【映画】「ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男」感想・レビュー・解説
これは興味深い。そして、観るべき映画である。その理由は、冒頭でも示唆される。本作監督の言葉として、次のような文章が表示されるのだ。
【希代の悪人を知らなければ、現代の扇動家たちの正体を暴くことはできない。】
確かにその通りだろう。僕たちは、ゲッベルスが生きていた時代よりも遥かに「プロパガンダ的な」世界に生きている。プロパガンダに溢れていると言っていいだろう。そしてそんな世界では、まさにゲッベルスのような「扇動家」が暗躍出来ることになる。私は個人的に、現代の扇動家を「プチ教祖」と呼んでいるのだが、そんな人たちは山程いるだろう。
だからこそ、「プロパガンダの天才」と呼ばれたゲッベルスについて知ることには意味がある。
さて、内容に触れる前にもう少し前段の話をしておこう。本作は冒頭で、いくつか情報が提示されるのだが、その中でも重要なのは以下の2点だろう。
【本作では、一般に公開されていない情報も扱っている】
【セリフには入念な調査を行っている。引用も多く含まれている】
さらに本作には、「宣伝大臣としてゲッベルスが制作した数々の映画の実際の映像」が使われている。冒頭でも、「ショッキングな映像も出てくるので注意してほしい」と案内が表示された。
なので本作は、フィクションであることは間違いないが、7~8割ぐらいドキュメンタリーと言っていいのではないかと思う。映画の最後には、マルゴット・フリードレンダーというホロコースト生還者が映し出され、短いが自身の想いを語っていた。観客としては、フィクションを観るのではなくドキュメンタリーを観るような気分で劇場に足を運ぶ方がいいかもしれない。
さて、本作を観ながら僕にとって最も意外に感じられたのは、「宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスは当初平和を強調しており、ヒトラーに何度も、戦争に突入しないように進言していた」という事実だ。別にこの時代のことについて詳しく知っているわけではないが、勝手に「ゲッベルスも戦争やユダヤ人虐殺に最初から前のめりだった」と思っていたので、「なるほど、そうなのか」と感じさせられた。
だからそう考えれば、ほんの僅か何かが違っていれば、ドイツが進む道は全然違っていたかもしれない。例えば、ゲッベルスが女好きではなかったら、どうだっただろうか? そう思わずにはいられない。
僕はこれまでも、ナチスやホロコーストに関する本や映画に結構触れてきたのだが、ヒトラーやゲッベルスなどを直接的に描くものはあまりなかった。やはりその多くは、「甚大な被害を被ったユダヤ人目線」のものが多い。『ヒトラーのための虐殺会議』という映画を観たこともあるが、本作にはヒトラーもゲッベルスも出てこない。側近たちがユダヤ人虐殺について議論した「ヴァンゼー会議」を描いた作品である。学生時代に歴史をまともに学ばなかったこともあり、「ヒトラーやゲッベルスが何を考えていたのか」みたいなことを知る機会はなかった。
ゲッベルスはとにかく、戦争はしたくなかったようだ。本作は1938年から始まるのだが(冒頭は1945年だが)、ゲッベルス率いる宣伝省はとにかく「ヒトラー総統の素晴らしさ」を喧伝し続けていた。まだ第二次世界大戦が開戦していない頃なので、まあそれは当然だろう。しかしその後も、ヒトラーが戦いによって領土を奪おうとしている中、「講話による解決が大事」だと訴え、ヒトラーの望む通りにはさせなかった。ヒトラーもゲッベルスの手腕は高く評価していて、民衆を扇動するには彼の力が必要だと理解していた。だから、ヒトラーの命令に従順ではない態度を示していても、多少は仕方ないと受け取られていたのだ。
