【映画】「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」感想・レビュー・解説
エヴァンゲリオンについては、いつもこの言葉から始めるけど、「さっぱり理解できないのに、やっぱり面白い」。不思議。
はっきり言って、この世界全体の設定は、未だに頭に入ってない。以前、2時間半ぐらいある「エヴァンゲリオン考察動画」みたいなのをYouTubeで見たことがあって、その時は、「すげぇな、こんな奥深い設定があるのか」と感動したのだけど、もう忘れてしまった。難しくて、記憶の中に留めておけない。
それでも、その動画を見たお陰で、「何故碇シンジが初号機に乗れるのか」とか、「綾波レイって何者なのか?」みたいなことはなんとなくわかったつもり。
ただやっぱり、「どうして使徒がやってくるのか」とか、「NERVは何をしようとしているのか」とか、「ゼーレってなんだっけ?」みたいなことは全然分かんなくて、碇ゲンドウとか冬月コウゾウとか加持リョウジとかが喋ってる場面は、ほぼ意味が分からない。「Q」でちゃんと登場するカヲル君も、結局何者なんだっけ???
みたいな感じで、物語的には完全に置き去りにされている。でも、エヴァンゲリオンって、やっぱりメチャクチャ面白い。それは一つには、「そういうわけの分からん設定をいつか理解したい!」と思わせるぐらいの絶妙な雰囲気があること。例えば、アニメでも小説でも映画でも、もっと「難解さ全開」の作品というのはあるだろうし、そうなっちゃうと「理解しよう!」と思えるレベルじゃなくなってしまう。でも、エヴァンゲリオンは、実際にはメチャクチャ難解なんだろうけど、それを感じさせないポップさがファーストインパクトとしてグワッとやってくるから、「難解さ」がちゃんと背景になっている。そのお陰で、「難解だしわけわからんけど、でも良い!」と、「破」で初めて登場した新キャラ、真希波マリのセリフみたいな感じになるのだ。
そしてもう一つの理由が、これもエヴァンゲリオンの感想では毎回書くことなのだけど、「世界を救う物語だっていうのに、徹底的に個人の話が核になる」というものだ。
この点で、エヴァンゲリオンの「シンクロ」という設定が、非常に絶妙だなぁ、と感じる。
他のロボットアニメとか、闘ったり世界を救ったりする系の話って、ざっくりとしたイメージだけど、「ロボットとか、兵器とか、変身アイテムを持ってれば、誰でも戦いに参加できる」みたいなイメージがある。もちろん、「この剣を抜けたら選ばれし勇者だ」みたいな設定もあるから必ずしもそうじゃないだろうけど、他の闘う系の物語では、「闘う理由」はきちんと外部に存在していて、ロボットや兵器とか変身アイテムそのものに依存しているわけではない(と思う)。
でもエヴァンゲリオンって、誰でも乗れるわけじゃない。それは、技能とか知識とかじゃなくて、そもそも「シンクロ」するかどうか、つまり「機体との適合率」みたいなものが求められる。考察動画で見た記憶だと、綾波レイや碇シンジがエヴァンゲリオンに適合できるのにはちゃんと明快な理由がある(式波・アスカ・ラングレーとか真希波マリとかのことはよく知らないけど)。
つまり、エヴァンゲリオンのパイロットたちは、外的な「闘う理由」があるかどうかに関わらず、そもそも「エヴァンゲリオンに適合する稀有な存在」だからエヴァンゲリオンに”乗らざるを得ない”という事情がある。
そしてここが、「世界を救うこと」と「個人の葛藤」の接点である。
エヴァンゲリオンの各パイロットには、それぞれ色んな事情があるにせよ、決して外的な「闘う理由」があるわけじゃない。誰かを守りたいとか、強くなって仲間を集めたいとか、そういう動機は基本的にない。しかし、彼らには「闘う理由」がない一方で、「エヴァンゲリオンに乗る理由」はある。これは、「乗らざるを得ない理由」とはまた違う。シンクロ率的に「乗らざるを得ない」のとは別に、例えば碇シンジは「父親に褒められたい」、式波・アスカ・ラングレーは「世界でそこだけが自分の居場所だと思っている」など、「エヴァンゲリオンに乗る理由」がある。
彼らには、実に個人的な「エヴァンゲリオンに乗る理由」が存在する。しかし、「エヴァンゲリオンに乗る」ということは即ち「使徒と闘う」ということであり、それはつまり「世界を救う」ということになるのだ。
このように、エヴァンゲリオンという機体が、パイロットとのシンクロ率を要求するが故に、「世界を救う行動」が「パイロットの個人的な理由」によって支えられるという、実に歪な構造が生まれることになる。
そして、この歪な構造のお陰で、僕らは、「この世界を取り巻く大きなルール」がまったく理解できないまま、「パイロット個人の精神的な葛藤」を通じて、「世界を救う物語」を体感することが出来る、ということになる。
エヴァンゲリオンの物語は、「使徒襲来」に端を発する超絶非日常と、パイロットたちが通う高校での話や、パイロットたちの個人的な交流というメチャクチャど真ん中な日常が、さほど違和感なく混在するのだけど、それはまさに、個人の物語と世界の救済の物語が、エヴァンゲリオンという特異点で接続されているからだよなぁ、という風に感じます。
物語の展開的にも、まさにそれが如実に現れます。式波・アスカ・ラングレーの登場によって、パイロット間のコミュニケーションが一層重要になる一方で、エリート意識の強い式波・アスカ・ラングレーは他のパイロットと交流を持とうとしない。そんな中やってきた使徒に対し、式波・アスカ・ラングレーは「私一人で倒せる」と主張するが、結局、碇シンジ・綾波レイのサポートが無ければ勝てなかった。
考察動画によると、式波・アスカ・ラングレーにもなかなかハードな過去があるらしいけど(TVアニメ版をちゃんと見てないから知らない)、そういう過去を背景に、一人で生きていく強さを身に着けつつ、一方でそれは式波・アスカ・ラングレーの決定的な弱さであったりもする。先の使徒の襲来は、彼女にそんな自覚を促し、他人との交流を自らするようになっていく…という展開なのだけど、まさにこれも、「世界を救うこと」と「個人的な葛藤」が上手く接続されている。
あと、この「破」では綾波レイが良いですね。有名な「ポカポカする」も出てくるし、料理に目覚めたりもする。一応、綾波レイがどういう存在なのかは理解しているつもりで、赤木リツコは綾波レイの変化に対して「ありえない」と断言するほどだけど、まあ普通に考えればそうだろう。その変化が、碇ゲンドウの計画の中でどういう位置づけになっているのか、その辺りのことはよく分からないけど、綾波レイに関しては、その正体をちゃんと知ってても知らなくても、それぞれなりの楽しみ方が出来るキャラクターだよなぁ、と思うし、やっぱり素晴らしいですね。
真希波マリもなかなか魅力的ですけど、存在が謎ですよねぇ。冒頭で、加持リョウジの「大人の都合に子どもを巻き込むのは気が引けるなぁ」に呼応させるかのように、真希波マリも「子どもの都合に大人を巻き込むのは気が引けるなぁ」と言っていて、何か明確な目的がありそうだけど、何なんだろうなぁ。一応、真希波マリに指示を出している人物はちゃんといるっぽいから、ちゃんと組織に属しているんだろうけど、さてはて。
まあそんなわけで、よく分からないまま、次はまた「Q」を観てこようと思います。
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