行政が『作ろう』ってなって出来たんだろう」ぐらいに考えていたんだろうなと言う気がする。

でもそうじゃなかった。いや、確かにそうだよなぁ。

で、ここで少し違う話をしよう。以前 『消えたもう一つの「原爆ドーム」』というノンフィクションを読んだことがある。これは、「長崎に何故原爆ドームが存在しないか」を調べたものだ。長崎にも、広島と同じく、被爆の象徴になり得る建物があった。それが浦上天主堂である。

しかし、その建物は戦後取り壊されてしまった。そして本書ではその理由を「アメリカから圧力があったから」と示唆している。キリスト教の教会を爆撃してしまったという事実を後世に残さないために取り壊させたのではないか、というわけだ。

というわけで、長崎には原爆ドームがないわけだが、同じように原爆資料館もない。いや、調べたらあるようだが、やはり「原爆資料館といえば広島」だろう。長崎の印象は薄い。そして、そんな広島に原爆資料館が出来たのは、長岡省吾という地質学者の存在が大きい。

彼は原爆投下時は、出張先の山口県にいた。そして、2日後に広島入りしたそうだ。

そこで彼は奇妙な痛みに気づく(石で出来た何かに座っていたみたいな話だった)。そしてその原因が、「花崗岩の表面が溶けているからだ」と理解した彼は、その時点で既に「今までのものとは全然違う爆弾によるものだ」と直感したのだそうだ。

それから彼は様々な石の表面に出来た影から爆心地を推定する。そして、その研究結果を英語も併記しつつ自費出版出本にしたというからなかなか凄まじいなと思う。

そしてさらに彼は、爆心地の近くに通い詰め、そこで様々な被爆資料を収集するようになっていく。大八車に積んでは家に持ち帰り廊下に置いていたので、妻には常に怒られていたと娘が語っていたが、彼は「これは被害を後世に伝える大事な資料なんだ」と力説し、協力者の力も借りつつ、被爆資料を集めまくったようだ。

そしてその後、公民館の一角を借りてその資料を展示し始めた。で、このような長岡省吾の行動が行政を動かし、ついに当時の市長が原爆資料館の建設を決定したというわけだ。

まさに、長岡省吾がいなければ原爆資料館は存在し得なかったと言っていいだろう。ちなみに長岡省吾は、その後初代館長を務めた。長岡省吾の6女は、敗血症(恐らく資料集めのために被爆したことが影響したのだろう)で亡くなった父について、「本当に命がけでした。一人の人間が命がけてやれることなどたがか知れているが、父はそれがこれからの基礎になればいいと思っていたと思う。欲も徳もない人だった」と語っていた。

さて、長岡省吾は研究者だったため、最初は石などを収集していたのだが、どこかのタイミングで「人の遺品」を集めるという形にシフトしたようだと誰かが語っていた。そしてそのお陰で、今の原爆資料館のような展示が出来るようになったのだと。

ちなみに、原爆資料館には今も年間数百点の遺品の寄贈があるという。作中では、「原爆資料館は巨大な遺品収蔵庫でもあるのだ」みたいな字幕が表示された。

驚いたのは、学芸員がスラスラとその資料・遺品の来歴を口にしていたこと。地下に巨大な収蔵庫があり、そこには様々な資料・遺品が収められているのだが、学芸員は引き出しから定期券を取り出しながら、「駅を出てすぐに被爆した方の定期券で、大きな柱に片足を挟まれ、さらに火事が迫ってる中、救助にやってきた警察官に『これを家族に』と言って渡されたものです」みたいに説明していた。また、女性物の服にも、「身体の片側にガラス片がびっしり刺さっていたようで……」と、その来歴を語る。

もちろん全部覚えてるなとと思っているわけではないが、収集や寄贈の際にちゃんとその詳細を聞き、記録してるのだろうし(まあ、そんなのは当然だと思われるかもしれないが)、それが2万2000点にも及ぶ資料・遺品すべてにあるのだろうと思うと、ちょっと凄まじいなと思う。

