【映画】「見はらし世代」感想・レビュー・解説
なんかビックリするぐらい良かった。でも驚くことに、何が良かったのか全然分からない。不思議な映画だ。
しかしとにかく1つ言えることは、「役者の演技がメチャクチャ上手い」ということ。本作は、ストーリー的にはなんてことのない話で、ところどころで「なるほど、そんな展開になるのか」という場面はあるものの、ストーリーで惹きつけるようなタイプの作品ではない。ストーリーは、あってないようなものと言っていいだろう。
しかしとにかく、役者が素晴らしかった。
個人的な話で言えば、主演の黒崎煌代は、ちょっと前に観て良かった映画『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』とか、つい最近観た映画『アフター・ザ・クエイク』で印象的な役で出ていたし(しかし本作はまた全然違った雰囲気の役を演じている)、また黒崎煌代が演じた高野蓮の姉・恵美を演じた木竜麻生は、まさに昨日観たばかりの映画『秒速5センチメートル』に出ていて、これまた印象的な存在感を放っていた。とにかく個人的には、この2人の醸し出す雰囲気が凄く好きでさらにそこに、遠藤憲一や井川遥なんかが重心を与えているみたいな印象だった。ホントに、徹底的に役者の演技ありきで成立している作品だなと思う。
そして、そんな役者の演技に絡めて、全体の雰囲気的に良かったのは、「家族感がなかったこと」である。本作は、一応「家族」の物語なのだが、正確には「壊れた家族」の物語であり、さらに、まあこれは書いてもいいと思うが、「別に再生したりしない家族」の物語でもある。
物語は全体的に「家族的な状況」によって進行していく。姉が自身の結婚の予定を弟に「直接言った方がいいかと思って」とアパートを訪ねたり、半分ぐらい偶然に再会した父と息子の久方ぶりの対面とか、結婚を控えた姉がこれから同棲しようとしている相手に躊躇を伝えたりとか、そういう「家族的なもの」が物語を動かしていく。
なのだけど、「高野家」の面々には、実に「家族感」がない。そして僕には、それが心地よかった。
個人的には、あまり「家族家族した物語」は好きじゃなくて、というかはっきり言って嫌いで、なんかぞわぞわする。僕にとって「家族」というのは、「特に意味を持たない空集合」でしかないのだが、世の中的にはどうもそうではないらしく、「大事にすべき存在」という扱いになっている。僕はなんとなく、「家族」の話になる時に、「みんなはドーナツの話をしてるのに、僕はドーナツの穴を見ている」みたいな感覚になる。同じものを捉えているはずなのに、見ている場所が全然違うというわけだ。
で、そんな僕にとって、本作『見はらし世代』は「家族家族していない物語」で、役者の演技によっても醸し出されているそんな雰囲気が、凄く良かったなと思っている。
そういう中で、恵美のスタンスはなかなか興味深い。彼女は、父親とは6~7年会っていないと言っていたし、結婚の予定についても報告するつもりはないようだ。弟の蓮は、何かにつけて父親と関わろうとする(蓮にはそんなつもりはなかったかもしれないが)のだが、そんな弟に恵美は、「私は家族を元通りにしようなんて思ってないよ」みたいに口にするのだ。
それ自体は別に全然、ふむふむって感じだった。
さてその一方で、恵美は新しく家族を築こうとしている。本作を観ているだけでは、恵美がどの程度結婚(や子育て)に前向きなのか、よく分からない。アンドウという名の恋人との会話を聞く限り、「どちらともなく同棲という話になり、なんとなく結婚という流れになりつつある」みたいな印象だった。まあそういうこともあるだろう。
そしてたぶんここで彼女は、「自分は本当に『家族』なんて単位を作りたいのか?」みたいに改めて考えるようになったんじゃないかと思う。もちろん、父や母のことを踏まえてのことである。父親に対する嫌悪や敵意をはっきりと表に出しながら(いや、嫌悪や敵意というのとは違うか。「圧倒的な無関心」とでも言うべきだろうか)、同時に、かつて父親がぶち壊した(と特に蓮がそう思っている)「家族」という単位を今まさに自分は作ろうとしている。たぶんそれは恵美の中である種の矛盾として渦巻いていて、でも同時に、「ここで『結婚』という選択肢から離れたら、父親に負けたみたいになる」みたいな感覚もきっとあって、だからどうしたらいいか分からない、みたいになってるんじゃないかなという気がする。そういう葛藤を、木竜麻生が絶妙に演じていたなと思う。
結婚の話で言えば、かなり冒頭のシーンで結構印象的だったセリフがある。恵美がヨガ(かな?)の教室で知り合った女性(佐倉マキ。彼女も実に素敵な存在感を放っている)に、「同棲のアドバイスってありますか?」と聞くのだが、その時彼女はこんな風に返していたのだ。
【うーん……例えば、自分がコーヒーを淹れて時に、相手のもついでに淹れてあげる、みたいなことってよくあるじゃない。そういうことを出来るだけしない。】
この会話の時点で佐倉マキに関する情報は皆無なので、観客は彼女がどういうスタンスで話しているのかなんとなく想像で受け取るしかないのだが、恐らく彼女は離婚経験がある(あるいは、同棲を解消した経験がある)みたいなことなんじゃないかと思う。で、それを恵美が知っていて(でも、ヨガ教室で出会ったばかりだとしたら、それも不自然か)、だから「ダメにならないようなアドバイスってありますか?」と聞いた、みたいなことじゃないかなと思っている。
さて、じゃあどうして「ついでにコーヒーを淹れてあげる」みたいなことがダメなのか。それは、「そういうちょっとした優しさにつけこんで、男の人ってどうしようもなく偉そうになったりするの」ということらしい。なるほど、という感じだった。これはホントに、「他人と一緒に暮らすことのままならなさ」みたいなものを実に端的に表現する、実に印象的なセリフだったなと思う。
