【映画】「教皇選挙」感想・レビュー・解説

これはメチャクチャ面白かった。よく出来てるなぁ。

さて、まず書いておきたいことは、「劇場が満員で驚いた」ということだ。今日行ったのはTOHOシネマズシャンテというところで、かなり広い。しかしそんな劇場が、今日の上映回すべて満員だったのだ。一体みんな、本作の何に惹かれて集まっているのだろうか。僕は知らないが、主演俳優とか監督が有名だったりするんだろうか?

僕は、映画館で本作の予告は散々観たが、正直「優先的に観よう」とは思っていなかった。一応候補には入れておこう、ぐらいな感じである。しかし、金曜日の公開直後から、なんとなく評判の高さを感じて、自分の中で優先順位を上げた。で、映画館に行ってみたら満員だったというわけだ。だからまあ、他の人も評判に釣られてやってきたと考えるのが自然なのだろうが、それにしても、である。

なにせ、本作はタイトルからも分かる通り、「カトリックの教皇を決める」という話である。もちろん観客の中にはカトリック教徒もいたと思うが、そうでない人の方が多いはずだし、そういう人(僕もそうである)からしたら、「ローマ教皇をどう選ぶか」なんて話は基本的にどうでもいい。にも拘らず、そんな物語を観るために多くの観客が劇場に詰めかけているのである。この内容でこの集客力は、ちょっとびっくりだなと思う。

しかし、本作が上手いのは、「そんなカトリックに興味のない人間でも惹きつける要素を散りばめている」ということだろう。

というわけで、まずはその辺りの話をするためにまず、内容の紹介から始めようと思う。

ある日、心臓発作によって、ローマ教皇が逝去された。教皇は自身の体調不良を一部の人間を除いて隠していたようで、多くの者にとって「突然の死」だった。それは、首席枢機卿であるローレンスにとっても同じである。ある場面で彼は、「教皇は長寿だと思っていた」と発言している。

その死により、教皇が不在となったため、「教皇選挙(コンクラーベ)」が執り行われることになる。仕切るのは、首席枢機卿であるローレンスである。3週間後の初日に向けて、急ピッチで準備を進める。

そして迎えた初日。朝から様々なことが起こる。ローレンスの右腕(名前はちゃんと把握できなかった)から、「ウォズニアック枢機卿が話したいことがあると言っている」と報告を受けた。教皇選挙の対象(被選挙権を持つ者)は世界中にいる枢機卿であり、そして彼らは、コンクラーベが始まると外部から完全に隔離される。ただどうも、何らかの理由によってウォズニアック枢機卿は教皇選挙の対象ではないようだ(酒浸りという話が出たので、そのせいかもしれない)。だからローレンスは、「隔離が始まったら会えなくなる」と、一旦はウォズニアックとの面会を断るのだが、しかしやはり気になって、隔離の前に時間を作り話を聞いてみることにした。

すると、教皇選挙の対象であるトランブレが実は、故教皇が亡くなる直前に枢機卿を辞任させられていた、というのである。もしその話が本当なら、トランブレは教皇選挙の対象者としては不適格だ。しかし隔離はもう始まってしまうし、真偽の判断も難しい。ローレンスはこの件を一旦保留にした。

さらに、名簿に載っていない新たな枢機卿がやってきたという報告も受ける。名簿の不備ではなく、元々載っていなかったという。どうやら、故教皇が去年、秘密裏に枢機卿に任命したというのである。メキシコ出身で今はアフガニスタンのカブールで奉仕しているベニテスである。正式な委任状を持っていたこともあり、ローレンスは「新たな枢機卿であり、教皇選挙の対象者」として皆にベニテスを紹介した。

また、ローレンスは仲間内で、「どうやってベリーニに票を集めるか」という作戦会議を行う。というのも、今回の有力候補の1人にテデスコがいるからだ。彼は「ローマあっての伝統だ」「過去40年間、イタリア出身の教皇が出ていない」と主張する人物であり、教会が60年来推し進めてきた「相対主義」を批判している。「相対主義」には詳しくないし、作中でも大して説明はされなかったが、要するに「他の宗教のことも認めましょう」という話だと思う。そしてテデスコはそんな「相対主義」を批判し、「カトリックこそ絶対だ」という価値観を推し進めようと考えているのである。テデスコは、故教皇のことも平然と批判していたような人物であり、ローレンスたちは「テデスコが教皇になるのだけはマズい」と考えている。そこで、本人は教皇の椅子を望んでいないとはいうものの、仲間内のベリーニを教皇にすべく、組織票を固めようというのだ。

こうして、コンクラーベが始まる。100名を超える枢機卿が一同に介し、教皇に相応しいと思う者の名前を書いて投票する。そして、有効得票数(投票総数の2/3以上)を得る人物が出るまでこの投票を繰り返すというというやり方だ。有効得票数を得る者が現れない限り延々と投票が続くので、まさに「根比べ」と言ったところだろう。

そして、初回の投票で票を集めたのが、ナイジェリア教区に務めるアデイエミである。もしも彼が教皇に選ばれれば、アフリカ系初の教皇となる。もちろん、それを快く思わない者もいる。