そんなわけで、主に長岡省吾の尽力により原爆資料館は生まれたのだが、本作では、全員ではないが、その後館長を務めた者たちの功績にも触れていた。3代目の小倉馨は国際化をかなり推し進めたり、住友銀行の壁を引き剥がして展示したり、「対話ノート」を設置したりした。4代目の浜崎一治は、大規模なリニューアルを行った。それまで資料はただ雑然と置かれているだけだった。「見れば分かるはずだ」というスタンスだったそうだ。ただ浜崎は保存や展示の専門家にも加わってもらい、熱線吸収ガラスなども取り入れながら、「ただ並べておく」だけではない資料館のスタイルを確立していく。

ちなみに浜崎が、当時の市長のアイデアを受けて設置したのが、被爆の様子を再現した人形だ。最終的にこの人形は物議を醸し(物議を醸したのは2代目の人形のようだが)、現在では「実物展示」の方針から人形は撤去されている。

さて、本作において初代館長に次いで大きく取り上げられるのが、7代目の高橋昭博だろう。彼は「初の被爆者館長」として注目された。来館者に自ら被爆体験を語るなど精力的に活ポール・ティベッツ動したが、体調は常に思わしくなく、原爆症により在任中に何度も入院している。

妻は、「私にだけは、『自分がどうしてこんな目に』というようなことを言っていた」と話していた。ただ同時に、旧友たちの代弁をするために生き残ったんだと、自らの使命を理解してもいたそうだ。ちなみに、原爆資料館には彼の中学時代の同級生の遺品も展示されている(常設展示は毎年変わるらしいので、今もあるのかは分からないが)。来館者に展示品を説明する映像では、「この前に立つと私はいつも辛い気分になる」と話していた。

そんな高橋昭博は、オバマ大統領によく手紙を送っていたそうだ。アメリカの大統領として初めて核廃絶に言及し、さらに、原爆投下に関しても道義的責任があると言っていた彼に、広島は期待していた。2009年の来日時には広島に寄らなかったが、よく知られているように、2016年にオバマ大統領は平和公園を訪れた。

また、高橋昭博はある意外な人物とも文通をしていたという。それが、原爆投下爆撃機「B-29」の機長ポール・ティベッツである。詳しい話には触れられなかったが、このように高橋昭博は様々な人とやり取りをして原爆資料館に目を向けさせようとしたようだ。本作では、「高橋昭博は死の間際まで要人へのアプローチを続けた」と紹介されていた。

8代目の川本義隆も被爆者館長だった。彼は「3ヶ月間は目が見えなかった」「1年間視認のようだった」とその大変さを語っていた。また高橋昭博と同様、同級生の遺品が館内に展示されている。それを前にして想いを問われた川本義隆は、色々と語った後、最終的に「原爆資料館は、まさに人間の叫びですよ」と言っていて、とても印象的だった。

また彼は、2度目の大きなリニューアルも手掛けた。「モノの後ろにある『人間』をもう少し感じられる展示にしたい」という思いから、模型や映像などを多く取り入れた視覚的な展示にしていったそうだ。彼は「子どもは今、文章とか読まないからねぇ」みたいなことも言っていた。さらにこの際に、後に議論となる「2代目人形」の展示が始まった。

ちなみに原爆資料館は本館と東館に分かれており、その中で本館は「あの日被爆者たちが見ただろう光景を追体験する」というようなコンセプトで展示構成されているようだ。

10代目の畑口実は胎内で被爆した。彼が最も覚えていることとして挙げていたのがキューバのカストロが訪れた際のことだ。

原爆資料館には、31歳で亡くなった彼の父親の遺品も展示されている。で、原爆資料館を訪れたカストロは、それまで特に質問などしてこなかったのに、父の遺品の説明など、展示物の遺品のコーナーになってからどんどん質問するようになっていったのだという。この経験から彼は、「遺品が語る力の強さを改めて実感させられた」と語っていた。

