【映画】「ロザリー」感想・レビュー・解説

まずは少しどうでもいい話から。

僕は浅草周辺に住んでいることもあって、外国人を見かけることが多い。それは電車内でも同じで、だから、別に見ようと思ってるわけじゃなくても、時々外国人女性の肌が視界に入ることがある。

で、欧米人の女性は全然体毛があったりする。はっきり見なくても分かるぐらい生えていたりするので、「欧米ではこれぐらいが普通なんだろうなぁ」と思っている。昔テレビか何かで知ったんだと思うけど、「女性の肌はツルツルでなければならない」と考える国(男女共)は、アジアが中心なんだそうだ。

一方で日本では、小学生から脱毛サロンに通ったりする、なんて話も最近ニュースで見かけた。しかも、男の子が火曜ケースも全然普通なのだそうだ。「毛」に対する考え方は全然違うものだなぁ、と思う。

で、本作は、そういう「欧米の感覚」みたいな目線で観ないと、ちょっと捉え間違うかもな、と思ったりした。

主人公のロザリーは、田舎町でカフェを営むアベルと結婚した。ロザリーの父親がまとめてきた話で、父親が持参金を渡した日が、お互いに初対面だった。初日はアベルの家に父親も泊まり込んだのだが、翌日にはすぐに帰ってしまう。帰ろうとする父親に、「もう1日だけいて。拒まれたらどうしたらいいの?」とロザリーは泣きつくが、父親は「妻として生きろ」とロザリーを一人置いていく。

「絶対に子どもがほしい」とアベルに宣言していたロザリーが、初めてアベルと夜を共にするという日。アベルは服を脱がせた彼女の姿に驚く。体毛がかなり濃かったのだ。ロザリーは生まれた時から多毛症に悩まされており、父親が色々と手を尽くしたもののどうにもならなかった。

アベルは「こんなの詐欺だ」と怒り、ロザリーを追い出してしまう。しかし、実家に帰らず廃墟で寝ているロザリーを見つけ、アベルは家へと連れて帰った。

転機になったのは、アベルの友人の元で新聞記事を見かけたことだ。そこには「世界で唯一のロブスター女 4フラン」という記事が踊っていた。見世物小屋に「ロブスター女」という触れ込みの女性がいることを伝える記事である。それを見て彼女は考えた。実は、剃らなければ髭も立派に生えてくる彼女は、「髭を蓄えた姿を見せたら、このカフェにも客が集まるんじゃないか」と考えたのだ。手始めに彼女は、アベルの友人と賭けをすることにした。「髭の生えた女性がいたらどうする?」と持ちかけ、1ヶ月後に髭を生やした姿を見せると約束したのだ。

そして約束の1ヶ月後。カフェには、その友人が働く工場の従業員が大挙して押し寄せてきた。皆、「髭の生えた女性」がいるのか、興味津々だったのだ。そこに、男性以上に豊かな髭を蓄えたロザリーがやってきて……。

というような話です。

さて、これはまだ比較的冒頭の展開なので書いてもいいと思うのだが、髭を生やしたロザリーは、集まった人たちから普通に受け入れられた。もちろん全員というわけにはいかないが、概ね高評価だったのだ。

ちなみに、この「髭の生えた女性」にはモデルがいる。クレマンティーヌ・デレという女性で「ひげのマダム」と呼ばれていたそうだ。本作には「実話を基にしている」みたいな表記はなかったので、物語自体は創作なのだと思うし、クレマンティーヌ・デレがロザリーぐらい髭を生やしていたのかどうかも分からないが、しかしまあ、脱毛サロンなどなかったこの時代には本当に、「毛が濃い」という生き方を強いられることは大変だっただろうなと思います。

ただ冒頭でも触れた通り、たぶん欧米では「女性の肌がツルツルではない」というこだわりみたいなものは低いんだと思うし、だから「女性なのに毛が生えている」みたいな部分に対する嫌悪感が取り沙汰されている、みたいなことではないでしょう。あくまでも「それが過剰である」という点に焦点が当たっているのであり、そしてだからこそロザリーも、そこまで拒否されることなく受け入れられているんだろうな、という気がします。

この点は少し、アジア人の感覚とはズレているような気がしました。

またアベルの描かれ方も興味深いなと思います。最初こそ、「女性なのに毛が濃い」という部分に拒絶反応を抱くわけですが、アベルの心情は次第に変化していきます。というのも、アベルの心配をよそに、ロザリーはどんどん人気者になっていくからです。それまでは、借金を返すのも精一杯だったカフェが、ピアノを買って置けるぐらい繁盛しているのも、ロザリーのお陰です。もちろんアベルは、借金を完済できたこと自体は喜ぶわけですが、ただ、「俺のカフェで何してくれてんねん」みたいな気持ちがどんどん強くなってしまうというわけです。これもまた難しいなと思います。

そしてもう1つ難しいのは、「『違い』が目に見えやすいが故の排斥」です。

本作の舞台がいつなのか分かりませんが、クレマンティーヌ・デレは1872年生まれだそうなので、本作もそれぐらい、つまり1800年代終わりぐらいと考えればいいでしょう。さすがに「魔女狩り」はその100年前ぐらいには概ね収束していたみたいですが、そういうこととは関係なく、「見た目が違うことで集団から排除される」みたいなことはいつの時代どの場所でも起こっているでしょう。黒人差別と同じようなものです。

ロザリーも、「毛深いかどうか」みたいなこととは別に関係なく、「見た目が”普通の”人と異なる」という理由で、あらぬ疑いをかけられてしまいます。これは、直接的には「毛深さ」とは関係ないわけですが、「見た目が明らかに違うこと」によって生じてしまっていることは間違いありません。ロザリーはある時点以降、この点に苦労させられることになります。

ただ、全編を通じて印象的だったのは、ロザリーが実に前向きで明るかったことです。もちろん、アベルとの関係において様々に傷つく経験を経ているわけですが、そうではない部分、つまり人前ではとても楽しげに、自由に、卑下したりなどせず過ごしていて、周囲もそんなロザリーと普通に接しています。ある場面でアベルと関わりのある女性がロザリーについて「人生を楽しんでるわね」みたいに言うのだが、まさにその通りだろうなという感じです。

しかし実際にこんな風に生きていくのは難しいような気もします。まあでもそれは、周囲の受け止め方次第かぁ。ただ、LGBTQへの認知度(「理解度」ではなく)がかなり高まっているだろう現代においても、いわゆる「カミングアウト」するのが大変だという話は聞きます。それはやはり、「一歩目を踏み出して、その一歩目がもしも許容されなかったら?」という不安があるからだろうなと思います。

ロザリーの場合も同じでしょう。一歩目が本当に大変だったはずです。そこを超えてしまえばある程度楽になるだろうけど、その一歩目のハードルがまあ高いわけです。

そんなわけで、ロザリーは頑張ったなぁ、と思うし、その後の不遇についても、自分の生き方を貫いている感じがあって良かった。しかし後半の展開は、インターネットが無いだけで、状況的には「SNSでの炎上」みたいな感じがするし、いつの時代も人間は変わらないなぁ、という感じがした。

メチャクチャ面白い映画というわけではなかったが、ロザリーが思いがけず魅力的に描かれていて良かったし、人によっては、彼女のような生き方に触れることで勇気づけられたりもするかもしれません。

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