さらに、投票の最中、建物全体が揺れるアクシデントが起こる。外界との接触を絶たれている他の枢機卿には説明されなかったが、コンクラーベを取り仕切るローレンスだけは、それが近くのバルベリーニ広場での爆破事件によるものだと報告を受けていた。

ちなみに、コンクラーベを取り仕切るローレンス自身も教皇選挙の対象者であり、彼にもいくつか票が入った。しかしローレンスは、自分は教皇の器ではないと考えている。それどころか、コンクラーベが終わったら枢機卿も辞任するつもりでいるのだ。そんなやり取りを、故教皇が秘密裏に任命したベニテスと話していた際、ローレンスは「信仰に困難を感じている」と語っていた。神に対する疑念ではなく、教会に対しての疑念を拭えずにいるというのだ。

その後も、コンクラーベの合間合間に、右腕から様々な報告を受ける。アデイエミ、ベニテス、トランブレに関する様々な情報がもたらされ、その度に状況が大きく変わっていくことになる。

果たして最終的に、一体誰が教皇に選出されるのだろうか?

さて、このストーリーの上手いところは、まず何よりも「カトリック云々ではなく、『権力を欲する者たちによる争い』というシンプルな物語として提示したこと」にあるだろう。物語が宗教やらキリスト教やらカトリックやらの世界に閉じ込められてしまうとなかなか関心を持ちにくくなるが、本作は、あくまでも舞台がカトリックなだけであり、本質的には「権力争い」なのである。だからこそ、宗教に対する親和性みたいなものをあまり持っていない人でも面白く観られる作品になっているんだと思う。

そしてそういう物語の中に、「宗教的な要素」が組み込まれることによって、「単なる権力争い」ではない物語として描かれているのも凄く良かった。例えば、一般的に「権力争い」と言えば、金やら地位やら名誉やらを望むギラギラした者しか出てこない感じになるが、本作は決してそうではない。もちろん、権力争い故の醜さは存分に描かれるのだが、それと同時に、「自分は神に仕える者である」という認識が状況を多様にしていくのだ。

つまり普通なら、「ギラギラしていないと権力争いにはそもそも関われない」わけだが、本作の場合は、「無欲な人間でもこの権力争いに巻き込まれる」ということが自然な状況として打ち出されるのである。だからこそ、より状況は複雑だと言える。単なる権力争いであれば、策略で状況をどうにか変えることは出来るかもしれないが、「神に仕える」という要素が入ることによって、「策略では太刀打ちできない領域」が必然的に生まれることになる。そういう「権力争い」っぽくない要素が自然と権力争いの中に組み込まれていくことで、物語が実に面白くなっていくのである。

特にやはり、主人公であるローレンスの存在が際立って興味深い。彼は様々な場面で「困った状況」に置かれることになる。例えば、対象となる枢機卿が何らかの不正を働いていたことが明らかになったとする。ローレンスは非常に真面目で、神職と真摯に向き合いたいと考えている人物なので、「不適格な人物が教皇として選ばれるべきではない」と考える。しかしここでややこしくなるのが、「ローレンス自身も対象者であり、さらに実際にいくつか得票を得ている」という事実である。つまり客観的に見れば、「『対象者の不正を告発すること』は、自分が教皇に選出されるための策略」みたいな受け取られ方になってしまうというわけだ。

ローレンス自身は「教皇なんかになりたくない」と思っているわけだが、そもそも「俺は教皇になりたいぞ!」などと声高に触れ回る人はあまりいない。だから、ローレンスが内心でどう思っていようが、他の対象者からは「ローレンスも野心を抱いている」と見られているわけだし、その上で他の対象者を追い落とすような振る舞いをすれば、それは策略と受け取られてしまいかねないというわけだ。

またローレンスにはまた別の種類の葛藤もあったはずだと思う。それは、「自分の判断で、対象者の是非を決めていいのか」ということだ。

本作の物語はほぼ、コンクラーベが始まって以降に展開されるものであり、だからローレンス以外の枢機卿は基本的に、外部と一切連絡を取ることが出来ない。唯一、首席枢機卿でり、コンクラーベを取り仕切る役割を担うローレンスだけが外部との接触が可能なのである。

で、ローレンスの元には、隔離が始まってから様々な情報がもたらされた。本来であれば、他の枢機卿と相談したりしながら対応を考えたりもすべきかもしれない。しかし教皇選挙の判断に影響を及ぼすような情報は伏せておく必要があるし(だから、爆破事件の情報も他の枢機卿には伝えられなかった)、仮に重大な問題があり報告すべきと判断される情報があっても、100%の確証を得なければ他の枢機卿に伝えることは出来ない。

つまりローレンスは必然的に、「『対象者が教皇として不適格か否か』を1人で判断しなければならない」のである。これは非常に荷が思いだろう。さらに彼は聖職者であり、神に仕えるという意識を強く持っている人物でもある。だからこそ、そもそも「裁くのは神であるべきだ」みたいな発想を持ってもいたのだと思う。それ故に余計、「不適格か否か」を自分で判断するなんて状況は嫌だっただろうと思う。