そんな形で、原爆資料館の来歴が館長の功績などと共に語られた後、最終的に「広島サミット」での出来事に焦点が当てられる。2023年のことだ。正直なところ、当時のことはあまり覚えていないのだが、当然、広島の人たちは大いに期待した。

G7の首脳が広島にやってくるのだ。当然、原爆資料館を見てもらわないわけにはいかない。館長は広島市長は国に要望を出し、岸田総理(本作に少しだけ出てくる)も、前向きに検討すると言っていた。

そして実際に、原爆資料館への訪問が決まる。のだが、それは期待したものとは少し違っていた。

当日、平和公園は封鎖された。これはまあ、警備上の理由から仕方ないだろう。しかし、原爆資料館の透明なガラスの壁面がすべて覆われ、中が完全に見えない状態にされたのには驚いてしまった。撮られて困るものなどあるのか?

さらに本作では、12代目の志賀賢治が、新聞に記載された鑑賞の様子の記述を見て憤る場面が映し出されている。というのもその記事には、「本館から東館に映された数点の遺品を見た」みたいに書かれていたのだ。

先述した通り、本館は「あの日被爆者たちが見ただろう光景を追体験する」というコンセプトで空間演出がなされている。長い年月を掛け、大規模なリニューアルも何度か行ってたどり着いた、現時点では最上だろう展示方法である。しかしどうやら、新聞記事によると、首脳らは本館には入らず、本館から移動させてきた遺品数点だけを見たというのだ。

意味が分からない。志賀賢治も「そんなことに何の意味があるのか? むしろ、何を見せたくなかったのかが気になる」と話していた。さらに、「そんなことをさせられた学芸員たちの気持ちを思うとやるせない」みたいなことも言っていたのだ。

G7の中には核保有国もあるし、また日本はアメリカの核の傘の下にいるため、世界唯一の被爆国でありながら、核に関する何かの国際会議でアメリカ側についたみたいな話も数年前に問題視されていた記憶がある。だから恐らくその辺りで様々な調整が必要となり、その結果として落としどころがこうなったのだろうが、志賀賢治が言っていた通り、「そうすることにどんな意味があるのかが理解できない」という状況ではある。僕としても、例えば原爆資料館を見た首脳たちがその感想を公式に口にするのは難しいだろうな、みたいな感覚はあるし、そういうことがNGになるというなら別に理解できないこともない。ただ、ガラスをすべて覆い、さらに本館には入らずに遺品を東館に持ってこさせることに何の意味があったのか。実に不思議である。

まあなんにせよ、「核廃絶」には程遠いのだろうということぐらいは理解できる。

というわけで、後はいくつか気になったことに触れて終わりにしよう。

まず冒頭の方で、14代目である現館長が、「これまでは被爆者たちが直接語るからこそ大きなインパクトがあったが、それが難しくなってくる時代の見せ方を考えなければいけない」みたいな話をしていた。被爆者の平均年齢は86歳で、当然のことながらその数は減る一方だ。遺品は確かに強く語りかけてくるのだろうが、やはり、体験者の語りにはなかなか敵わないだろう。原爆資料館はまた新しい時代との向き合い方を考えなければならないのである。

あと、本作の冒頭は、原爆資料館の館内の灯りが点くシーンから始まるのだけど、これ結構良かったなぁ。丹下健三による建築の良さもあって、凄くカッコいいオープニングだったなと思う。

また、これは公式HPを見て知ったことだが、本作の音楽は『ドライブ・マイ・カー』『悪は存在しない』を担当した石橋英子だそうだ。どんな音楽だったか全然覚えていないが(音楽に対しての感受性は低い)、ドキュメンタリー映画には珍しい人選な気がする。

2002年に来館者数5000万人を突破し、2025年3月16日に8000万人に達した原爆資料館。僕もマジでいずれ行かないとな。本作を観て改めてそんな風に思わされた。

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