【映画】「風立ちぬ」感想・レビュー・解説
『まだ風は吹いているか。では生きねばならん』
現実を越えた世界の中で、主人公の堀越二郎は、そう問いかけられる。
繰り返し。
何度も。
『目の前に、果てしない道が広がっている。感銘を受けました。』
そうやって堀越二郎は、自分の価値観を「現実のもの」として生み出すために、製図板に向かう。
『美しい』
堀越二郎は、繰り返しそう呟く。サバの骨を見ても、堀越二郎は「美しい」と呟く。
『これは飛ぶよ。風が立っている』
美しいものは飛ぶ。その信念で、堀越二郎は飛行機の設計に向かう。
「美しい飛行機を作りたい」
それが、堀越二郎の夢だ。しかし、戦時中という環境は、それを許さない。
『機関銃を載せなければ、なんとかなるんだけど』
冗談で繰り出したこの言葉は、あながち嘘ではないだろう。堀越二郎自身の内なる叫びではないか。堀越二郎に求められているのは「戦闘機の設計」だ。そこには、必要な機能と性能が求められる。「美しさ」だけを追い求めることは、難しい。
『飛行機は、戦争の道具でも、商売のためのものでもない。
飛行機は、夢だ。』
『飛行機は、美しくも呪われた夢だ』
これは、堀越二郎の言葉ではない。しかし、彼もその言葉には頷くことだろう。僕は、ダイナマイトを発明したノーベルのことを連想した。彼は、人殺しの道具を作ったはずではなかったろう。堀越二郎もそうだ。
『僕たちは、武器商人ではない』
堀越二郎の同期が、そう呟く。
飛行機の技術では、日本は世界各国から大幅に遅れていた。
『俺たちは、20年先の亀を追いかけるアキレスだ』
そう呟く同僚に、堀越二郎はこう返す。
『小さくても、亀になる道はないのかなぁ』
彼はそれを成し遂げる。
しかし、あくまでもそれは、物語の一つの要素でしかない。ゼロ戦開発に至る過程は、かなりあっさりと描かれると言っていいだろう。そこにある葛藤や苦労は、本作を観ていてもさほど表には現れない。ゼロ戦がどんな戦闘機なのか知らず、また堀越二郎がどんな設計者なのか知らずに本作を見れば、「凄い戦闘機を設計した凄い設計者」という点は、恐らくまったく伝わらないだろう。たまたま、戦闘機の設計を仕事にしている人を主人公にした物語だ、と捉えられるかもしれない。
もう一つの要素は、菜穂子だ。後半になればなるほど、こちらの要素が強く描かれていく。
堀越二郎の設計のパートも良いが、やはり菜穂子のパートの方が好きだ。
何故ならそれは、「天才の恋」だからだ。
正直僕は、「堀越二郎と菜穂子」の恋が実際の出来事なのか、知らない。この菜穂子という登場人物は、堀辰雄の「菜穂子」という作品から採られているようだ。堀越二郎と堀辰雄の関係も知らないし、菜穂子が実在した人物なのかもしらない。だからここで書くことは、あくまでも、本作の内容に関してのものでしかない。
先ほど書いたように、堀越二郎の天才性は、本作を見るだけではなかなか伝わりにくいだろう。事前に、「ゼロ戦を設計した、堀越二郎という天才設計者がいた」という事実を知っておく必要がある(いや、必要があるわけではない。あくまでも、僕が感じたのと同じような感じ方をするためには、そういう事前知識が必要だ、という意味だ)
僕も堀越二郎についてはほとんど知らないのだけど、とにかく凄い人だったということは知っている。そして、本作の端々に、堀越二郎の天才性がチラリとかいま見える。それは、「設計」というフィールド上ではない、日常生活だったり菜穂子との関係だったりの中に、時々紛れ込む。
話の流れを切るかもしれないが、庵野秀明の声も良かった。僕は声優のことはよく知らないし、アニメもあまり見ない。なんとなくネット上で、庵野秀明の声が賛否両論だということも知っている。実際に見て、庵野秀明の声が「上手くはないな」とも感じた。確かに、他の役の人の声と比べると、上手くない。