しかし色々あって、そうもいかなくなる。ここに「女好き」が関係してくるのだが、まあ詳しい話には触れないことにしよう。とにかくゲッベルスは、「ヒトラーの取り巻きの序列」を下げてしまうのだ。
本作では、その「序列」は、ヒトラーとの会食のシーンで視覚的に表示されている。大テーブルの座る位置が毎回変わるのだが、その場所で、その時のヒトラーの中での序列が示されるというわけだ。それは観客に向けてというだけではなく、取り巻きたちにも常に示されているのである。競争原理を働かせよう、みたいな意図だったのだろう。
ゲッベルスは一度、「罷免して下さい」と口にしていた。ヒトラーから、不本意な決断を迫られたからだ。しかし、やはりそうはいかなかった。ゲッベルスは最終的にその不本意な決断を飲み込んだ。その後、これは恐らく彼の日記に残っていた文章なのだろう。「私の青春時代は終わった」「これからは仕事だけの人生だ」と、その絶望を綴っていた。
宣伝省というのはやはり、成果の見えにくいポジションだったのだろう。他の取り巻きからもどんな成果を挙げているんだと詰め寄られたりしていた。さらに、ゲッベルスとは違い、戦争に踏み込みたいと思っていたヒトラーからも、「国民感情を戦争へと向けられていないのはお前の責任だ」と罵られてしまう。そういうことが色々と起こる中で、ゲッベルスも「自分の身を守るためには、ヒトラーの望む通りにするしかない」と、戦争への機運を高めるべく宣伝をするようになっていくのだ。
しかも、物語的な演出なのかはよくわからないが(実話を元にしつつも、それなりにはフィクションが混じっているだろう)、ゲッベルスが「今まで平和を訴えてきたのに、一気に方向転換して戦争の宣伝をしなきゃいけないのかよ」と思い悩んでいた時に、一報が入る。どこの国だか忘れたが(ウィーンだったか)、その国の外交官がユダヤ人に射殺されたというのだ。ヒトラーにとって、「生存圏の確保」と「ユダヤ人の撲滅」は悲願であり、だからこそ、ゲッベルスはこの事件を”利用”しようと考えるのである。
ゲッベルスには”お誂え向き”としか思えない事件が起こったことで、宣伝省の急な方針転換が目立つことなく、国民を戦争へと駆り立てていくことが出来るようになった。そういう”時の運”みたいなものも、ゲッベルスのプロパガンダにはプラスになっただろう。
しかしゲッベルスは、かなり早い段階で、自身のプロパガンダの「肝」について部下(だと思う)に話していた。
【プロパガンダというのは、絵画のようなアートだ。
名作は必ずしも、現実に忠実じゃないだろう。
それよりも、以下に感情を刺激するかの方が大事なのだ。】
とにかく「演出」がすべてというわけだ。
本作では冒頭の方で、「ベルリンに戻ってきたヒトラーを民衆が出迎える」という映像とその舞台裏が描かれる。僕も本作を観る以前から何かで目にしたことがあった気がするが、その中に「誰かに抱えられた女の子が、車に乗ったヒトラーに花を渡す」みたいな場面がある。結構有名な映像なんじゃないだろうか。
そして映画の中では、「その練習をする姿」が映し出されていた。そう、まさに「演出」である。
後半では、もっと露骨な演出が描かれていた。「記者が兵士の後ろで隠れていた時、我が省の人間は兵士として最前線にいた」と前置きした上で、ゲッベルスは部下に撮った映像を紹介させる。「炎を上げる石油プラント」や「橋を渡る戦車への砲撃」、「戦車の鉄で目玉焼きが焼けるほど暑いアフリカで奮闘する兵士」の映像なのだが、これらはすべて、今でいう「フェイク映像」である。石油プラントと橋・戦車は模型、戦車の鉄は下から火で炙っていた。ゲッベルスは部下に「創造性が大事だ」と訴えていた。要するに「そう見える映像」を捏造しろ、というわけだ。
さらに、「戦地にいる兵士たちをラジオで繋ぐ」という企画に、部下が「5000万の回線を生放送で繋ぐのは技術的にリスキーだ」と低減した際も、「どうせ分かるわけないんだから、事前に録音しろ」と指示していた。