そして、さらに難しい問題もあった。これは後半の展開に関わってくるのであまり詳しくは触れないが、「テデスコが教皇になるのを阻止するために、苦渋の決断が迫られる」みたいな状況に陥るのだ。

コンクラーベが始まって以降にもたらされた様々な情報により、対象者の状況が様々に変わり、各対象者の得票数が大きく変動することになる。そしてそのせいで、「このままではテデスコが教皇になってしまうかもしれない」みたいな情勢になっていくのだ。ローレンスとしても、それは絶対に避けたい。しかしそうだとして、じゃあどういう選択肢があり得るか。その辺りでもかなりの葛藤があるし、難しい決断を迫られもするのである。

そういう様々な状況の変化に対処しながら、コンクラーベをどうにかつつがなく執り行い、神への信仰や故教皇への信頼を踏まえつつ自らの進退についても考えていくという、ローレンスは本当に忙しい状況に置かれているというわけだ。

そして最終的に、教皇が決まる。この展開も凄かったが、さらにそこからのラストも見事だった。こういう物語の場合どうしても、「最後どうやって終わらせるんだろう?」という興味が募るし、そのハードルは上がっていくものだと思うが、本作は「うおっ、マジでそんな展開になるんか」みたいな話であり、かなり上がっているだろうハードルをするっと飛び越えたような印象がある。これは見事だった。

さて、本作はそんな「権力争いを魅力的に描いた物語」なわけだが、それはそれとして、ちゃんとしたメッセージ性があるのもとても良かった。それは、作中の様々な描写からにじみ出るのだが、直接的な話で言えば、コンクラーベが始まってから最初の投票が行われる前にローレンスがした演説の内容がまさに本作のメッセージを代弁するものだったと思う。

それはざっくり、次のような内容である。

『教会を、一個人や一派が支配するようなことがあってはいけない。今の時代は、多様性こそが教会に力を与えるのだ。
最近私には、強く恐れるようになった罪がある。それが「確信」だ。「確信」は寛容にとっての大敵であり、私はそれを強く罪だと感じるようになってきた。
信仰とは生き物です。そして信仰は、疑念と共にあるべきだと思う。確信だけを抱き疑念を持たないとしたら、信仰など消えてしまうでしょう。
だから、今求められているのは、疑念を抱く教皇だ』

恐らくだが、テデスコを牽制するような意図でこういう演説をしたのではないかと思う。演説の後、右腕から「今の演説が波紋を呼んでいます」と報告を受けていたが、ローレンスとしてはそれを狙ってのことだろうと思う。ローレンスが教会に対する疑念を持つようになったというのもきっと、この「多様性」との関わり方が大きく影響しているんじゃないかと思うし、だから枢機卿を辞めてローマを離れようとも考えているのだろう。

さらに、後半である人物が口にする、「教会とは前進するものです」という言葉も、とても良かったなと思う。教会のような古くからある組織ならなおさらだろうが、多くの人が「伝統」という言葉で状況を覆い、「変化しないこと」を正当化しようとする。しかし、宗教のことは詳しくはないが、やはり「信仰」というのは人々と共にあるべきものであり、さらに、その人々の苦痛や悩みは時代によって変わっていくのだから、その変化に合わせて「信仰」も、そしてそれをバックアップする「教会」も変わらなければならないのだと思う。

この「教会とは前進するものです」という言葉は、作中のある衝撃的な出来事の後で発されるものであり、その出来事があったからこそより響きやすくもなっていると言える。その出来事はとても現代的というか、僕らが今生きている世界の世相を反映したものであり、「あまりにも古臭い世界」と「現代の世相」みたいなものが、あの出来事によってグッと繋がっていく、みたいなところも良かったなと思う。

また、当たり前と言えば当たり前だが、教会も現代的なものを取り入れつつ運営されている。コンクラーベ自体は古い建物の中で行われるが、「盗聴対策のための電波シールドが云々」みたいな対策の話が出てきたりするし、また、枢機卿が泊まるのは電子キーで扉が開くようなホテル的な建物である。

さらに、コンクラーベには「煙突から黒い煙が出れば未決、白い煙が出れば決定」という昔からのルールがある。作中には、「投票が終わると、投票用紙を燃やす」というシーンが出てくるので、恐らく古くは、その投票用紙を燃やした炎から出る煙で外部に伝えていたのだろう。しかし現代では、投票用紙を燃やすのはそのままだが、その直後、「煙発生装置」みたいなスイッチを押すシーンが映し出される。恐らく、環境問題への配慮とかそういう理由から機械化されたのだと思う。本作にはそういう、「現代ではあり得ないぐらい古臭い伝統」と「現代的なシステム」が融合されている雰囲気も随所にあって面白かった。

しかし本当に、よく出来た物語だったし、壮大・荘厳なビジュアルもかなり強かったし、さらに、普段はあまり意識が向かない音楽も印象的で、全体的に凄く良かったなと思う。アカデミー賞の脚色賞受賞だそうだ。

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