ただ、なんとなく庵野秀明の「決して上手くはない声」は、僕が勝手に抱いている「天才」のイメージに合うのだ。堀越二郎が天才だったのか、あるいは秀才だったのか、その辺りのことは全然知らないけど、庵野秀明による「決して上手くはない声」が、逆に僕にとって、堀越二郎の「天才性」を浮き彫りにした形に映った。嘘がない感じに映った。というか僕が観ながら感じていたことは、「庵野秀明以外の声優の声が巧くて、庵野秀明の声が浮いているから、周りももうちょっと下手でもいいんじゃないか」ということだ。別に庵野秀明を擁護しようとかそういう意図はない。実際に観て、そう感じたんだから仕方ない。
そんなわけで、作中の端々で散見される「堀越二郎の天才性のちょっとした発露」と、庵野秀明の「決して上手くはない声」が、堀越二郎にまったく詳しくない僕に、堀越二郎の「天才性」を感じさせることになった。
そして、そんな「天才性」を醸し出す堀越二郎が恋をするのだ。これが、とても良い。
堀越二郎は「美しさ」に惹かれる男だ。そしてその審美眼は、彼独特のものである。普通、サバの骨を見て「美しい」とは言わないだろう。堀越二郎の視界には、僕ら普通の人間とは違った形での「美しさ」が展開している。
それは、菜穂子に向ける視線にしても、同じことだっただろう。菜穂子は実際、とても美しい女性として描かれているが、しかし堀越二郎の心を捉えたのは決して外面的な美しさではないだろう。では何かと言われると、言語化するのに困るが、堀越二郎は菜穂子の中にその「美しさ」を見出した。
穿った見方をすればそれは、菜穂子の病気ゆえの「美しさ」だったかもしれない。もちろん直接聞かれたら、堀越二郎は否定するだろう。しかし僕には、堀越二郎の頭に繰り返し蘇る、飛行中の飛行機がバラバラに分解される映像がダブる。堀越二郎は当然、壊れない飛行機を作ろうと必死になったことだろう。しかし頭の中から、そのイメージはなかなか消えない。「美しくも呪われた夢」である飛行機に対して、堀越二郎が抱いていたものは複雑なものではなかったか。どれほど全力を尽くしても、飛ばしてみなければわからない、そして飛ばして見ればバラバラに砕け散ってしまう可能性がある。そんな可能性としての儚さに、惹かれている部分もあったのではないか。もちろんその見方は、堀越二郎と菜穂子の関係を侮辱するような視点だろうけども。
堀越二郎と菜穂子の関係は、「美しい」と思う。破綻が約束されているからこそ、一瞬の煌きが凝縮する。時間が保証されていないからこそ、限りある生を正面から向き合う。言葉にすれば陳腐だが、そうやって生み出された濃密な時間は、二人にしか解釈出来ない、余人の介入を許さない、独特な世界を作り出す。あの電車の中でも設計を続けていた堀越二郎の姿は、僕は忘れられない。
『菜穂子がいてくれたお陰だよ』
その独特な世界がなければ、堀越二郎はゼロ戦を設計出来なかったのかもしれない。
『センスは時代を先駆ける。
技術は、その後だ』
もし堀越二郎が現代に生まれていたら、彼はどんな夢を追っただろうか?菜穂子とは、どんな人生を歩んだだろうか?時代に翻弄された、と一言で書いてしまえばそれまでだが、時代に翻弄されたからこそ生み出された名機であり、美しい関係であるのかもしれない。
最後に。観ている途中で、「タバコ問題」のことを思い出した。思い出したのは、中盤ぐらいではないかと思う。それぐらい僕にとって、タバコを吸うシーンはまったく違和感がなかった。というか、一体何を問題視しているのかもよく分からなかった。不思議だ。ラスト付近の、「タバコ吸いたいんだけど」と許可を求めて譲歩せざるを得ないシーン。あれも、タバコがなければ成立しない場面だろう。
映画にしてもアニメにしてもマンガにしても、セリフが少ないものはとても好きだ。映像メディアが活字メディアに対して取れる最大級のアドバンテージが、「沈黙」だと僕は思っている。小説では、なかなか「沈黙」を効果的に扱うことは難しい。僕の個人的な意見では、映画やアニメは、もっと沈黙を取り入れたらいいと思う。本作は、それまでの宮崎アニメらしくなく(全部観ているわけではないけど)、非常に穏やかでセリフの少ないアニメだった。それは、主人公である堀越二郎の物静かさが醸しだす雰囲気だろうが、それが作品全体を良いイメージに仕立てていると僕は思う。観てよかったと思いました。
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