【映画】「孤狼の血」感想・レビュー・解説
現実というのは、常に目の前に存在している。
そして、前(未来)にしか進んでいかない。
この二つから僕は、現実というのは受け入れる以外にはない、と考えている。
こういう考え方は、僕が物理学のことが好き、という部分もあるかもしれない。
物理学というのは、現実に起こった現象ありきですべてが進んでいく。
どんなに素晴らしい着想も、どんなに整合性の取れた理論でも、それが現実と僅かでも合わない部分があるなら、それは正しい着想・理論ではない。
また、どれほど受け入れがたい現象であろうと、どれほど理解に苦しむ結果であろうと、それが現実であるならば受け入れるしかない。
現代物理学はどんどん、僕らの日常感覚を失わせる現実に直面し、普通には納得できないような理論や結果が様々に現れている。
しかしどれほど物理学が新たな理論を生み出そうとも、理論が現実に先行することはない。常に理論よりも先に現実があるのだ。
この物理学における現実と理論の関係は、現実と正義の関係に近いかもしれないと思う。
どれほど素晴らしい理想的な正義があっても、どれほど望ましい正義があっても、それは現実よりも先行することはない。まず、現実が存在する。そしてその現実という制約の中でどう正義を実現していくのか。そういう問いしかあり得ない。現実の存在を無視して、理想の正義、望ましい正義を追求したところで、どこにもたどり着かない。いや、辿り着く場合もあるかもしれない。恐らく歴史に詳しい人であれば、そういう事例をいくつも取り出せるのだろう。しかし、そうではないのだ。仮に正義が現実に先行するように見えたとしても、それはたまたまであり、ラッキーだったということに過ぎない。理想を追い求めた正義が、たまたまその時の現実と整合していたというだけに過ぎない。現実と整合しない理想につられるようにして、現実が劇的に変化するなどということはまずあり得ないだろう。
正義は、現実の奴隷なのだ。
理想的な正義の存在や、それを追い求める人のことを非難したいのではない。それらは、世の中にとって存在だとは思う。誰もが、理想的な正義を諦めている社会は、荒みきって悪くなる一方だろう。
しかし同時に、現実の中に可能な正義を埋め込もうとする人の存在を無視していい、ということにはならない。現実の中に埋め込める可能な正義は、時として「悪」に見えるかもしれない。しかし、それが現実の求める「解」なのであれば受け入れるしかない。
現実は、いつだって強い。だから、それに負けない正義を埋め込むためには、時には悪魔に魂を売り渡さなければならないことだってあるだろう。大事なことは、その正義を、理解してくれる人がいるかどうかだ。
内容に入ろうと思います。
昭和も終わろうとしている頃の広島・呉原には、尾谷組と加古村組という二つのヤクザ組織が覇権を争っていた。14年前に大規模な抗争から小康状態が続いてはいるものの、呉原には常に火種が燻っているような状態だ。
呉原東警察署に異動になった日岡は、みんなから「ガミさん」と呼ばれている、大上というマル暴刑事と組むことになった。大上は、メチャクチャだった。日岡に、パチンコ屋にいた組員にイチャモンをつけさせ、日岡がボコボコにされたところでネタを強請る、など朝飯前。昵懇にしている尾谷組から金を受け取り、時には放火してでも情報を取ってくる。そんな大上のやり方に、日岡はイライラを募らせていく。
呉原金融という闇金の金庫番が行方不明になっている、という情報を掴んだ大上は、この線で加古村組を壊滅させようと目論む。その失踪に、加古村組が絡んでいると見ているのだ。しかし、街中での小競り合いによって、尾谷組の組員が射殺されて死亡、尾谷組が報復しようとするのを大上がなんとか止めている―そんな一触触発の状態になってしまっていた。
三日―大上が尾谷組から与えられた猶予だ。それを過ぎれば、尾谷組は加古村組に大々的に戦争を仕掛ける。三日で加古村組を壊滅させるべく、金庫番の線を洗う大上はさらに違法なやり方で捜査を続けるが…。
というような話です。
原作も面白かったですけど、映画も面白かったです!特に映画の方が良かったのが、やはり複雑な人間関係がスパッと理解できるところですね。原作だとどうしても、◯◯組の××と名前で覚えなければならないので、人間関係を把握しきれません。しかも、どの組がどの組の傘下で、誰と誰が兄弟分で、みたいな話はややこしすぎて結構辛い。映画では、その辺りの複雑さがストーリー的にも緩和されているし、さらに、どこの誰かなんて言わなくても顔を見ればどっちの組の人かはすぐ認識できる。そういう意味でこの作品は、映画の方がより親しみやすいかもしれない、と思います。
僕は任侠映画って基本的に見たことないですけど、ちょっと古くさいタッチの映像で、たぶん昔の任侠映画を意識して撮っているんだろうな、と感じました。今の時代は、暴対法なんかがヤクザをがんじがらめにしてて、この映画で描かれているような暴力的なことをちょっとでもやれば組が壊滅、みたいなレベル(だと思う)んで、現代を舞台にしてはこういう話って成り立たないでしょうけど、昭和が終わろうとしているという時代や、広島という土地が、この作品をうまく成り立たせているな、と感じました。
しかしまあ、キャラの濃い面々ばっかりで、面白かったです。主役の一人である日岡(松坂桃李)の影の薄いこと薄いこと(笑)。みんな「じゃけえ」みたいな広島弁で喋るし、ヤクザとか警察とか夜の女性たちなど、特に肝の座っている人たちの話なんで、迫力がすごいですね。特に僕は、大上が懇意にしているクラブのママである梨子(真木よう子)が良かったなと思います。顔立ち的に、夜の女性がハマり役だなぁ、って思っちゃいました。ほとんどが男ばかりの物語の中で、ヤクザや警察とまともに張り合える唯一の女性キャラ、という点も、彼女を際立たせて見せていた部分だと思います。
しかしまあなんと言っても、主人公の大上(役所広司)の存在感は圧倒的でした。僕は俳優のことをそこまで詳しく知っているわけではないですけど、日本の俳優で大上の役が出来る人って、そう何人もいないだろうと思います。ただ「怖い」だけの存在ではなくて、硬軟使い分けられるような存在感があって、でも怖い部分はメチャクチャ怖い。ある種の狂気を宿せる人で、それに納得感を与えられるような演技が出来る人ってあんまりいないだろうし、役所広司はハマっていたと思います。
ストーリー自体は、原作を読んでいて知っていたので、ある程度先の展開がわかる形で見ていましたけど、知らないで見たら、ストーリー的にも相当引き込まれる作品だと思います。実際、原作で読んだ時は、グイグイ読まされましたからね。
男臭い映画ですけど、たぶん女性が見ても楽しめると思います(それは、呉原の常識に馴染んでいない日岡(松坂桃李)の存在が大きいと思いますが)。
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