【映画】「二重生活」感想・レビュー・解説

大学院で修士論文に着手しようとする白石珠。彼女の指導教授である、哲学科の篠原弘は、珠に「哲学的尾行」をすることを提案する。恨みがあるわけではない、関心を持っているわけでもない相手をただ尾行する「理由なき尾行」。一人の対象者の生活や行動を記録することで、一人の人間の存在をあぶり出し、それによって「人間とは何か」を考える。そんなテーマでどうだろうか、と珠は提案される。
少し考えさせてください、と珠は返した。
珠はゲームデザイナーである鈴木卓也と同棲している。二人が住むアパートの隣に豪邸があり、そこに暮らす親子三人の様子を時々ベランダから見ていた。
その豪邸のご主人が、珠が立ち寄った本屋で開かれていたサイン会の手伝いをしていた。咄嗟に跡をつける珠。美しい妻と可愛い娘がいて豪邸に住む男は、美しい女と不倫をしていた。ビルの狭間でキスをし、抱き合っていた。
それから珠は、「理由なき尾行」にのめり込んでいくようになる。
石坂、というその隣人の男を、出勤から帰宅まで毎日観察した。生活のちょっとした覗き見のつもりが、状況はどんどんと変わっていき、珠の予想もしていなかった展開が繰り広げられる。
「対象に接触してはいけませんよ」
教授のその忠告を、破ることになってしまう…。
というような話です。

全体的に、ちょっと消化不良というか、色んなテーマがしっくりまとまっていなかったなぁ、という感じがしました。
テーマ的には面白いなと思いました。哲学や尾行、そして代行業など、「存在とは何か」「人生を生きるとは何か」みたいな問いを様々な方向から考えられるような要素が結構あるのに、それらがうまく混じりあっていない感じがします。

まあそもそも、「存在とは何か」「人生を生きるとは何か」みたいなことを哲学的に問いかける、というのが、エンタメの映画ではやりにくいだろうなと思います。その点もそもそも難しかったのかもしれません。「尾行をする」というのも、結局ただの「覗き見」と大差ない感じがしてしまいました。なんとなくこの物語は、ただの「覗き見」になってしまってはダメな気がして、「尾行をする」というものをもっとうまく見せれたらよかったのかもしれないなと思いました。

いや、「尾行」と「覗き見」の違い、ということではないのかもしれません。なんとなく期待していたのは、「尾行」をすることで、珠自身がどう変化していくのかがもっと見えるような気がしていた、ということなのだろうと思います。「覗き見」は、ただ覗くだけで、覗く側の変化は期待されない。この映画は、もっと何か「他人の生活を尾行する側」の大きな変化が見れるような気がしていたんだと思います。

確かに珠は変化したのだろうけど、その変化は観客にはあまり大きなものには見えなかったと思います。確かに尾行によって、珠の生活にも変化がもたらされるわけだけど、もっと何かあったら良かった、と思ってしまいました。

『この世界に満たされた人間なんていないんだよ』

この結論自体はそうだろうなと思うし、こういう結論を導くために尾行があったのだとしたらそれはそれで面白いと思ったかもしれないけど、この映画で描かれる尾行は、それともうまく接続していない感じがして、「尾行をする」という行為が作品全体の中で果たす役割みたいなものがどうも小さいような、そんな気がしてしまいました。

映画を見ていて印象的だったのは、珠(門脇麦)の地味さです。尾行をする、という意味では目立たずに地味な方がいいわけで、そういう意味で門脇麦が作中で醸し出す地味さは、作品にとてもうまくマッチしていたと感じました。

「理由なき尾行」という発想は実に面白かったし(ただこれは、ソフィ・カルの「本当の話」に収録された話にインスパイアされたそうです)、全体がうまくハマればもっと面白くなった気もするんだけど、僕としては今ひとつという感じです。

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