なるべく自分で選ぶことなく選択したい
「何かを選ぶ」ということに対して、僕は割と慎重なスタンスを取っている。僕はとにかく、「選択することによって偏ってしまう」という状況を避けたいのだ。
例えば、僕は「映画館でしか映画を観ない」と決めている。なので、アマプラもNetflixも何も契約していない。こういう話をすると、「映画館で観るって体験がいいんだよね」みたいに思われることが多い。しかし、別にそういうことではない。僕は、「今公開している映画」という形で、あらかじめ一気に選択肢を絞っているだけなのだ。
もし配信で映画を観るとしたら、「ランキング」や「誰かのオススメ」みたいな情報に頼ってしまうだろうし、そうでなくても「自分が好きなジャンル」ばかり観てしまったりもするだろう。そして僕は、そういう状態があまり好きではない。そういう選択は「何らかの偏り」を生むし、どんどんと狭くなってしまうと思うからだ。
僕は常に、人でもモノでも概念でも何でも、「今の僕には想像すら出来ないような何か」に出会いたいと思っている。だからそもそも、「選択=好きの反映」みたいな状態に陥りたくない。自分の選択が「思いも寄らないものとの出会い」に繋がってほしいと願っているのだ。
そういうやり方をしていると当然、「ハズレ」「失敗」にも出会いやすくなるが、僕はそれさえも良いことだと考えている。何故なら、「ハズレや失敗に出会うことで、自分の輪郭が分かるようになってくる」からだ。
「自分が良いなと感じるもの」だけを選ぶというのは、「自分という枠」の内側の中心部分をウロウロしているに過ぎない。自分の枠がどれぐらい広いのか(あるいは狭いのか)を知りようがないし、興味・関心が広がる余地があってもそれに気づいていないなんてことにもなるだろう。
しかし、「ハズレや失敗」、つまり「自分という枠の外側にあるもの」と出会うことで、「なるほど、この辺りに自分の枠の輪郭がありそうだな」みたいなことが見えてくる。そしてそれによって「自分がどういうものを好んでいるのか」もよりはっきり見えるようになるのだ。それが、自分の興味・関心を広げるきっかけになることだってあるだろう。
だから僕は基本的に、誰かに誘われたことは一度やってみることにしている。これまでも、「登山」「メイド喫茶」「廃墟」「ボルダリング」など、元々興味を持っていたわけではないことに誘われて手を出してみた。続いているものは別にないが、それでいい。「こっちの方向じゃない」ということが分かるだけでも十分だろう。
また、僕が小説以外の本を読むようになったきっかけを例に挙げてもいいだろう。僕は以前書店で働いていたのだが、当初やっていた文庫の担当に加えて、新書も担当するようになったのだ。それまではほぼ小説しか読んで来なかったのだが、新書の担当になったので「じゃあ新書も読んでみるか」と考えたのである。そのお陰でノンフィクション系の本の面白さに気づけたし、それはとても有意義だったなと今でも思う。
あるいは、昔読んだ『そのうちなんとかなるだろう』(内田樹)という本のことも思い出した。この中に、「天職との出会い方」に関する記述があるので抜き出してみようと思う。
「誰かこの仕事できる人いませんか?」という呼びかけがある。周りを見渡すと誰も手を挙げない。自分にその仕事ができるかどうかわからないけれど、なんとなく「やればできろう」な気もする。そこで、「あの~、僕でよければ……」とそっと手を挙げてみる。
僕たちが「天職」に出会うときのきっかけって、だいたいそういう感じなんじゃないかと思います。
まさにこれも、「選ばずに選択した」という状況だと言えるだろう。
自分が否応ないに抱いてしまう「先入観」が、「思いがけない何か」との出会いを阻害しないように、僕はこれからも「なるべく選ばずに選択する」というスタンスを心がけたいと思う。
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