こういうやり方は、今では「ヤラセ」と言われるだろうが、正直、「演出」と「ヤラセ」の違いなど紙一重だろう。しかも当時は戦争中だった。「それらしい情報」を説得力を持って用意できた者が強いのは当然である。
あと、ゲッベルス自身も度々民衆の前で演説しているのだが、彼は本番に向けて練習を欠かさなかった。口調や言葉の選び方、手の動かし方など、細部に渡って作り込んでいたのだろう。中でも面白かったのが、「面白いことを考えた」と言って、部下にそれを実演して見せる場面。なんと彼は、「演説の中で言い間違える」のを練習していたのである。「ユダヤ人の駆…」と言いかけて「排除」と言い直す、という練習をしていたのだ。「駆逐」という言葉を、聴衆の頭に残そう、というわけだ。この辺りも、実に上手いものだなと思う。
さて、ゲッベルスやヒトラーも興味深かったのだが、僕にとっては本作で描かれるナチス党そのものがやはり興味深かった。というのも、「彼らが至って冷静で、まともだから」である。
例えば、戦争が激しくなった後、ゲッベルスは宣伝省のスタッフに、「映画の8割を娯楽作品にしよう」と表明する。「国民に負担を強いているのだから、娯楽を提供しよう」というわけだ。別の場面ではヒトラーも、「過度な禁欲は良くない」「女性から美容品は取り上げない」と言っていた。
この辺り、日本とは大分違うなと感じる。日本では「欲しがりません、勝つまでは」など、戦争のために国民にかなりの負担を強いていた印象がある。ドイツでは、「それじゃ長続きしない」「国民からの支持が得られない」と分かっていたのだろう。実に冷静である。
また、ゲッベルスの女好きをヒトラーに忠告する取り巻きたちも、「ゲッベルスはナチスの風紀を乱す」と、実に真っ当なことを言っている。ゲッベルスは「私を妬む者の策略だ」と言っていたが、本作での描かれ方からすると、彼らは本当にナチスの風紀を心配してヒトラーに忠告していたように感じられる。
また、先程少し名前を出した『ヒトラーのための虐殺会議』でも、参加者たちは実に論理的に冷静な議論を重ねていたのが印象的だった。
「ホロコーストを行った」という事実を後世に生きる僕らが知った時、「どうしてそんな狂気的なことが出来たのだろう?」「国民はともかく、ナチスの幹部たちはとにかく全員イカれていたのだろう」みたいに考えてしまいがちだが、実はそうではない。ナチスというのは実に冷静に真っ当に組織運営されていたのだ。僕にはむしろ、戦時中の日本軍の方がイカれていたんじゃないかと感じられる。
そして、ナチスが実に冷静で真っ当だったからこそ、より一層恐ろしさを感じさせられるのだ。確かに、ヒトラーが「悲願」と言っている「ユダヤ人の撲滅」という発想は異常だしイカれている。しかしそれを除けば、人も組織も別にまともだったのだ。にも拘らず、ちょっと信じがたいほどの蛮行が現実のものとなってしまった。
そのことが、僕にはちょっと信じがたく感じられてしまう。
今まさに僕らは、それに近い状況に直面していると言えるかもしれない。トランプ大統領である。トランプ大統領は確かにちょっとヤバい奴だし、強大な権力も持っているわけだが、しかしそれにしたって、たった一人が持つ狂気がアメリカを、そして世界を大混乱に陥れているという事実には、やはり驚かされてしまう。トランプ大統領はある意味で、ヒトラーとゲッベルスを足したような存在と言えるのかもしれないし、だとしたらメチャクチャ厄介だなとも思う。
扇動家に踊らされないようにするためにも、「プロパガンダのなんたるか」は知っておいた方がいいし、であれば、「プロパガンダの天才」と言われたゲッベルスに触れておくのも良いだろう。死体の山や首吊りなど、なかなかショッキングな実際の映像も含まれるので、そういうものへの耐性がない人にはオススメ出来ないが、そうでなければ観ておくべき作品ではないかと思う。
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