本作の冒頭では、まさにそのような「ままならなさ」が描かれている。「妻たっての希望で家族旅行に来たのに、着いて早々夫が、コンペの事前準備のために東京に戻らなければならなくなり揉めている」という場面だ。いわゆる「仕事と家族、どっちが大事なの?」的な話なのだが、冒頭のこのシーンで突きつけられた「息苦しさ」みたいなものが本作全体を貫いている感じがあって、そしてそれが、「家族」という枠を超えて「人が人と関わる際のままならなさ・息苦しさ」としても提示されているみたいで、凄く良かったなと思う。
「家族感のなさ」の話に少し戻るが、本作ではラスト付近で、ある人物が号泣し、それを蓮が遠目から見ているというシーンが描かれる。そして、そこで蓮が零した(まさに「零した」という表現がピッタリだと思う)「笑い」が、とにかくメチャクチャ良かった。本作の中で、一番好きなシーンかもなぁ。ああいう「笑い」って、確かに時々「思わず出てしまう」みたいなことってあるけど、それを演技で再現するのって凄く難しそうだし、それがメッチャ自然な感じで、保存したいぐらいだった。
さて、物語的な話で言うと、「電球のくだり」はメチャクチャ好きだなと思う。はっきり言って、そのシーンになるまで、「この電球の話は何がどう繋がるんだ?」と思っていたのだけど、まさにそのシーンになって「なるほど、このためか!」となった。本作では、後半でちょっとリアルから外れるような展開になるのだけど、でも何故かそこまでリアリティが失われている感じがない。そしてその処理(という表現はあんまり好きなじゃないけど)に一役買っているのが「電球」なのだ。非論理的なものを、非論理的なものを通じて接続させるみたいなシーンで、普通に考えれば「納得感」なんて生まれるはずのない場面なのに、どうしてか「なるほど、こうだからそうなのね」みたいに思わされてしまう。不思議すぎる。
あと、ラストシーンは個人的には「???」という感じで、「えっ? これ、話繋がってる?」という感じではあったのだけど、ただ、これも自分では不思議なのだけど、「この作品のラストとしては別にこれでもいいか」という風にも感じられた。凄く変だなと思う。物語全体の展開からすれば、「これがラストシーン???」としか思えないような映像なのだけど、ただ「まあ、これはこれでアリか」みたいな感覚にもなる。意味が分からない。不思議だ。
ただ、このラストシーンを踏まえて、少し考えたことがある。それが、「遠景のショットが多かったこと」についてだ。
本作では、人物や状況を遠景から捉えるようなショットが多い。寄りの映像ももちろんあるのだけど、全体の印象としては「遠くから撮ってるな」という感じになるんじゃないかと思う。観ている最中は単に「映像的な綺麗さ」みたいなことだと思っていたのだけど、ラストシーンを踏まえると違う捉え方も出来る。
それは、「本作の主人公は『街』である」という解釈だ。人物は「街」を構成する一要素に過ぎず、作品としては「街」を中心的に捉えている、みたいに考えることも出来るんじゃないかと思う。
途中で、「in memories of my mother and the city」(だったと思う)みたいな表記がなされる。ここに「the city」と入っていたことに、この表記を見た時には違和感を覚えたのだけど、「本作『見はらし世代』の主役は『街』である」という解釈をすればその違和感も薄まるように思う。
人が入れ替わろうが、公園が整備されようが、「街」は継続していく。人や状況の変化は、「街」という単位で捉えれば大した問題ではない。そしてだからこそ逆説的に、「そんな『街』に呑み込まれてしまうような変化を大切に生きていこう」みたいなメッセージとしても機能し得るように思う。
というわけで、色々書いてはみたが、やはり本作の良さを伝えれてはいないように思う。
一応外的な情報に触れておくと、公式HPにはこんな風に書かれている。
【今年5月、第78回カンヌ国際映画祭の監督週間に日本人史上最年少、26歳の監督作品が選出された。オリジナル脚本・初長編作品でその快挙を成し遂げたのは、短編『遠くへいきたいわ』(ndjc2021)で注目を集めた団塚唯我監督。】
26歳という若さにも驚かされるが、「オリジナル脚本・初長編作品」でここまでの役者を集められたことも凄いなと思う。しかも、公式HPには監督のインタビューも載っているのだが、その中にはこんな一文があった。
【キャスティングの作業って、最初に決めた方がスケジュール的にダメだったときのために、2番目の候補者を決めていてほしいとよく言われますが、今回は基本的に最初に声をかける人を一人だけ決めて、進めていきました。】
決め打ちで役者を定めて、(恐らく)望んだ通りになったということなのだろう。それもまた凄まじいなと感じる。ホントに、「どんな風に制作したのか?」みたいな部分も気になる作品だなと思う。
あと本作は、音楽もかなり印象的だった。音楽的なことは詳しくないが、内容的にも映像的にも「違和感」をもたらすような音楽で、「日常に溶け込まない感じ」の音だったなと思う。SFとかファンタジーの作品で流れていてもおかしくないような音楽という印象で、そういう異質なものを組み合わせていく感じも、本作の特異的な良さに繋がっているんだろうなという気がする。
なんか凄く良いものを観たなという感じだったし、26歳だという監督がこれからどんな風になっていくのかも楽しみな作品だなと感じた。
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